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芸術は漠然だ!~斉と公平太のムダに考えすぎ~

盗作疑惑と釈明、知らずにやってしまったアイデアの被りについて

2023年9月16日

今回は私の作品の盗作疑惑について書いていきます。この疑惑は自分で気がついた盗作疑惑です。既にある作品の存在を知らずに作って発表してしまったことについての壮大な言い訳になります。

下の画像作品ですが、2013年に展示したこのペットボトルに水が入った作品と全く同じアイデアの作品が1970年に既にあったことに最近気がついてしまったのです。

Michael Craig-Martinさん(1941- )の“On the Shelf” (1970)は水を入れたガラス瓶を沢山並べて斜めに傾けてあります。水の量は上の画像と同じように繋がって見えるように調整してあります。画像は著作権の関係でここで直接は使用できませんので、興味のある方は検索してみてください。

ちなみにこの件に関して誰かに指摘されたのではなく、自分でインスタグラムを見て発見して『あ!やばい、これパクリだって言われたら炎上するやつだ!』となったのです。

で、これは僕がMichael Craig-Martinさんの作品を知らずに同じものを作ったわけで、知っていてパクったわけではありません。ただ嘘を言ってないと証明できるわけではないです。知らなかったとしても完全にアウトです。

気がついてすぐに自分のFBページやインスタにアップしているこの作品の画像を削除しました。紙の印刷物で出回っているものに関してはどうにもならないので、この場を借りて釈明するしかないのです。本当に反省しております。

「シリーズ心理学と仕事 感覚・知覚心理学」北大路書房 という本に僕が寄稿しているのですが、文章の横に過去作品としてこのペットボトルが掲載されています、もし目にした方や購入した方がいたら、すみません。

現在のネット時代、盗作するほうがリスクが大きいです、すぐバレます。盗作の意図がなくても先行する作品とのアイデアの被りを防ぐのはなかなか難しいです、でも被ったら恥ずかしいです。だから良く調べてから制作しないといけません。

で、この盗作について僕なりに考えたことを書いていきます。

先にインスタで発見したと書きましたが、インスタでの表示される仕組みはよくわからないのですが、僕のインスタにはフォローしてなくても美術関係の画像が表示されます。それは僕が普段インスタで美術関係の投稿を見ているので、自動的にそのようになるのだと思うのですが、そこにMichael Craig-Martinさん(1941- )“On the Shelf”(1970)の画像が流れてきたのです。

これはNicoKokさん(1954~)という作家の方がいろんな作家の作品を紹介している「nicokokartinspiration」というアカウントのインスタ画像でした。ここに紹介されている作品がめちゃくちゃ僕の好み、どストライクの作品ばかりで、「最高!!」というのと、「やろうとしてたアイデアが全部やられている」という感じです(このNicoKoksさんも美術作家でこの人の作品も非常に面白いです)。このような美術作品の画像を紹介しているアカウントでは、「EmptySpace」と「GNMH CURATOR」と「Nighttimestory」「All MyFavorites」というインスタのアカウントで紹介されている作品が僕の好みの作品が紹介されています。

僕は1972年生まれですが、学生時代に海外の作家の情報を知る方法は、日本の美術雑誌で紹介されている海外の作家、そして洋書。洋書は洋書を売っている本屋に行くしかありません。本屋に置いてある洋書の画集もある程度セレクトされたものなので、一番良いのは海外の美術の雑誌ということになります。当時、大学の図書館に読みたい洋書のリクエストを入れたりもしました。若いころ(90年代)に美術作家の家にお邪魔した時に、やはり本棚に洋書(画集)がたくさんありました。海外の情報を手に入れたりするために洋書を手にいれたり読んだりできる環境、お金がないとできません、美術大学の図書館というのも特別な環境かもしれません。

それが、現在インターネットで有名無名問わずに、それら海外の美術作品を簡単に見ることができるのです。特にインスタがすごいと思います、WEBでは知ることができなかった作品の画像を並列して見ることできるからです。

10年ほど前にチェコに行った時、バスの側面に展覧会の広告が貼ってありました。その広告に使われている彫刻作品が良かったので写真を撮って、日本に帰ってから、その作家の名前で検索してみたのですが情報が出てきませんでした、今ならインスタで出てくるかもしれません。海外の中堅作家でも日本では知られてない作家も沢山いるでしょう。


