-
入行当時
本当のことを言うと、実は就職活動ではメーカー志望でした。その中で、一応いろんな業界を見てみようと思って、活動していたんです。そこで出会ったSMBCの先輩社員の方がすごく生き生きとしていて、一緒に働きたいと思い入行して、という感じなので、皆さんに語れるような立派な志望動機があるわけではありません。ただ、お金は人生につきまとうものなので、自分の役にも立つし、お客さま一人ひとりの人生に寄り添えるんじゃないか、とは思っていました。ですので、入行してゼロからいろいろ学んでいったという感じです。配属されたのは牛久支店。牛久というのは、つくば市の南にある市です。そこで、ロビーでのお客さまの案内やクレジットの獲得からスタートし、3ヶ月後には店頭でお客さまと接する先輩の後ろで事務手続きを学んでいきました。2010年当時は、積極的に支店でも住宅ローンの取り扱いをしていたので、折込チラシのポスティングをしていたのも覚えています。入行から半年後の10月、先輩社員の産休が決まり、200名程度のお客さまを担当できることになり、資産形成層やリタイアメント層のお客さまへ提案する日々を送るようになりました。予想していたよりも早い時期に多数のお客さまを担当させていただくことになったため、すごく不安でしたが、商品を懸命に勉強し、先輩の背中を追いかけていた、そんな時期だったと思います。
-
入行当時
3年目にはファイナンシャルコンサルタントとして運用資金の豊富なお客さまや地元企業のオーナーなど幅広い担当へ。私が個人的に好きな商品の一つである遺言信託は、目の前のお客さまだけでなくその次の世代にも役に立て、感謝されるやりがいのある業務で、それを初めて受託したときのことをよく覚えています。4年目には、茨城県県央に位置する水戸に拠点を構えていた東関東法人営業部との法個連携担当者にも任命され、法人と個人の協働も推進。週一回は牛久から水戸へ車で通い、法人でお取引のある企業のオーナー個人のお取引の開拓に取り組みました。仕事に追われ辛いときもありましたが、新しいことやいろんなことをやってみたいという気持ちは当時から強かったので、スキマ時間に勉強に取り組み、ファイナンシャルプランナー1級の資格も取得しました。
人間はやはり初めての場所は不安になったり、緊張したりするもの。私も東京都足立区の千住支店への異動が初だったため、仕事はもちろん、行内の人とうまく関係が築けるかな、と心配していたのを覚えています。実際、飛び込んでしまえば、そんな心配は必要なかったな、と思うことばかりですが、今でも新しい環境は緊張したり、不安になったりするので、これは私の性格かもしれません。千住支店では、地盤が広範囲であったため、一日中営業に出ている日々を過ごしていました。その中で強く感じたのは、SMBCファンというお客さまがこんなにも存在するんだということ。SMBCの「人」がいいから付き合っている、という声をたくさん聞きました。正直、商品そのもので差異をつけづらいのが金融商品です。逆に言えば、だからこそファイナンシャルアドバイザーの腕の見せどころ。ただ、商品を提案するのではなく、お客さまが何に困っているか、お客さまにとってこれから何が必要になるのか、そのようなことを考え抜いて、お客さまのために提案していく。結局は担当者によって提案のストーリーは大きく変わるのだと思います。そして、熱意を持って歴代先輩たちがお客さまと向き合い続けてきた結果が、SMBCのファンを生み出しているいるんだ、と思います。
日比谷エリアへ。これは転職したくらいの衝撃を受けた異動でした。ウェルスマネジメントバンカーとして上場企業創業者一族や非上場企業オーナー中心に200名程のお客さまを担当することになりました。担当させていただく一番規模が大きいお客さまの総資産は1,000億円。お取引の規模が大きいことにより、提案していくものも大きく変わり、まさにゼロから仕事を学んでいくことになりました。もちろん、ゼロから学んでいる中で、成果が挙がるはずもありません。着任半年経っても、主だったものを生み出せず、焦っていた私を救ってくれたのが当時の上司の言葉。
