僕は以前、「『HUNTER×HUNTER』の「詰んでいたのだ 初めから」について他」という表題で、ハンタ作中の描写について色々書いた。(参考)
その記事ではアレなコメントが寄せられていて、それに際して、今後このようなコメントが続くようだったなら、記事内容の性質上望ましくはないけれど、コメント欄は廃止すると言及していた。
結果として、そのようなコメントが続いたので、コメント欄は廃止することにした。
ただ、アメブロの仕様上、記事のコメントを停止するとコメント欄自体がなくなって、過去の応答が読めなくなるという不都合がある。
だから、この記事では寄せられたコメントと僕の返答をそのまま持ってくることにする。
本文だけ読んでも納得できない人もいて、そんな人でもコメントでのやり取りを読んだら納得できる場合もあるかもしれないと思っていて、まぁ全く無意味ということも無いとは思う。
それと、紙幅の問題で僕が言いたいことを言い切れていないようなそれもあるので、そういうものについてはちょいちょい、僕の方でボヤきを書いていきたいと思う。
とにかく持ってくる。
一つ目のコメントは本体の記事に僕の返答ともども引用文があるから、二つ目のコメントからですね。
「3. 又聞き程度の話で、明確なソースはありませんが冨樫先生は使えそうなネタは積極的に他作品から拝借しているとどこかのインタビューで語られていたそうですが、(実際かなり他作品を参考にされているようですし)
ハンターのフォロワー作品の呪術廻戦で明らかにナルトのはたけカカシをモチーフにしているキャラを作者が全然別のキャラを参考にしていますと言ってたりしましたし、何か別のパクリ元があって誤魔化す為にシグルイの名前を出したのかも知れませんね。
turuta-ayumu」
「4. Re:無題
>turuta-ayumuさん
ハンタの『シグルイ』云々についての話はどういうことか分かっていて、おそらくはクロロがヒソカを何らかハメたという話の仄めかしなんですよね。
元々、兵法書の『孫子』に「勝兵は先ず勝ちて、而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて、而る後に勝ちを求む。」とあって、昔の知恵者は勝った状態にしてから初めて戦い始めるという話があります。
『シグルイ』作中でも完全に勝ちの状態を作ってから虎眼が戦うという場面があるので、冨樫先生が言っているのはその話の事で良いと思います。
実際にネット上で語られる形でクロロの策略があるかは定かではありませんが、『シグルイ』作中にそのような描写があって、冨樫先生もそうと言っているのですから、誤魔化しというより仄めかしと判断した方が良いように思えます。」
この応答については何も言いたいことはない。
次。
「5.
反論になってない内容を言われても困る以上の反応が出来ませんね…。
その一か所が道理に適ってないといったところで、あのセリフが王のものだという話にはなりませんし、そもそもその主張自体が意味不明ですし…。
反論するなら何故王の台詞と言えるのかの内容を書いて、僕が書いた何かがどう間違っているのかの内容を書いてください。
あなたの主張にはその辺りが一切ありません。
僕は王のキャラ的に「のだ」と言うのはおかしいなんて主張はしていません。
僕は日本語での応答としてあの箇所を王の台詞とする限り、「のだ」という語は適切ではないという話と、あの場面に至るまでのモノローグから文脈を判断するに、ネテロの台詞とした方が妥当だろうという話をしています。
反論するなら、その内容を反論しない限り、反論になりません。
加えて、例え僕の主張の中でその箇所が間違っているとしても、他の箇所についてを否定しない限り、あれが王の台詞であるというあなたの主張は通りません。
僕としても、道理に適った指摘をされれば意見を変えるのですが、あなたのコメントの中に僕が意見を変えざるを得ない内容が一切ありません。
あなたの言葉に付き合わされる相手の身になって、相手が困らないようなコメントをするような努力をしてください。」
最初にメルエムが詰んでやろうと言ってたのに、
実は分断された時点で(余が)詰みの状態だったことを悟ったからそうか貴様は最初から(余を)詰んでいたのだ