2013年にこのペットボトルの作品をグループ展で発表した時、他に、僕は「振替払込受付証明書(東日本大震災の赤十字へ募金したもの)」と「献血カード」を同じ空間に展示しました(何故そんなものを展示したかというと最初に展覧会企画者から送られてきた企画書に震災云々と書かれていたので、それを考慮して募金や献血を呼びかける意味で展示しました)。

この時、twitter(現X)で、この僕の「振替払込受付証明書」を観て、

『豊嶋康子さんの『振リ込み(1996-)のパクリだ』

とツイートした評論家?の人がいました。

豊嶋康子さん(1967〜)は有名な美術作家ですし、美術雑誌によく取り上げられている人ですので、僕は豊嶋康子さんのこの「振リ込み」という作品を知ってました。知っていて敢えてやってます、ただ、この豊嶋さんの「振リ込み」という作品は、豊嶋さんが豊嶋さんの別の銀行の口座に振り込むという作品で、意味が全然違うと思ってますが、どうでしょうか?

このツイートを僕はメンドくさいのスルーしてましたが、知り合いが、

「あれ震災への募金ですよ」

とリプライをしてました。するとその人は、

「そこまで見てない」

と返してました。僕は正直それを見てズッコケました、見てないのかよ、と。それがわかっても、やはりその人は振り込みを作品にしているから「パクリ」だと思ってるみたいです。まあ、すでに募金することを作品にする人がいてもいいや、という気持ちで展示したのでそれはそれで良かったのですが、今思うとこのペットボトルの作品については、そのツイートした評論家がパクリだと言わなかったのはMichael Craig-Martiさんの“On the Shelf”を知らなかったからだと思います。2023年現在だったら確実にパクリだといわれているでしょう。

ここで重要なのは鑑賞者が先行している作品を知っているかどうかということと、何を持って類似とするかが問題になります。

このペットボトルの作品を見て知り合いの美術作家が、「作ってないけど、自分も同じアイデア考えたことあるよ」と言いましたが、Michael Craig-Martiさんの作品については知らなかったみたいです。

これは僕も作る前に「既にある作品かもしれない」となんとなく思ってました。何故なら現代美術のよくある「仕草」というか「振る舞い」というか「型」のようなものにあてはまり、「ベタ」すぎるかもと思ったからです。これは言い訳に聞こえるかもしれませんが、言葉が悪いですが誰もが思いつきそうなアイデアかもしれないと思ったのです(1970年に思いつくのは難しいですが)。

例えば「時計の針が動くんじゃなくて時計全体が回る」というアイデアを思いついたことがあります。すると最近、twitterで、そのような動画が日本でアップされてバズってました。「あ、やっぱり同じようなこと思いつくんだな」と思ったのですが、やはりインスタで、これより前に作られた、時計を使った同じアイデアのイギリスの作家の作品がアップされていました。これもパクリではなく偶然だと思います。

2015年に森美術館「シンプルなかたち展」で展示されていた日本の有名な作家の作品が、海外のこれまたドイツの有名な作家の作品とほぼ同じだったのです。これもパクリではなく日本の美術作家の人が単に知らなかったからだと思います。

何故そう思うかというと、繰り返しになりますが、既に有名で活躍している作家がパクったら見つかった時のリスクが高いからです。既に活躍しているのに、わざわざそんなリスクの高いことをやるとは思えないからです。もし仮に知っていたらパクリ元の作品も作家も有名だからバレないと思うのは無理があります(名前を出すと批判していると誤解されるので名前は伏せます)。

ちなみにこの作品も初めて見た時「あ、俺もこれ考えてたわ〜」と思ったのです。しかし不思議なのは森美術館の学芸員が先行するドイツのこの作家の作品を知らなかったのか?ということです。

この作品についても、インスタを見たら、似た作品が、この元となったドイツの作家、日本の作家以外にも出てきました。ただ画像や動画だけなのでコンセプトが違うということも考えられますが、見た感じが同じです、これもパクリではなく偶然でしょう。

