GWに宮城県の亘理町と山元町に行ってきた。
現地では宮城県塩釜出身の山寺幸一さんに紹介していただいた絆プロジェクトの菅井代表(右)と地元で教頭先生をされている佐藤先生(左)に案内して頂いた。
「とにかく被災地を見てほしい。そしてより多くの人に現状を知るきっかけを作って欲しい。それが必ず長期的な支援につながるから。」
2人から何度も何度もこの言葉を聞いて、このブログを書くことにしました。
被災地の痛ましい状況は連日の報道で覚悟の上だったが、想像を絶するものだった。瓦礫の山、グニャグニャに曲がったガードレール、歪んだ電柱は映像で見たものと同じだが、その風景が果てしなく果てしなく続いている事に驚いた。
亘理から山元、福島との県境の近くまで沿岸部を案内してもらった。
家は根こそぎ流されて、跡形も無くまるで西部劇に出てくる広大な荒野のような景色。
坂本駅の歩道橋
駅の周りだけでなく線路沿いには何キロも沢山の家があったという
佐藤先生は何度も「ここに沢山の家が建っていたんですよ。元の状態が分からないから想像できないかもしれませんが、街があったんですよ。沢山の人がここで生活していたんですよ」と繰り返した。「ここに教え子が住んでいたんですよ」「ここに立派な神社があって毎年お祭りで盛り上がっていたんですよ」「ここに漁師が集ってよく飲んでいたんですよ」と佐藤先生は思い出を語ったが、海岸から流された砂に混じって茶碗や瓦の破片が 散乱する地面からしか生活を感じることができなかった。
そんな風景が延々と続く。復興に4兆円じゃ全く足りない・・・
菅井さんが「現状を知ることで、伝える立場として軸ができるのでは」と話していたが、甚大な被害の一端を見ることで確かに問題意識が自分の事として捕らえられるようになったように思う。
菅井さんは自分の仕事を休止して、貯金を食いつぶし、毎週千葉から被災地を何往復もしているという。1日2時間ほどの車中での睡眠で、身体もボロボロだと。
菅井さんのように熱意を行動に移すことには万人には不可能かもしれないけれど、それぞれにできる形で被災地を支援することが重要。
他人事じゃない、日本全国で長期的に支えないといけないという意識を薄れさせてはいけない。細やかな報道、継続的な報道の大切さを強く感じた。
後日佐藤先生から送られてきたメールの抜粋です
「私は自分の町が好きです。みんなも大好きです。だから離れないのだと思います。それが復興の意欲とともに妨げにもなるのだと思います。
次代を担う子供たちのために・・・子供たちがいきていくためにも、日本を動かしていく人々の心が大切だと思います。ぜひ、そうした方々に現場を見て考えるきっかけを作ってください。お願いします。」