〇…「択捉に松前藩士の墓所 対露警備の実態裏付け」と、毎日新聞が報じた墓は、択捉島の中ほどにある振別で発見されたものだ。今年5月に択捉島在住ロシア人から日本人の墓が写った12枚の写真を入手した。墓石には氏名や年月日が刻まれており、江戸末期の文政9年(1826年)から嘉永4年(1851年)にかけて建てられた墓だった。
〇…ちょうど9月に北方四島交流事業の枠組みで実施している歴史文化専門家交流の中で、択捉島での調査が予定されており、その際に新たに見つかった墓地に行けるよう島側に要請した。結局、諸般の事情で現地を訪問することはかなわなかったが、墓を見つけたロシア人に直接話を聴くことは出来た。
〇…墓を発見したのは択捉島に住んで40年になるというセルゲイ・シュタリョフ氏(61歳)だった。
〇…「2016年5月に振別川の左岸にある小高い丘で発見した。クルマで行ける場所で、紗那(クリリスク)からだと1時間10分で老門(オイト)に着き、さらに振別方面に10分走ったところにある。北方墓参や自由訪問で日本人が訪れるのはかつての集落の跡で、この墓には来ていない」
〇…「古い日本人の墓があるらしいということは、情報としては聞いていた。自分は老門にある水産加工場スキット社に勤務しており、近くに住んでいるので探しに行った。墓は小高い丘、ちょっとした高台に固まって建っていた。全部で15基あった。振別湾を背にして立つと、5月ころは草丈が低く、肉眼でも見えた。墓の隣にはカラマツの木が2本立っており、人の手で植えられた木のように感じた。15ある墓のうち4基は倒れていた。誰が埋葬されているのか知りたいと思い、墓の写真を撮った」
〇…これが、彼が撮った写真だ。
文政九 丙戌 年 明石季賢墓 三月六日
嘉永四 辛亥 年三月六日 文政十一 戌子 年
箱舘 村田亀之烝墓 藤原正蔵隆則墓 三月十三日
天保十三年 任 家紋〔仙台笹〕 文政九 丙戌 年 鈴木奥八墓 □□三日
鈴木重成墓 寅 十月十日
門人 水牧吉蔵 吉田又十郎 西川左九郎 丙 天保七歳 申 三月八日
古川朝日會□ 西遊?
文字不明 天□□ 釈妙墓
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