インスタを見ていると、日本国内の有名な作家の作品も、「あれ、同じのが既にあるじゃん」というのが結構見つかります。(自分のことは棚に上げて)ここまでくるとコンセプチャルな作品はアイデアが被ってきてしまって、無理です。逆に絵画の方がトレスをしない限り、自分で直接描いてあれば似ててもパクリとは断定できないところがあります。

世界的に有名なNさんという日本の美術作家、画家がいます。インスタを見ると、このNさんそっくりの作品を作っている作家が日本だけじゃなく世界各国にいてビックリします。これは贋作じゃなく微妙に違うのがミソです。とは言えこれらはNさんの作品を知らずの偶然に似ているのではなく知っていて意図的に似せていると思います。これもインスタの表示のアルゴリズムのせいなのか見だすと似た作品がどんどん表示されます。

しかも驚いたのは、Nさんの作品を壁に飾ってあるその横に、このそっくり作品を飾っているコレクターがいたことです。このNさんに似た作品も売れているのです。これは予想ですが、Nさんの作品というよりそういう画風が好きだら似たような作品を買うとか、Nさんの作品が高いから似たような作風の安いものを買うと、なおかつ厳密な意味で贋作ではないからだと思います。

これについてNさん本人はどう思っているのか、ずっと疑問に思ってましたが、去年、このNさんに似た作風の一人であるスペインの美術作家が日本で個展をやることになり、ある雑誌が、その美術作家にインタビューをしたらNさんのファンだと言っているということを、その雑誌のtwitterアカウトで好意的にツイートしてました。(しかもこの雑誌は過去にNさんの作品を表紙に使ったことがあるのに)そして、とうとう、このツイートをNさんが引用リツイートして苦言を呈してました。Nさんは知っていたんだな〜と。

ここで考えられるのは2パターンの判断なのですが、

(1)●AとBは似ている。Aが好き、BはAを真似ているからダメだ
と、
(2)●AとBは似ている。Aが好き、BはAに似ているから好きだ。

という2パターンが考えれます。

このNさんそっくりの作品の作家群は「マーケット」という観点では需要があり評価されているのだな〜と思います。

Nさんに似た作品ではないですが、そういった類の作品を具体的に例に出し美術関係者に話したりすると、「そんなのマーケットで売れてても、まともに受けとめてるやつは美術館や学芸員や評論家にはいないよ」と返されたりするのですが、ところがどっこい、そういった作品でも美術館で展覧会をやったりしてるので、それについて言うと「う〜ん」と言ったりします。

これはこっちの、自分の判断基準が間違ってるのかもしれないという可能性もあります。

もう一人インスタで観測できるそっくりな作品がよく見られるのはリヒター(Gerhard Richter, 1932~)の抽象画(板で絵の具を伸ばすやつ)に似た作品です。Nさんの作品に関しては具体的なものが描かれており表面的作風というか雰囲気は似せやすいのですが、このリヒターそっくりの作品は抽象画でトレスではないし、描き方が同じだけで厳密な意味で同一ではないですが、やはり似てると思ってしまいます。抽象画を似てる似てないというもの変な話ですが(しかも引用という意味でやってるわけでもなさそう)。この作家も結構売れているようです。これもリヒターの本物を買うと高いので安い方を買う、しかも贋作ではないということではないでしょうか。

で、僕も大学卒業してから、発表するたびに「パクリ」「そんな作品既にある」「似てる」と言われ、そのつど反省して作風を変えてきたのですが、それについては指摘してくれた人たちには感謝しております。それがなければ真にオリジナルな作品を作ろうと思わなかったはずです。

しかし、今ではそのように指摘してくれていた学芸員、評論家が推していた美術作家の作品に先行している作家がいることを主張することができます。それはインターネット、インスタがあるからです。まあ実際にはしませんが(インターネットには偽情報もあるのでその点は注意しなければならないですが)。現在は僕が学生だった30年前や少し前までアクセスできなかった情報に簡単にアクセスできますし、洋書もインターネットで購入することができます。

昆虫の新種を発見するには、現在発見されている昆虫を知っていないと無理です。美術作品や作家を、それと同じようにに判断するのであれば、過去の作品を知っている必要がありますが、全てを把握するのは無理です。学芸員や評論家など一部の人間が知識量で優っているということが前提だったはずです。しかし、今はインスタがあります。ただ、ネット検索の知識と学芸員や評論家の知識を単純に比較していいと思ってはいません。