と心の中で呟くことに何の矛盾もないんですよね残念ながら
だから精々が文法的におかしいぐらいの突っ込みしかできないし、そこもむしろメルエムっぽいと言ってる訳で。
作中で「詰ませてみな」「詰ませてやろう」という意味合いで「詰んでみな」「詰んでやろう」とか何度も言ってるし。
そんな難しい話じゃないんよな。ストレートに受け取って普通にメルエムが言ってる。
何の矛盾もないのに公式アニメも認められず己のおかしな理屈を信じ続けるあたりが実にドラゴンボールの戦闘力議論にいる人達とそっくりなんですわあ
というかあれネテロが言ってると正直センスがなさ過ぎるんだよな…
構図として既に自ら胸を穿ち死が確定しているネテロが言うよりも、その最期のトラップをこれから受けると悟ったメルエムが諦観して呟くほうが実に自然な流れ。
センス云々について個人の主観の問題なので分かりませんが、ネテロが言ったという判断に一切矛盾がなく、逆に王の方であると考えると文法的におかしいという時点で、ネテロの台詞であるという方に軍配が上がるのではないでしょうか…。」
むしろメルエムが言ってるほうが自然な理由がこれまで散々言われてきてそれをまったく崩せていないのに、反論になってない反論云々言うのは滑稽な話。
反論になってない反論を展開しているのはそちらなんだよな…
アニメでそうと描かれている=公式で正しく原作と等しいと主張なさっているようですが、アニメはヒソカについてのナレーションである「ヒソカは属さない」をマチに語らせてますよね…。
旅団に属していることを知っているマチがその事を言っている時点で、アニメ制作側は正しく原作を読み取れているとは限らないのではないでしょうか。
個人的に本来的にナレーションである所を、マチがそのセリフを言うのはおかしいとアニメ制作側が気付けずに、マチに言わせてしまったと考えています。
この記事では原作者以外の手による作品において、声の配役を間違うこともあり得ると示していて、そうであるならば「アニメで示されていることは絶対的に正しい」という証明をそちらでしなければ、話が通りません。
ハンタのアニメなんて、旧版の話ですが「向かうなら東が良い」が正しい所を「向かうなら束が良い」と声をあてて放映したんですよ…?
どういう根拠でアニメ版=原作であると主張しているのですか?
原作のハンタで団長は束に向かえと予言を受けたと解釈した方が正しいとお考えなのですか?
僕が言っているのはアニメ版でそうであったから、原作もそうであるとは必ずしも言えないというだけで、少なくともアニメ版の描写は参考にはなっても確実な証拠としては扱えないはずなのですが。
あなたの主張が、アニメでそうだから原作も等しいと言う主張が正しいとすると、原作でも団長は束に向かってなければ道理に適いません。
もし、原作者がアニメに関わっていたならば、"束"がただの誤植だとアニメ製作スタッフも気付けるはずで、この事は冨樫先生がアニメに関わっているとは限らないという証拠になって、アニメ=原作と一緒だとは一概には言えないと判断する材料になると思うのですが。」
僕は日本語での応答としてあの箇所を王の台詞とする限り、「のだ」という語は適切ではないという話と、あの場面に至るまでのモノローグから文脈を判断するに、ネテロの台詞とした方が妥当だろうという話をしています。
最初から余のことを詰ませていたのか!という意味で詰んでいたのだと言うほうがむしろキャラ的にもシーン的にも適切だなあという話をしてます
そうか…最初から余を詰ませていたのか…じゃちょっとなあ
Fate Zeroのライダーの最期が
あぁ、そうか。この胸の高鳴りこそが……
オケアノスの潮騒だったのだ……
でなくオケアノスの潮騒だったのか…
じゃもう話に没入できなくなっちゃいますわ
ごめんなさい。
Fate Zero見てないんで全く何の話か分かんないです…。
でも見た感じそれ応答ではなくて独白ですよね…。
キャラクター性の話ではなく、目の前に相手がいる場面での応答として「のだ」はおかしいとしか言っていないのに、独白で「のだ」と言っている場面を言われましても…。
僕の方も追記で「のか」が気に入らないなら「のだな」でも良いって話してますし。」
冷静沈着で知能が高い王であるメルエムが、あの瞬間にすべてを悟って、でも詰んでいたのか!
