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芸術は漠然だ!~斉と公平太のムダに考えすぎ~

アンドロイドは斉と公平太の夢を見るか?OpenAI「DALL・E2」の衝撃!!

2022年6月3日

今回連載5周年記念ということで、最後にプレゼント企画の告知があります。

■OpenAI「DALL・E2」がすごい!!


みなさんはもう、OpenAI「DALL・E2」のことはご存知でしょうか?(僕は最近、人から教えていただきました)
大雑把に説明すると、言葉を入力すると自動的に絵を生成するAiなのですが、これがもう人間が考えて絵を描くのと変わらない、というのが僕の印象です。まあ、ここで比較する「人間」の定義が曖昧ですが。

https://openai.com/dall-e-2/

僕は人工知能の専門家ではないので、正確なことは上記リンク先を見てくださるか、「DALL・E2」と検索して見てください。僕はものすごく驚きました。あまりにも驚いたので、本当は頭を整理してから書くべきですが、驚いた勢いのまま考えたことを支離滅裂に書いていきます。人工知能のことは全然わかっていません。以下、ど素人丸出しの感想です。

数年前から人工知能の描いた絵というのは何度か見てきましたが、今回のは、ちょっといままでとはレベルが全然違うと感じました。絵の面白さで言ったら、逆に過去にみてきた人工知能の絵の方が面白かったかもしれません。それは、いかにも人工知能っぽい、人間に描けないようなバグが生じたような絵だからです。バグという言葉が適切かわかりませんが、それを人工知能の作風だと僕はとらえていたのです。でも、それも人工知能に対する僕の偏見かもしれません。

しかし、この「DALL·E 2」は、そういったものではなく、本当に人間と変わらないと感じたのです。

この「DALL·E 2」が、アドビのソフト(フォトショップやイラストレーター)のように普及したら、すごいことになる、いや、すごいことというか、それが当たり前になって、すごいことじゃなく普通のことになるかもしれません。

説明書やチラシに使うイラストを人間に依頼するより安い値段で人工知能が描くことができるようになったら、人工知能の描く絵の使用が増えると思います。人工知能単独の使用ではなくても制作時間を短縮する目的で利用して、微調整や仕上げを人間がやるようなことが普通に出てくるようになると思います。漫画やイラスト、デザインでも大いに役立ちそうです。絵を描くのが苦手な人が、これを使って漫画を描くということがでてくるかもしれません。

これは例えば、風景をミニチュアに見えるように撮影する作風のカメラマンがいるとして、今はスマフォのアプリで風景をミニチュア風に撮影することができます。
この例えは、カメラマンを批判する意図ではないです。カメラマンの作品とアプリはもちろん違います。あくまでも技術の進歩はすごいという例えです。スマフォで顔加工するアプリも30年前ならメディアアートだと言って発表して、通用したかもしれません。

で、現代美術はどうなんだ?ということですが、めちゃくちゃ人工知能が普及してくると、人工知能に描かせること自体に意味や批評性を持たせるということができなくなってきます。

ただ、コンセプチャルな作品も人工知能に過去の現代美術を学習させれば、すぐに人工知能なりのアイデアを生成できそうです。すごく斬新なアイデアが出てくる可能性もあります。

■作る人と作られたものの関係

絵を描く人工知能について考えることは、作品を作る主体と作品の関係について考えることになります。昨今、セクハラやパワハラ、暴力を振るうような映画監督や美術作家のことが問題になっています。これについては、言うまでもなく絶対ダメなことで、加害者は罪を償うべきです。色々な現場でそのようなことが起きないように取り組むべきです。

そこで、そのような人物によって作られた作品をどう扱えば良いのか?ということが問題になってきます。僕個人の感情としては、そんな奴の映画や美術作品は非公開にしてしまえと思ったりもしますが、現実に本当にそうした方が良いかどうかは、僕も結論が出ていません。ケースバイケースで考えていくしかないと思っています。これついては、色々意見が分かれるところでしょう。

美術館がコレクションしている作品の作家が、加害行為を起こしたとき、仮に非公開にするとしても、コレクションを放出することは多分ないので、その事件の記録とともにアーカイブするということになると思います。