「数字は後からついてくる。今はお客さまと仲良くなることが大切だから、リレーション構築に集中してほしい」当時は本当に焦って、追い詰められた気分になっていたのだと思います。この言葉を聞いて、すっと肩の力が抜けた感覚は今も忘れていません。それからは、できることをやろうと決意。新聞に頻繁に載るような会社のオーナーに会えるチャンスがあるんだ、と気持ちを切り替え、毎日、前向きに楽しんで過ごすようになりました。競合も多い中、自分ひとりでできることの限界を感じ、法人営業部、本部の各専門部署、グループ会社との連携を図り、案件を組み立てていくことで上場企業創業者への融資、遺言信託受託など、少しずつ成果も出していけました。とても大変でしたが充実していた、それが日比谷の4年間だったと思います。
-
日比谷支店時代
-
日比谷支店のメンバーと
さいたまエリアへの異動で課長に昇格し部下を持つ難しさを知りました。自分が行ってきたことを言葉にして教えること、多様な人材が多いリテール部門で人をまとめて組織を率い運営していくことなど、今までとは違う難しさに直面しました。その中で、心に決めていたのは、担当者に近い管理職であること、そして、担当者が心置きなくお客さまに向き合えるような環境を整えていくことです。担当者として自らお客さまにアプローチできない分、俯瞰した視点から行動するようになり、推進に関わる運営や方針出しなど、自由にやらせていただいたエリア長には感謝しています。また、そうして頑張った先に、担当者のときとは異なる管理職の喜びがあることを知りました。部下の頑張りや努力が報われて案件がうまく成約できたときなど、自分の中からこんなにも嬉しい感情が湧き上がってくるんだと、驚きました。
正直、支店長に任命されるとは思っていなかったですし、本音を言えば、あと二店舗、せめて一店舗、課長職を経験したいなと思っていて、人事にもそういう話はしていたんですが、蓋開けてみたら、あれ?という感じです(笑)。私が入行したときの支店長と言えば、若くて40歳後半、ほとんどが50歳くらいの方でそのイメージが残っていましたし、SMBCもどんどん変わっていく中で、薄々は早く拠点長になるのかもと頭の片隅にはありましたが、まさかここまで早いとは。99%の不安と1%の楽しみという心持ちの中、もちろん荻窪支店のメンバーには不安だよとは言えないので、その不安を抑え込んで「私と一緒に頑張りましょう」とスタートを切りました。支店長になって一番感じたのは、今までの拠点長への感謝。人事関係や月次検査など、今まで見えていなかった仕事がたくさんあることを知るとともに、リスク判断やコンプライアンス判断など迅速かつ的確に行っていく責任の重さを痛感しました。私が拠点長としてやらなければならないことは、メンバーみんなが一生懸命頑張れる、その舞台を整えること。困っている人はいないか、何かやりにくさはないか、そういうところに目を光らせていきたい、とつねに意識していますし、メンバーと同じ目線で取り組むことも心がけ、担当者と一緒に自転車を漕いでお客さまのところにも行くこともあります。面談したお客さまからは、「女性支店長応援しています」と言われることもあり、それは嬉しいのですが、そんな言葉が出ないくらい、もっともっと女性の支店長が普通になったらいいなと思いますし、そういう流れをつくっていくのは銀行の中でも挑戦を支援する文化があるSMBCなんじゃないかとも思っています。そのためにも、メンバーと一緒に走り抜ける支店長でありたい、そう強く思って、奮闘していきます。
チャレンジしたい気持ちをしっかり汲み取ってくれるのがSMBCの特徴だと思います。数万人働いている中で、黙っていて汲み取ってもらうというのは難しいですが、努力して意志を表明しすれば、希望は叶えてくれる会社だと思います。SMBCにいると、挑戦できることは当たり前なので普通のことだと思ってしまいますが・・・。銀行、特にリテール分野は「今後どうなの?」と言われることもありましたが、コンサル業はなくならないと考えていますし、本当に人生に寄り添っていくことで、非金融分野も含めたもっともっと違う価値、大きな価値を提供していけるようになっていくと思います。これからは支店のあり方も変わっていくはず。駅前ではない場所へはもちろん、支店がときには金融リテラシーを養うスクールや、健康や生活などの全般的な情報拠点、もしくは、全く違う形になっていくかもしれません。そのような新しいあり方を模索して、創りあげていく、そんな道を皆さんと歩んでいきたいです。それはすごく面白いはずですから。挑戦することはたくさんありますね。
※掲載の仕事内容、役職、所属は取材当時のものです。