それと、新種の昆虫のような判断が美術の対する良い判断基準かということもわかりません。知識のマウント合戦みたいになってしまいます。

僕はこの連載コラムで「ライオンマン」「ガルゲンベルグのヴィーナス」について書きましたが、学芸員にこの2つについて知っているかを何人かに聞きましたが、知っている人はゼロ人でした。これは冗談で知っているかどうか聞いみてるだけです。これをもって「なんで知らないんだ」とは言ってはいけないと思います。しかし、評論家や学芸員に「〇〇も知らないのか」と散々言われてきたので、言ってやろうかと思ってしまうこともあります。

2021年に個展をやった時、コレクターが来てやはり「これは〇〇のパクリだ」ということを言い出しました。まあ、それはそれでしょうがないなと思って、黙って聞いてたのですが、「オオウチ錯視」について僕とLothar Spillmann博士と小松英彦先生との共著名義のテキストが掲載された冊子[Perception]を見せたら、オオウチ錯視の図版を見て

「これは東京オリンピック2020エンブレムのパクリ」

と言い出したのです(このコレクターの感想で僕の感想ではないのです)。

2020年東京オリンピックのエンブレムよりオオウチ錯視の方が先ですが、このコレクターは「オオウチ錯視」のことを知らないようでした。もうこれ以上この人と話してもしょうがないと思い、話すのをやめました。「オオウチ錯視も知らんのか!」と言ってやろうとも思いましたが、それではこのコレクター同じレベルになってしまうのでやめました。別に知らなくてもいいです。

このコレククターの主張が本当なら逆に2020年東京オリンピックのエンブレムデザイン「組市松紋」の野老朝雄さんという方のデザイン(佐野研二郎さんじゃない方のデザイン)が「オオウチ錯視」のパクリだということになります(※くどいですが、これはこのコレクターさんの意見です)。しかし、あんだけ佐野案が話題になったのに、そんなことにはなりませんでした。

皆さんも「オオウチ錯視」と検索して出てきた画像が2020年東京オリンピックのエンブレムと似てるかどうか見てみて判断してください。僕は似てないと思います。

コレクターが買う判断が真っ当かどうか、知識があろうがなかろうが、買う買わないはお金を持っている人の自由です。マーケットが作品の価値を判断するということはそういうことなのです。

じゃあ知識がなければ作品を評価できないかというとそういうことではないです、しかし、知識でマウントとろうとしてくるなら、間違ったこと言うなよとは思います。お前が言ってくるから、こっちも言い返そうかと思うだけです。本当はこんなことはバカバカしいと思ってます。

話がだいぶそれましたが、この時代に新しい作品を作るのは、ほぼ不可能だということです。これは30年前も散々言われました。

インスタをパトロールすると本当に面白いくらい、今活躍している作家と同じような、年代的にはそれらより古い作品が出てきます。ただ、本当に盗作して知らんふりをしている人もいるので、それはそれでめんどくさいです。

また似ているというのをどのレベルで言うかというのも問題になります。「オオウチ錯視」と「2020年東京オリンピックのエンブレム」が同じに見える人もいます。どの程度の差異があれば違うと言えるのか。

極端な例ですが、「富士山を描いた絵」があるとすると、世界で最初に富士山を描いた人がオリジナルで、それ以降は最初に富士山を描いた人のパクリか?と言えばそんなことはないわけで、構図や色等の類似点で人は見るでしょう。何をもってして似てるというのかということです。


「それ1940-50の抽象表現主義、1970ー1980ニューペインティング、1980のシミュレーショニズムと何が違うの?」

という作品を作っている作家がいたとしても、完全に同一じゃなければいい、とか、なんとかいうことなのか?

いや初めからそんなことどうでも良かったことなら、じゃあさ、じゃあ美術史がなんとか、かんとか、なんだったのか。

結局金か、金なのか。

と思考の収拾がつかなくなったので、ここでやめときます。

結論は、
僕は先行する作品があれば素直に謝りますよ。ということで本当にすみませんでした。

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