と取り乱すでもなくどこか達観したように、客観的な事実を述べるかのように
(余のことを)詰んでいたのだ
と言うのはとても自然に受け入れられたので。
汚い言葉を使ってすみませんでした。
では
…どっちもどっちのイーブンで終わらせようとしてますが、あなたは王の台詞が文法的におかしいって先に認めてましたよね…。
それを認めた時点でその言及はおかしいのでは?
さっきまでと言ってることが違うというか…。
話…すり替えてますよね…?
加えて、出来ればアニメ=公式であるというあなたの主張に対するこちら側の意見に反論が欲しかったところですが、僕としてもあなたとのやり取りは有意義とは思えませんので、打ち切りましょう。
意見を受けてその内容に反論できないような場面で、ごめんなさいして相手の言葉を受け入れるのではなく、自分でも少し文法が変だと思っているのにその事実をなかったことにして、自分の主張を曲げたくないが故にアドホックな議論を続ける人とこれ以上やり取りするのはちょっと…。
あんなに語気強く主張した、アニメ版=原作の話も一切触れずにスルーして無かったことにしてますし。
しかもあの場面での王の台詞は「貴様は…!」で、泰然と事態を受け入れているとはとても読み取れない状況ですよね…。
あなたの主張する状況である可能性も考えましたが、場面を鑑みるに、あなたの言う流れでもやっぱり、例えば「のだな」というという形でしか成り立ちません。
あなたが言うパターンだと、過去の出来事の想起の場合でしかありえなくて、王のあの場面は過去の想起ではありません。
目の前にネテロが居る限り、文法的におかしいのは一切変わりません。
ともかく、お疲れさまでした。
以後あなたのコメントがあったとしても、そもそも承認しないですし、あなたのことはNG登録しますので、宜しくお願いします。」
王がコマの手前側にいて、ネテロがコマの奥の方にいるために、読者はコマの手前側にいる王に意識を向ける(感情移入する)から、「詰んでいたのだ」の台詞を無意識に王のものだと誤認識してしまったのだろう。
「詰んでいたのだ」のコマのキャラの配置を変えて、ネテロを手前側にして王をコマの奥の方に小さく描いていれば、読者もネテロの台詞だと解釈しやすかったと思う。
結論、冨樫先生の描き方が悪い。って事だな。
僕としては読んでいて一度も王の台詞だと思ったことはないので、あれを王の台詞として判断する人の気持ちが分からないところはありますね…。
ただ、表現としては「そう…貴様は…」でネテロの全身が映されて、その次のコマでそこから少し下がって爆心であるネテロとそれに巻き込まれる王を描いているのであって、話の軸はネテロにあって、流れとしては問題ないとは個人的に思います。
そもそも、僕が一人そうであるように、ネテロの台詞であると普通に読み取れている人が見て取れる以上、その事は普通に読み取れることであると思いますし、それこそ『なるたる』のように、作者と編集者以外の誰も内容を理解出来ていないというような話でしたら作者が悪いと言ってしまって良いと思いますが、あのシーンの場合は本体の記事で示したように、ネテロの台詞であるとしか判断できない以上、僕としては作者が悪いとはあんまり思えません。
『なるたる』くらいになったら作者が悪いとしか言えませんが。
僕としても人から「この場面はどちらの台詞だと思いますか」と聞かれて、その返答をしたということがあって、その返答の内容を記事一つに出来るようにまとめたのが今回の内容で、そもそもとして僕は読んでいて疑問にすら思わなかったシーンです。
結局、あれを王の台詞と判断する人が多いのは、アニメ版で王の台詞だったからというのが一番大きな理由だと思います。
普通に読んでいてネテロの台詞だと思っていたところで、アニメで王の台詞として扱われたというのなら、判断が揺らいで、やっぱり王の台詞か…?となっても不思議な話ではありませんし、アニメから入ったり、原作の方を流し読みしたのちにアニメを見てあのセリフを王が言っていたならば、完全に王の台詞として脳に刻まれますので。
王の台詞だと脳に刻まれた場合、「どちらの台詞だろう」ではなくて、「王の台詞なのに何故違う意見があるのか」というスタートになって、そういう議論のスタートの人も多かっただろうと思います。」
もしかしたら、もっと遡ると他の元ネタあるかもしれませんが
