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芸術は漠然だ!~斉と公平太のムダに考えすぎ~

コンビニ草餅のカップは芸術だ!?中編

2024年12月17日

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上から1枚目と9枚目


前回からの続きです。

プラカップの模様「雲竜」をつなげていきます。上から重なっていた順番に番号つけてあります。重なっている順番と製造工程との関係を見るために1枚目を1番左に配置してつなげていきます。
1枚目につながるピースは9枚目でした。

上から1枚目と9枚目をつなげたもの


つなげるとこうなります。こんな感じでどんどんつなげていきます。

1枚目9枚目13枚目14枚目


13枚目と14枚目はほぼ同じですが位置が少しづれています。このようなものも全てつなげた方がより正確な四角に近づけるのですが、作業的に時間がかるので、これ以降は省略しました。

上から2枚目と6枚目


6枚目と2枚目をつなげたもの


こうやってつなげっていって1ユニットのおおよその全体像が見えてきました。

1ユニット


この赤い線で囲った部分が1ユニットです。1ユニット長さは50cmあります
前編で「1」と「2」が同一の模様だと勘違いしたように、一見もう少し短いユニットで繰り返されてるようにも見えますが、よく見ると違います。

1ユニット内で同じ形の認識しやすい部分を青で囲う


わかりやすくするために、認識しやすい形で何度も使用されている同じ形の部分を青い線で囲みました。
「6」と「7」が同じ形の使用率が高いので同じ模様だと間違えそうですが、青い囲みを比較すると違うことがわかります。

雲竜500枚セットにざっと目を通しましたが、全てこの長さ50cm×幅11cmの範囲の模様の中で円く切り抜いてある、というので間違いないようです。
この左端の「1」と右端の「7」をつなげると下記の図になります。

「1」と「7」をつなげた画像


このようにつなげて繰り返せるので、オリジナルの絵が実際はどこではじまってどこで終わっているのかはわかりません。
結局、重なっていた順番と切り抜かれた位置に関係があるのかどうかもわかりませんでした。

この画像の1ユニットの模様をループした帯状のシートがロールになったものを機械で円く切り抜いていると推測します。

プラカップ用円切りマシーン妄想図


そこから妄想したのが上の図です。あくまでも妄想です。

幅11cmと書きましたが、円の直径ギリギリすぎるのでもう少し幅はあるような気がします。
それと、セロテープの製造工程を調べると幅の広いロールを輪切りにしているので、この幅の模様ではなく、もっと大きな絵が存在する可能性もあります。

タイトルを「コンビニ草餅のカップは芸術だ!?」としていますが、『?』とつけている通り、これが芸術かどうかはわかりません。しかし、この絵に作者がいるということは間違いないのです。
この「雲竜」(50cm×11cm)を作品として考えてみると、この絵自体がループされることを前提に描かれているのですが、この絵の中にも同じ模様の繰り返されている部分あります、これは「コピー&ペースト」を使用していると思います、言葉が悪いですが、このことを「手抜き」ととらえることもできますが、もともと使い捨てのもので、購入の際にパッケージの外側からハッキリ見える絵でもないので、売り上げへの影響等考えれば、この絵にコストをかける意味はないので仮に「手抜き」であっても、何ら問題はないと思います、ただ、これは「手抜き」ではないかもしれないと思ったりもします、なぜなら本当に手抜きをするなら50cmじゃなくもっと短い範囲で1ユニットを作っても良いはずだからです。というかそもそもコストのことを考えたら無地でも良いじゃん、というふうになるはずですが、やっぱり模様がないと寂しいのでしょうか。しかし、実際は同じような大福の商品でこのようなカップや底紙がなく、そのままビニール袋に入った商品もあります。
「手抜き」などと失礼なこと書いてしまいましたが、コピー&ペーストで画面を構成するのもそれはそれで難しいので、本当のところは作者に聞かないとわかりません。作者の方すみませんでした、あくまでも考察のために手抜きという言葉を使用しました。
というか、そもそも模様は繰り返しで構成されているものが多いので何も悪くはないです。

このプラカップ雲竜の絵は大量に複製されているものです。大量に複製されているということは、大量に複製されるだけの価値があると、とらえることもできます。逆に考えると大量に複製されているから希少価値が下がるという考えもあります。マーケット内の美術作品の価値には、そのような希少価値「この世に一つしかない」というものもあります。(もちろんそれだけではないですが)そして、その希少価値のある作品の存在を知るのは大量に複製された印刷物やメディアによる画像だったりもします。
しかし、このプラカップ雲竜は、大量に複製されていると同時に、円く切り抜く位置が必ずしも同じではないため、その1枚1枚は同じ模様ではない、つまり希少である、という矛盾した存在なのです。

プラカップ雲竜の絵を50cm×11cmの絵と書きましたが、前述したようにループすることを前提に描かれたとすると、模様がループしたメチャクチャ長い絵が完成サイズと考えることもできますし、円く切り抜かれた絵が完成形と考えることもできます。

このことから全体と部分について考えたりします。
自分がいつも見ているのは、この世界の一部分なのですが、全体は部分の繰り返しなのか?というと、そういうわけではないです。ただ全体を見ることができない以上、部分から全体像を推測するしかないのです。
描かれているのはいつも何かの部分であり、そのフレームの外側についてはわからないのです。もちろん、そのフレーム内で完結して観てくださいよ、というための額縁があったりするのですが。

市販の「モナ・リザ」のポスターを筒状にしたもの(2021撮影)


市販の「神奈川沖浪裏」のポスターを筒状にしたもの(2021撮影)


上の2枚の画像は
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」
葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」
の、市販のポスターのそれぞれ右端と左端をつなげて筒状にして、そのつなぎ目を撮影したものですが、「モナ・リザ」も「神奈川沖浪裏」も右端と左端が、だいたい絵としてつながることがわかります。
ここからは僕の妄想なのですが、作者はこの右端と左端がつながるように意図的に描いていると思います。
それは構図的な理由でそうしたとも考えられますが、この辺は既に専門家が指摘して分析してるかもしれません。
単なる偶然かもしれませんし、僕のこじつけ的な見方かもしれませんが、この2枚の絵もプラカップ雲龍と同じ構造に思えるのです。

僕の妄想では、このように描いた方が観賞者がフレームの外側への広がりを意識するからではないかと、この絵は繰り返される世界全体の一部分ですよ、という、そのような意図があるのではないかと思ってます。あくまでも妄想ですが。
この2枚の名画も草餅プラカップ雲竜も同じ世界の中の一部分だということです。

次回、後編に続きます。次回最終回です。
今年もお読みくださりありがとうございました。2024年もあとわずか、2025年も良いお年を!


「コンビニ草餅のカップは芸術だ!?」前編のリンク
https://plus.chunichi.co.jp/blog/saitou/article/591/11690/

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お知らせ
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既に告知されておりますが、このコーナー「達人に訊け」の終了にともない、このコラムも2025年1月で終了し、来年3月には無くなるので、この形で読めるのはあとわずかですよ!

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