「作家と作品は別」という意見もあります。僕も昔は別だと思っていましたが、今は違う考えです。それは、自分自身の経験として、そんなに簡単に別だと思うことは不可能だ、ということに気がついたからです。どうしたって作家の情報が入ってきたらフラットに作品を見れないからです。しかし、矛盾するようですが、自分の作品に関しては、僕個人とは別に見てもらいたいという気持ちもあります。

例えば、僕はヒトラーが描いた絵なんて絶対嫌ですが、ヒトラーの描いた絵がオークションで結構高い値段で落札されたりしてます。これは、ヒトラーの作品を買う人も僕も「作家と作品」を分けて考えてないからです。オークションで落札されることが、倫理的に間違っているかどうかは別として、現実に起きていることです。肯定して買ってるわけでなくて、歴史の資料として買ってるのでは?という意見もあるかもしれませんが、そうだとしても、作者と作品に関係性があるとみなしているのに変わりがありません。

ここまで長々書きましたが、何が言いたいかというと、人工知能はセクハラやパワハラをしないということです。セクハラな発言や作品は作る可能性はありますが、それらもデータを読み込ませて学習させれば、回避できるでしょう。

映画も人工知能で自動生成した映像で作れば、色々問題が解決する気がします。皮肉や冗談ではなく、本当に今後そのようになっていく気がします。先の「DALL・E2」のリンクを見てもらえば、決して絵空事ではないということをわかってくれると思います。
人工知能が生成した架空の人物が俳優として登場する映画、そうすれば、俳優の不祥事で公開中止になることもありません。

考えられる問題点としては、実在してる人間に偶然似たり、絵画やデザインでも過去のものと似た作品になってパクリ疑惑が出たりするかもですが、それも学習によって回避できるでしょう。

ただ、別の問題として人工知能に使用している電力が環境への負荷が少ないものか?とか、人工知能の部品を作る工場が労働者に人権侵害をして働かせている工場だったらどうする?という問題が出てくるかもしれません。これらも配慮した方が良いでしょう。これも皮肉で書いているわけではなく、本当にそう思ってます。現実的には無理かもしれないこともあります。いきなりは無理ですが、自然とそういう流れになってくるでしょう。環境や人権に配慮した作品作りです。自分がそのようなことに取り組んでいるかと言えば、全くそうではないですが、あくまで仮定の話、理想として書いてます。

話が逸れましたが、戻しますと

このような状況では、逆に人間が描いた絵を人工知能が描いたと嘘をついたりすることも出てくるでしょう。つまり、「描いてる主体が誰か?」ということが、どこまでいっても問題になってきます。

例えば、アイドルのCD特典のサイン色紙を本人ではなくマネジャーが書いていたとして、それを知ったら買ったファンは怒るはずです。しかし、優しいファンは、〇〇ちゃんが全部サインするのは大変だからしょうがないよ、許すよ、という人もいるかもですが、とはいえ、やはり本人が書いたものが欲しいはずです。

見た目も物質としても本人が書いたサイン色紙と何も変わらないのですが、誰が書いたかが問題になります。本人が書いていないという秘密を絶対に守りぬけば良いという考えもあるかもしれません。「知らぬが仏」、しかし、それは詐欺です。

美術作家の作品も意図的に本人が作ってない、とあらかじめ言っている作品もありますが、そうではなく、アシスタントが描いてる絵を本人が描いてると偽って売ってる絵もあると聞きます。

これに対して「作品が良ければ、誰が描いたとしても良い」という考えもあります。誰が作者か知らないで作品を鑑賞するのが純粋な鑑賞方法だというような考えもあります。「人工知能が描いていようが人間が描いていようが、作品が良ければ良い」という考えです。

もちろん作品の種類によるんじゃないか、ということはあります。

■作品と作品に関する情報の関係

これらは受けて側、鑑賞者の問題になってきます。そして今後、人工知能の鑑賞者、人工知能の批評家も当然出てくると思います。

ただ、人工知能の批評家の文章を読んだとしても、読んでる僕は人間なので、そのことから抜け出せないので、どこまで言っても人間ということになります。

まあ、ともかくこの「DALL・E2」以降は「この作品は人工知能でも描けそうだな」という見方から、僕個人は抜け出せないです。いや、しかし、人工知能でも描けるからダメだという意味ではないです。