冨樫は幽白の頃からパク…オマージュ多いし何が元ネタでも不思議じゃないですが笑
記事面白かったです
コメントありがとうございます。
昔から限界以上の力を使うと反動が来るという描写はあって、戸愚呂も100%中の100%を使って100%を越えたひずみで死んでいたりしますが、けれどもそうした話は別に筋肉痛じゃないんですよね。
記事に書いた通りに、バトルで無双した後に筋肉痛になるという描写が創作物の中で非常に珍しくて、僕はハンタと『ヒストリエ』でしか出会ったことがありません。
なので、『ヒストリエ』由来なのではという話で、同じ岩明先生の『寄生獣』も『七夕の国』も読んでいて、『ヒストリエ』を読んでいないとは中々に考えづらい以上、冨樫先生はおそらく『ヒストリエ』を読んでいます。
ノヴの能力は『七夕の国』からなので。
パクリ云々に関しては、この世界中の創作物の中で、それを行っていない作品なんてものは一つたりとも存在していないと僕は考えています。
その辺りはこのサイトの他の漫画の記事をいくらか読めば分かるかなとは思いますが…。
ともかく、ご覧になられたかはこちらからは把握できませんが、この記事には本当に酷いコメントが寄せられたりしているので、害意ではなく善意に基づくコメントはありがたい限りです。」
そう思うのは自由ですが、このようなコメントの形で僕に意見をぶつける以上、論証して相手を納得させなければ話は通りません。
かさんがそうと主張する以上必要な事は、ネテロ一人の台詞ではなく二人の台詞であるという筋道立てた説明で、それがなければこちらとしては貴方の意見を聞き入れる道理がありません。
根拠のないただの思い付きに付き合う理由がこちらに存在しませんので…。」
コメント失礼します。
自分はアニメを見る前から詰んでいたのだのセリフは王のものとしか思っていませんでした。しかしネテロのものとするのも理解できました。あの構図はどちらにも当てはまるように描かれているのかなと思うようになりました。
貴様は 詰んでいたのだ はじめから
なので、初めから詰んでいた「のだ」と断定し、事態の説明をやや詠嘆的に言い表しているのだと考えられます。
主さんのいうようにネテロのセリフだと考えると、王が勝っても負けても、王が死ぬことには変わりない、→詰みと自然に受け取ることもできます。
逆に王側からのセリフとすると、ネテロは個人としての頂点ではあるが、種としての頂点にいる自分には敵わない。だからネテロが自分に勝ることはないと当然思っていた。だから王が勝つことは当然だが、王が勝った後にネテロを生かすか殺すかは関係なく、死ぬ定めであった→詰んでいたのだ、初めから
なのかと思っていました。
人間側もネテロが勝つとは思っていなくて、ミニチュアローズで初めから王を殺すつもりだったのでは。人間側にもネテロの勝ち負けはあまり関係なかったのだと思います。
王は種としての自分と、個としてのネテロとで戦っているつもりだったが、爆弾が作動しするあの瞬間、じつはネテロも人間という種として戦っていたことに気付き、人間という種に恐怖した。ネテロは人間の種としての兵隊の1人でしかなく、そこに生死は関係なかったのではないでしょうか。だからネテロには王に勝つ未来はなく、死ぬ未来しかなかったので、初めから詰んでいたのではないかとおもいました。
そのなかで、ネテロが零式で倒すつもりだった、倒せばバラは摘出してもらえる、とありましたが、ネテロは楽しく闘い、倒せたらラッキーというか、奥の手が通用するかどうかだったとおもいますが、それは個人として戦い、自分の技がどこまで通用するかの賭けだったと思います。でも人間からしたらネテロもただのコマの一つでしかなくて、その生死はネテロ自身には委ねられていない。バラを使うまでの過程は、個人としてできるだけのことをしてもいいよ、存分に力を発揮して戦ってくれてもいいよ。でも勝てないだろうからバラを最後にはつかうよね、という。人間からすれば勝てるかどうかわからない賭けではなく、確実な薔薇を使って王を倒したかったので、結局はネテロは死ぬ定めだった、詰んでいたということになるのではないでしょうか。
それを悟った王が、詰んでいた「のだ」と詠嘆したのだとおもいます。
さらに、王のセリフだと思ってしまう理由としては「貴様」ということばにあるようなきがしています。ネテロって「貴様」って偉そうな言葉使いましたっけ??
