第7話 〈庭場啓開〉

 十一月二十八日、土曜日。午後八時半。暁人たちが焼肉屋で盛り上がっていた頃である。

 森川区——皆川区の東に位置し、妖涙石という鉱物資源を産出する鉱山を保有する町。炭鉱街として栄えるそこは今日も鉱夫たちが坑道で汗水垂らして重機を動かし、鉱物を掘り起こしていた。

 今の時代人力でここまでやるのは少数派かもしれないが、溟月島は過度に科学を発展させないことを座卓が取り決めている。科学文明の水準も、医療などの特例措置を除き平成末期ほどでとどめており、輸入・輸出の制限も結構厳しい。

 それは外の世界が、妖怪や陰陽師、ならず者と関わりたくないという拒絶の表れでもあり、座卓の秘密主義の合致とも言える利害からなるものであった。


 炭鉱街の少し外れた路地に沸いた溟人——三等級、剛力法師がニヤついた笑みを貼り付け、ツルハシを振り上げるのを、金森宮子かなもりみやこは見た。

 来る、とわかっていれば、回避は容易い。焦り、恐怖するから硬直する。そして恐怖とは克服すべきものではなく、伴侶として共にするものだ。陰陽師の鉄則である。

 飼い慣らされた恐怖は適度な緊張感へ引き上げられ、集中力を底上げする。

 地属性妖力が炸裂。地面が破裂するように盛り上がるが、そこに宮子はいない。人間ではあり得ない敏捷性は、陰陽師がなせる業。妖力による基礎身体強化。


 飛び上がった彼女は風雷符ふうらいふ——木属性の式符を抜いた。

 妖力を込め、投擲。直後それは帯電した風の砲弾となって剛力法師に直撃。たたらを踏んだ相手にすかさず接近し、陰陽流格闘術を叩き込む。

 対妖怪、対溟人、対呪術師に向け発展し、進化した陰陽師が扱う実戦格闘術。競うための格闘ではなく、殺し、祓うための技術だ。

 急所を狙い、そのための一手を導くための手順を打ち込む、その打撃。


 左のフェイントから右のフックを下顎に打ち込み、振り下ろされるツルハシを後ろに回り込んで回避。ジャーマンスープレックスをその巨体に仕掛け、ヘルメットごと地面に叩きつける。

 すぐさま体位を入れ替えるや否や馬乗りになって顔面に拳を打ち下ろした。

 剛力法師が腰を跳ねさせて宮子を跳ね飛ばしながら起き上がる。

 宮子は宙を舞って着地。


 木属性は肝臓を主根とし、巡る妖力だ。

 そこに神経を集中し、拳を加速。にわかに帯電する拳が闇の中で翠緑の軌跡を刻み、剛力法師を一方的に叩き伏せていく。

 振り上げられたツルハシを鋭い蹴撃しゅうげきで吹っ飛ばし、ガラ空きの顎に肘を打ち込み下顎を砕くと、すかさず雷を纏った貫手で喉を抉り、そのまま股下まで引き裂いた。

 妖力膜で瞬時に身を守り、瘴気を弾く。赤紫の鮮血を撒き散らしながら、剛力法師はほぼ一方的に祓葬された。


 女の等級は、二。三等級程度、雑魚として処理できて当然の等級だった。


「あんた、何者」


 宮子の目は剛力法師のさらに奥。路地の先に向けられていた。

 そこには銀目四つ目の異相の魔人。


「さあ、誰でしょう」

「会話が成り立つと言うことは一等級、ないしは成りかけの二等級ね。

「忘れちゃった。あなたで、三十人くらいかも」

「無理だよ。お前は祓うと決めた」

「いいね、ごたくのいらないこの感じ」


 闇に蠢く赤い髪を揺らし、四つ目が動いた。

 速い。恐らくはスピードタイプ。

 宮子は風雷符を展開し、それを機雷のように揺蕩わせた。突っ込んでくることがわかっているなら待ち構えていればいい。


 そこへ穢れ弾の雨が降り注いだ。

 中世の軍勢が丘の上から矢を射かけるが如き雨霰あめあられは機雷を爆散させ、宮子は咄嗟に結界符で対応。青白い結界の膜に亀裂。舌打ちし、窓を割って空き家に転がり込んだ。

 四つ目が追従。穢れの剣を形成するとそれで窓枠ごとぶち破って突っ込んできた。


 術式を使わないあたり、やはり二等級だ。一等級なら出し惜しみせずに術式を使うだろう。溟人は自己顕示欲の塊のような奴らであり、如何に人語を解するほどに知性を得ても、その本能には抗えない。

 宮子は古びたダイニングテーブルを蹴りつけて四つ目に飛ばした。相手からしてみれば瞬時にして視界を奪われた形になる。

 が、すかさず赤紫の穢れの剣でテーブルを切り砕くと、視界を確保。だがそこに宮子はいない。


 ——どこだ?