仮に人工知能が描けるからダメだというのは、人工知能を人間より下に見ている偏見だとも言えます。作品の良し悪しと人工知能に再現可能かどうかは関係ないです。

人工知能に再現できない状況をいろいろ考えてみたのですが、例えば、人物画があって、それは作者の祖父から聞いた話をもとに祖父の若い頃を描いた絵だという解説があるとすると、確かに人工知能には描けないかもしれません。人工知能には祖父がいないからです。しかし結局、それは作品の外にある情報なのです。これが漫画や小説や映画ならまだしも、1枚の絵だとしたら、それが作家の行為も含めたものが作品だと理解しないと評価できなくなりますが、そのような評価が本当に良いのか、という疑問もあります。

いや、祖父から聞いた話を人工知能に描かせればいいんじゃないの?ということもありますが、作者と祖父との関係性が作品だということを言われるかもしれません。そんなの見る人には関係ないという意見もあれば、それ込みで見る人もいるでしょう。

もちろん
「いや、岸田劉生の麗子像の麗子って、岸田劉生の娘なんだって。俺、今まで知らなかったけど、感動してたよ!」

ということもあります。

他にも、人工知能に再現できない状況を考えてみたら、世の中には作家を容姿で判断するような人がいます。こういう人を相手にするのは、人工知能には無理かもです。ロバートの秋山さんの「クリエイターズファイル」みたいなプロフ写真の美術作家をよく見かけるので、僕もこんな風に思われていたら嫌だなというのと、容姿で判断されるのは嫌だと思って、このコラムのプロフ画像を写真ではなくイラストにしてます。

僕は、ロバート秋山さんのこの作品の影響で美術作家のプロフ写真がタレント風だと何か複雑なギャグなのかな?と思ったりするようになってしまいました。これについては「作品を売って生活するためにキャラ立てしないと仕方がないんだよ」「美術作家もルックスだよ!」というような意見も聞いたりするのですが、僕なんかは「大切なのは心だろ!」と思ったりしてますが、生活のためなら仕方がないです。ただ、これも人工知能に顔をつければ、解決する問題だと思います。

■防犯カメラに映っている映像を映画と考えた場合監督は誰か?

ここでまた、話がめちゃめちゃ飛びますが、SNSでバズってる、防犯カメラに偶然映っていた面白い動画、グーグルマップストリートビューに映っていた面白い画像、これらは誰の作品か?ということです。

まあ、僕は法律の専門家じゃないので、法律のことはわかりませんが、考えていきますと、まず、防犯カメラの持ち主じゃないの?とか、そりゃグーグルはグーグルでしょ、ということも考えられます。いや、もし人物が映っていたら、その人物にSNSへの投稿許可が必要だろ!とか、いや顔はモザイクかけてるよ、とか、犬が可愛くてバズってたら、犬の飼い主だろ!とか、いろいろ考えます。いや、偶然映っていた面白い動画や画像を発見した人だろ!という考え方もあります。防犯カメラの映像の作者、主体は誰か?ということです。

まあ、僕的には発見した人ということにしたいのですが、法律的にはどうかはわかりません。映画監督がいなくても、映像作品は成り立つのかどうか?ということで、防犯カメラに偶然映っていた泣ける人間ドラマもあるわけでして、ただそれもやはり人間が介在しているわけです。

アイドルの写真集は、そのアイドルが好きで買うわけで、撮影したカメラマンのファンです!ていう人は少数派だと思います。

もちろん例えば、
「僕は、宮沢りえちゃんの写真集サンタフェを篠山紀信先生のファンだから買ったよ!宮沢りえちゃんだからじゃないよ!」
という人もいると思います。

逆に「岸田劉生の絵の中では麗子像が好き、岸田麗子が好きだから」という人がいるかどうかは、わかりません、いるかもしれません。

「キミ!話が人工知能と関係なくなってきてるじゃないか!単に人工知能をダシに何かを批判してマウント取ろうとしてるだけだろ!!」

と言われそうですが、断じて違います。

ただ、自信を持って言えるのは、僕の創作活動は人工知能に取って代わられることはないです。なぜなら、売れない美術作家なので取って代わられる価値もないからです!
ということで、アンドロイドは斉と公平太の夢は見ません!(注意:フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」のパロディです)
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このコラム、2017年6月3日から連載を開始して今回でちょうど5周年です!
というわけで、5周年プレゼント企画です。詳細はこちら

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