コメントありがとうございます。
まず、ぴゅんたーさんはコメントの最後に、ネテロは貴様なんて言葉遣いをするのか?と問いました。
それなら二人の台詞ではなく王の台詞であるとか、誰の台詞とも判断できないと主張した方が良かったのではないでしょうか…。
二人の台詞であるという主張の後にそのような前後矛盾することを言われても困惑してしまいますし、その事はぴゅんたーさんのご主張やこの事柄についての理解が、ご自身の思っている程に固まった確かなそれではない証拠になってしまっているのではと思う所があります。
次に、僕は哲学科出身で哲学の知識を持っていて、その中で数少なく有用だと思っている"オッカムの剃刀"という概念があります。
これは「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」という指針です。
それを前提にあのセリフについて考えた時、ネテロの台詞とする場合は、必要な仮説は一つもありません。
王の台詞であるとか、二人の台詞であると仮定すると、ぴゅんたーさんがしたように多くの仮説が必要となります。
しかもその仮説は本編に描かれていないぴゅんたーさんの想像、言葉を選ばないなら妄想でしかありません。
なので、ネテロの台詞と取った方が適切です。
何故本編に記述のない妄想を根拠に相手を納得させられると思ったのですか?
加えてネテロは王を"生まれたての餓鬼"や"虫が"呼ばわりしている以上、貴様は全く不自然な言葉遣いではありません。
よっぽど知らなかった情報を知った時に"のだ"という言葉を相手に向かって言う方がヘンテコです。
何故なら、その事を王の台詞とするにはぴゅんたーさんがそうしたように、本編に描かれてない要素、すなわちぴゅんたーさんの想像力に基づく沢山の仮定が必要になるからです。
ちなみにネテロは28巻p.22で、「ここは墓場 貴様のな」と言っています。
僕は書かれている内容の話しか基本的にしてませんし、それ以上の事は全て分からないで終わらせますので、本編に描かれてない想像の話を沢山されても困ってしまいますね…。
ネテロの台詞と判断するならば"想像"なんて一つも入れずとも話は終わるので…。」
コメントありがとうございます。
この記事を書いた後に、ネット上でこの話題について色々僕の方でも調べているのですが、そうと主張する人数だけで考えれば王の台詞である意見の方が優勢なんですよね…。
なので、少なくとも議論の余地はある様子があります。
ただ、そうと言えども、この記事で書いた理由でネテロであると理解した方が妥当であると僕は考えていますし、今まで寄せられた反論も、ネテロの台詞であるという主張を覆すようなそれはなかったので、ネテロの台詞であるという考えは別に揺らいではいませんが…。
僕としても、どう考えてもネテロの台詞なのに…と思う所はありますし、そもそもどうして王の台詞だと思うのかが感覚的にも論理的にも理解できないというのは事実ですが…。」
メルエムのセリフが多数派とは驚愕です。ziroさんの考察は根拠の提示、論理的にも的確で異論の余地は無いと思います。仮にメルエムのセリフとしても最強と自覚していて勝利が当たり前と疑いもしないメルエムがネテロの悪意を感じとって初めて自らの死を覚悟させられた瞬間にネテロに向かって「貴様は最初から詰んでいたのだ」はあり得ません。単に理解力が無いだけです。実際考察の通りネテロは最初から詰んでいた訳でもなく(極論、逃げて勝ち確条件を再編して再戦する選択もあり得る)、薔薇で確実に仕留められるメルエムが最初から詰んでいたのは明らか。アニメ版でメルエムの声だったとの反論も製作側の間違いでしかなくそれを持って根拠としている人は間違いに気付けないだけの話。そんな人達は仮にネテロの声だったとしても「違う、メルエムのセリフだ」とはなっていないでしょう。