 答えは上。天井から吊り下げられている、現在は停止している高圧パイプに捕まって遠心力を乗せた両足蹴りを四つ目の顔面に見舞った。

 数歩下がった四つ目に、畳み掛けるようにレバーに一撃入れ、鳩尾、胃に蹴りを叩き込み、喉に貫手。顔面を殴る、殴る、殴る。殴りまくる。

 十数発殴ったところで、相手の口がもご、と動いた。


「〈庭場啓開にわばけいかい〉」


 それは突然のことだった。

 いつの間にか独特な、非常に冒涜的な印相を結んでいた四つ目は〈庭場〉を啓開する。


「くそ」


 

〈庭場〉とは結界術の究極系と言われる極地であり、術師の心象や認知を具現化した異界を現実世界に上書きし、特定空間の特定対象をその異界に閉じ込める高等術の一種であった。

 二等級の分際で、〈庭場〉だと……?


 そこは奇妙な街並みの古都だった。

 年古りた、やけに傾いて路地側に出っ張ったとんがり屋根の家々がアーチ状に並び、ドブ側からは異臭が漂い、空には重苦しく緑灰色の雲が覆い尽くしている。

 さながらクトゥルフ神話のオーゼイユ街のような——。

 突如、神経を逆撫でする音楽が奏られた。空気が狂騒するように、踊り出す。


 くそ、気が狂いそうだ。


〈庭場〉とはそれ自体が術であるゆえ、そこにはある程度の条件付けが可能であった。

 水場であるがその上を歩けるとか、地面がない落下し続ける空とか、熱気や湿気がリアルな熱帯雨林とか。

 そうした臨場感は敵対術師にプレッシャーを与え、確かに、ダメージを加える一助となる。

〈庭場〉自体に突出した術式性能はなくとも、その世界自体が持つ独特の環境で攻撃する——それもまた、この術の恐ろしいところだ。


 エーリッヒ・ツァンの音楽。

 宮子は学生時代に読んだ、彼氏から勧められたクトゥルフ神話短編集を思い出した。まさしくあの世界だ。

 自分はあの作品を好きになれなかった。というより、如何に非業の人生だったとはいえ貴族趣味めいた生き方を頑なに変えようとしなかったラヴクラフトを好きになれなかった。添削と言って自己流に作品を書き換える傲慢さを持ち得ながらも、自分の作品が掲載されない都度病むその心の弱さにも、男としての覇気の無さを禁じ得なかった。そうならざるを得ない幼少期と家庭環境だったし、時代もあっただろう。だが、それでも好きになれないもの、ことというのは、この世の中にはある。宮子は博愛主義者ではなかった。


 次の瞬間、路地から伸びてきた拳に顔面をぶち抜かれた。

 完全な不意打ちである。

 すかさず肝臓に左拳が食い込み、右拳が鳩尾に突き刺さる。つま先が胃を抉り、貫手が喉を穿ち、顔面を十発以上、ボコボコに殴られる。


「覚えておけ。私は結構根にもつ」


 凄まじい威力の打撃にさらされ、さらには嫌悪さえする世界に閉じ込められたストレスで、宮子は意識を手放して楽になりたかった。

 だが陰陽師としての矜持が、それを阻んだ。

 腕を素早く伸ばし、女の髪を数本千切る。するとそれを式符に閉じ込め、封印箱に入れた。

 封印箱はすぐさま術式を発動、穢れを弾く浄祓じょうふつ膜を張る。


「このクソアマァ!」


 四つ目が激情に腕を任せ、穢れの剣を振るった。

 宮子の首が宙を舞い、それがドブ川に落ちた。


×


紅月べにつき、どうだ」

「あの女に髪を奪われた。羅剛、どうする。尻尾を掴まれたぞ」

「奪回はできんのか」

「浄祓の箱だ。溟人の私たちには触れられんよ」

「最後っ屁にしてやられたな。だが遠からず宣戦布告はしようとしていた。どれ、俺もメッセージを残すか」


 紅月というらしい四つ目は、羅剛が路地裏に何か術式を仕込むのを見た。

 多分、何かのメッセージだろう。そこに何を仕込んだのかは、羅剛本人にしかわからない。


「二等級とはいえ侮れんことははっきりしただろう。次は一等級、それもかなりの大物が相手だ。万全を期するぞ」

「わかったよ」

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