CAREER chronicle キャリアから見たSMBC CAREER chronicle キャリアから見たSMBC

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大企業取引は刺激的だ面白いことは全てお客さまから教えてもらった海老瀬 正洋本店営業第二部 次長[2003年入行] 大企業取引は刺激的だ面白いことは全てお客さまから教えてもらった海老瀬 正洋本店営業第二部 次長[2003年入行]
海外での経験を経て、今、東京で大企業と向き合う日々を送る海老瀬だが、約20年前、入行した当初は出身地である京都、関西以外で働きたくないと思っていたという。その海老瀬がどのようなキャリアを積み、そして自らの考えを変化させながら今に至ったのか、その歩みを振り返ってもらった。 海外での経験を経て、今、東京で大企業と向き合う日々を送る海老瀬だが、約20年前、入行した当初は出身地である京都、関西以外で働きたくないと思っていたという。その海老瀬がどのようなキャリアを積み、そして自らの考えを変化させながら今に至ったのか、その歩みを振り返ってもらった。
#12003年4月:天王寺法人営業第一部地元を守りたくて…。 #12003年4月:天王寺法人営業第一部地元を守りたくて…。

京都出身の私が就職のときに強く思っていたのは、関西でずっと働き続けたいということ。東京、ましてや海外なんて考えてもいませんでした。本音を言うと大阪も嫌で、自分の生まれ育った京都で生きていきたかった、それほど愛着のある地元。でも、当時は景気が悪く、街の呉服屋さんが倒産するなどを目の当たりにし、金融であればそれを守れるんじゃないか、と考えました。それで、関西で生まれた者にとってなじみの深い住友と名前のついた三井住友銀行に入行。住友なら関西で働き続けられると単純に思ったんですね。入行2年目からは中小企業の営業担当に。心に残っている案件では大手電機メーカーの下請でブラウン管テレビ部品の製造を行う中小企業の事業シフトがあります。(みなさんの中にはブラウン管テレビ?と存在も知らない方もいらっしゃるかもですが(笑))その企業に対してブラウン管の時代は終わっていくこと、そのために新たなビジネスモデルの構築が必要なことを説き、常務CFOと現業からの緩やかな撤退を協議。優良な本社用不動産および工場跡地を有効活用した不動産賃貸業へのシフトを提案しました。時代の趨勢を読み、変化に準備することで、お客さまに貢献できた案件だったと思っています。

#22007年4月:取引先出向グローバルとの出会い。 #22007年4月:取引先出向グローバルとの出会い。

経営再建中の大手電機メーカーへ出向。これが、自分の目線をグローバルへ引き上げてくれた一つの契機でした。経理部に在籍し、売却する事業のデューデリジェンス(※価値やリスクなどを調査すること)を行っていくわけですが、当時私は入行5年目。それなりに一人前になったと思っていましたが、知識も経験も未熟、会計知識も足りていませんでした。正直、出向時点で仕事の9割は分からない状態。夜8時、9時に仕事が終わってから夜中2時、3時まで4ヶ月ほど本を読み込み、最低限の会計知識を勉強。大学受験以来、最も勉強した時期でした。また、右も左もわからない状態でしたので、仕事中でも社員の方に「これなんですか」とよく聞いていました。最初は相手も戸惑ったと思いますね。経営再建を推進するSMBCからの出向者としてチェックし、何か言ってくるのかと思いきや、何もわからず聞いてくるのですから(笑)。でもそのうち、私が何か頑張ってるのが伝わり、教えてやろうか、みたいになったんです。この後もそうですが、自分の成長は半分以上、お客さまのおかげ。お客さまに育ててもらったのだなと、今こうして振り返っても思います。また、仕事をする中で海外のローカルスタッフやステークホルダーとやり取りすることがあり、大阪にいながら自然に世界とつながっていったというか、少しずつ世界へ目線が広がっていったのもこの時期でした。出向体験は本当にしんどいことばかりで、徹夜で説明し、なんとか監査から公正妥当と認められた決算説明、ノンコア事業の売却交渉、、、ここでは語りきれないエピソードはまだまだあります。ただ、そのときのしんどい経験があったからこそ、今の自分の足腰は鍛えられたとも感じています。本当にたくさんの思い出深い経験をさせてもらったので、いつかみなさんと直接お会いできたら、そんなエピソードもお話したいですね。