結局、こういう話は理屈ではないのだと思います。
何故というと、しっかり僕が書いた内容を読んで、おそらくはコメント欄でのやり取りも確かめた上で、なお王の台詞だと思っている人が居て、その事が明晰であるかどうかや、道理に適っているかなどは、ある人物がある事柄を正しいと信じるという出来事において、そのことは別に理由にならない様子があります。
そもそも、何年も前から僕は聞く気がない人に何を言っても無駄だと考えていると言明していて、僕はあのセリフを王のそれだと思う人の考えを変えようとは思っていません。
ただ、作中の描写に従えば、ネテロとした方が妥当だろうという話をしているだけでそれ以上でもそれ以下でもありませんね…。
レスバとか心底嫌いですし…。」
アニメ見て違和感があったからここに辿り着いた
>王はその実力差からネテロの生殺与奪をほぼ握っていると認識していたようだし、生かすも殺すも自在と思っていた相手に初めから死の運命しかなかったと気づいた時のセリフとして「詰んでいたのだ、初めから」はあると思う。
これが一番納得できる
殺さず名前を聞き勝利するのが当たり前という王の前提を考えれば確かになと
本質さえ捉えていれば国語的にどうかなんて些事じゃないの
反対意見を頑なに受け入れられずダラダラ長文書いてるように見えてダサいっすわ
「地獄があるなら またあおうぜ」ってネテロほどのキャラが最後のセリフとしてキメてるのに、そこから一人で続けるのは漫画的にダサいのも王説の補強になるね
別の意見として「詰んでいたのだ」は二人同時の独白ってのはオシャレで納得だ
上のコマはそれぞれの視点、詰んでいたのだ以降太字になっているし素晴らしいセンスだなと
いずれにせよネテロ説しか考えられないような人は漫画への理解が浅いと言わざるを得ない
本文に書きましたが、僕が書いた何かを間違っていると主張するなら、まずネテロの台詞ではないということを論証してください。
貴方のコメントにはその部分が一切ありません。
ダサいとかオシャレとか言ったものは、個人の感性の問題なのであって、その事は貴方がそう思ったという感想以上の何かはありません。
感想と客観的な事実の区別がついていないのですか?
そんな意見をぶつけられてもこちらは困るだけです。
加えて、貴方は「本質さえ捉えていれば国語的にどうかなんて些事」と言及していて、王の台詞とすると文法的におかしいと認めています。
『HUNTER×HUNTER』のある台詞が誰の台詞なのかの読解が論旨である以上、文法的におかしい一つの意見と、文法的に正しく他にも一切の瑕疵がない一つの意見があったなら、後者を読解的に正しいとする以外にありません。
王の台詞とすると文法的以外にも様々な問題があって、けれども、ネテロとすると一切の問題はありません。
貴方はそれを無視してダサいとかどうとかを根拠に相手に意見をぶつけていて、こちらからは都合が悪く反論も思いつかないから話をすり替えて見て見ぬふりをしているようにしか取れません。
そこを相手が納得できる形で論証出来なければ論外です。
なにせ、論じゃなくてただの感想が根拠なんですから。
とにかく、貴方の意見は反論になっていませんので、以後もなお反論を続けたいのなら、ネテロの台詞ではないという論証と、文法的に正しくない王の台詞とする方が正しいとする論拠を示してください。」
詰んでいたのかじゃないとおかしいと言われてもいやメルエムならのだ、だなあと普通に思うもんな
めちゃくちゃ自然に受け取れる
逆にのかだとメルエム感がなくなってしまう
なんか超サイヤ人の戦闘力が1億5000万であることを認められない人達と同じ匂いを感じる