#32008年7月:大阪本店営業第一部自分で上司に掛け合って。 #32008年7月:大阪本店営業第一部自分で上司に掛け合って。

出向から帰還。別の企業の担当になる可能性がある中、自ら上司に直訴し、出向先の電機メーカーの担当を継続しました。これは、出向時に社員の方に様々なことを教えていただいたという感謝があり、なんとか恩返しがしたいという想いが強くありました。当時、取り組む中で一番印象に残っているのが、某工場の売却です。背景などは詳しくは話せませんが、2、3ヶ月でクローズしないといけない状況でした。通常、そのような売却、M&Aはどれだけ短くても1年程度の時間をかけて行うものですが、やむを得ない事情がありました。ただ、そんな短期間でのディールに付き合ってくれる相手が、なかなか見つからない。ようやく相手先が見つかっても、今度はファイナンス組成で問題が生じる。今までに前例がなく、できないという判断になりかけたんです。そのとき上司と話したのが、「前例があるないではなく、本当にこれが正しいことかどうかというのをちゃんと突き詰めてこの案件に臨もう」ということでした。その後、行内上層部での激論、本当に文字通り激論を経て、ギリギリの判断でなんとかGOが出ました。自分たちの教科書に載ってないと立ち止まってはいけない、ということを学んだ出来事でした

#42010年9月:上海短期トレーニー海外初経験で。 #42010年9月:上海短期トレーニー海外初経験で。

正直言うと、私は乗り気ではなかったんですが、急に行けと(笑)。ただ、行ってみると、ちょうどその時期は担当先の電機メーカーがM&Aにより新たな親会社の傘下に入るPMI、統合プロセスが進んでいる時期だったため、大連、北京、深セン、香港まで中国各地域に、グローバルのトランザクションを提案して回るなど、取り組むことが非常に多く、自分が責任を負ってやれることが面白くて。3ヶ月という短い期間でしたが一生懸命勉強したら中国語も少しは上達し、ローカルの人たちとの交流も増えたんです。その中で衝撃だったのが、インフレの国で何が起こっているのかを肌で実感できたこと。私は物心ついたときからずっとデフレしか経験してこなかった。そのためインフレが起きて、消費者物価指数があがって、給料のベースアップが起こっている国で金融が経済をまわしていくことを肌感で知れたことは大きかったですし、何よりもみんなが何か前向きで、必ず明日は今日より良くなるって思っている。そういうマインドは日本人にはもっと必要だし、そういうとこに日本も行かないと、と本当に強く思いました。

#52012年5月:シドニー支店ジオロジストとアグリバンカーと。 #52012年5月:シドニー支店ジオロジストとアグリバンカーと。

上海での経験が大きかったんでしょうね、今まで海外なんて考えていなかった自分が上海から帰国後すぐに、また海外に行きたいと血迷ったようなことを言ったのですから。そうしたら返ってきた言葉が「もう少しちゃんと英語を勉強してくれないか」。それから必死に勉強し、シドニーに行く機会をもらえました。オーストラリアに行けてよかったことの一つが、自分の仕事がグローバルにインパクトを与えていると実感できたこと。日本にいるとわからないかもしれないですが、オーストラリアからすると日本はすごく大事な国なんです。第二次世界大戦後にイギリスから距離をとられたオーストラリアが、石炭や鉄鉱石を高度経済成長の日本に買ってもらうことで国を成長させていった、という60年くらいの歴史があり、そのため日本のプレゼンスが高い。そしてもう一つが、全く違う出自の人と仕事ができたことです。それは、オーストラリア人というだけではなく、銀行員以外の専門家です。たとえば、プロジェクトファイナンスの資源案件のヘッドは世界最大の鉱業企業BHPビリトンにいたジオロジストで、「この山の〇〇の比率はどうで、やったほうがいい」とか「この建設機材はひっくり返ったら元に戻らなくなるから気をつけたほうがいい」など専門家ならではのいろんな話を聞き、面白かった。再エネ案件に関わる人の中には、原子力発電所の設計書を作成していた方がいましたし、アグリバンカーの方は「この土地でこういう灌漑農法をやれば人参は何センチを越える」など延々に話し始める。バランスシートとか損益計算書の外側にあるお客さまの実態、それを深く知っている専門家たちと働くことで、違う視点を学んだと思います。またアグリバンカーとともに仕事をする中で、強く感じたのは日本の農業と海外の農業は全く違うということ。いろんな問題がありますが、将来的に日本の農業も収益産業にしていかなければならない、そこにもいつかは取り組んでいきたいと、今でも思っています。

  • 石炭炭鉱のサイトビジット

    石炭炭鉱のサイトビジット

  • シドニー支店で同僚たちと

    シドニー支店で同僚たちと

  • シドニー駐在員でリレーマラソン

    シドニー駐在員でリレーマラソン

#62016年6月:本店営業第二部ゼロから勉強。 #62016年6月:本店営業第二部ゼロから勉強。

帰国後、東京に赴任し、SMBCと親密な関係であるNECを担当。ただ、同じ電機メーカーでもITに注力し、5GやDXの波に乗って事業を拡大しているNECは過去の担当先とは全く違った。テクノロジーのレベル感が高く、やっていることの実態把握ができないのが現実で、それが当初はつらかった。結局、AIの資格の勉強に取り組んだり、数学がわかってないと厳しいと感じて高校時代の統計の教科書を引っ張り出してきて読んだり。ただ、ここでも、教えてくれる先生みたいなお客さまに出会うんです。わかっていない中でも、毎日いろんな部署に通って、「こうあるべきなんですよ」ということをずっと語って何回も提案していたら、おかしなやつがいると当企業の中でも話題になっていたみたいなんです(笑)。役員クラスの人が時間とって、「おまえ違う、こうだ」みたいなのを教えてくれるようになり、少しずつ理解できるようになってきました。たまにお客さまからも「金融のプロでいいじゃないか、なんでそこまで知ってくれようとするんだ」ということを言われることもあるのですが、私にとってそれって普通で、すごく仲良くなりたい友達のこと、恋人でもいいですけど、知りたくなるじゃないですか。知っているが故の説得力が増すし、どんどん知ると好きになり、もっと知りたくなっていく。こういう技術はどうやって生まれたとか、その根幹となると当然、理科系の大学を出たすごく頭のいい人たちが取り組んでいるんですけど、「お、よく知ってるじゃん」、と言ってもらえる担当者でありたいなと私は思っているんです。

#72022年4月:本店営業第二部NECとともに多岐にわたる仕事を。 #72022年4月:本店営業第二部NECとともに多岐にわたる仕事を。

NECがグローバル市場で再び輝くために必要なM&A戦略を支えるファイナンスだけでなく、当社のコア事業でなくなった子会社に対して、新たなパートナー候補とのアライアンス戦略を提案することで、事業ポートフォリオの再編をサポートしてきました。お客さまの成長戦略の肝に関われる仕事は本当にやりがいがあります。
また、新興国の通信ネットワークを支える当社が手掛ける複数の案件(ウズベキスタンへの通信網構築プロジェクト、パラオ宛の海底ケーブル敷設等)をファイナンス面で支援してきました。世界で活躍する日本企業の応援団としての仕事は、自分の視野を広げてくれます。
さらに当社とは、銀行とお客さまという関係を越えて、Fintech領域の共創パートナーとしてともにビジネスを作っています。バーコード決済事業やBPO事業での合弁会社の設立から自治体のDXを支援するコンソーシアムの共同立上げに至るまで幅広い分野で一緒に仕事をしています。こういった経験は、今後銀行の進むべき方向を考える上で、非常に貴重な機会となりました。

#8最後に、今後へ思うこと。 #8最後に、今後へ思うこと。

今後、海外に出てマネジメントをしてみたいという気持ちはあります。が、それだけでなく、SMBCをもっと新しい形にしていきたい、という思いを持っています。NECという本邦有数のデジタル企業と接した上で自らの会社を見ると、現行の銀行業のビジネスモデルはもっと変革が必要である、と思います。デジタルと銀行はどう向き合うか、銀行の持っているデータや膨大な顧客ネットワーク、それをどうやってマネタイズしていくのか。すごく大事ですが、難しい局面にあると思っています。ただ、SMBCには、お客さまのことを誰よりも理解し、成長に寄り添おうという人財がたくさんいます。新たな武器を手にすれば、一層お客さまに必要な存在になれると確信しています。何より、過去からもSMBCは環境の変化に対応してきた会社。そのメンバーである私たちが、ぼーっとしてるわけにはいけないですよね。様々な場所で多くのお客さまを担当してきた中で、SMBCはお客さまからも社会からも新しい挑戦を期待されている、本当にそう感じています。
地元から出たくなかった保守的な人間が、気付けばグローバル市場に目を向け、そしてデジタルにより銀行ビジネスを変えたいと思うに至るわけです。私の価値観を180度変えてくれたSMBCと担当させてもらったお客さまに心から感謝しています。

※掲載の仕事内容、役職、所属は取材当時のものです。