伊勢谷さんと紀里谷さんを混同している世界の片隅で。
2020年10月6日
俳優の伊勢谷友介さんと、映画監督の紀里谷和明さんを混同している人がいるという記事をネットで読みました。
伊勢谷さん逮捕で「紀里谷さん」に風評被害…名前の「混同ツイート」に法的責任は?
https://www.bengo4.com/c_23/n_11722/
混同している理由としては「谷」の字が同じということと、紀里谷さんの監督した映画に伊勢谷さんが主演していたことが原因ということらしいです。
この「伊勢谷さんを紀里谷さんと間違えている問題」
この問題、単なる勘違いだと言ってしまえばそれまでですが、間違われた紀里谷さんの方にしてみたら、とんでもない大損害大損失でしょう。
で、「そんな勘違いをしているのはごく少数のおっちょこちょいだけだよ」と思うかもしれませんが、僕にはそうは思えないのです。それはこれまで自分が生きてきた経験からそう思っています。そういう人は大勢いると。
大げさかもしれませんが「伊勢谷さんを紀里谷さんと間違えてしまうという構造」が、現在起きているさまざまな社会問題の原因なのでは?とさえ思っています。非合理的、非論理的、理不尽な事件の数々、「なんでそうなるの?」ということが多々あります。「社会の中、組織の中、集団の中だと正常に判断できないんだよ」という説明だけでは、どうにも納得ができないのです。
ここで僕は、「伊勢谷さんを紀里谷さんと間違えてしまうという脳の構造」が、そうさせているのでは?という結論に達したのです。そう考えでもしなければ、納得できないのです。
共通するのは5文字のうち1文字、被りは20パーセント、苗字だけだとしても3文字の内の1文字、被りは33パーセント、それを混同してしまう判断力。同一箇所より違いの方が多いのに、なぜ間違えてしまうのか?
もう少し詳しく「伊勢谷さんを紀里谷さんと間違えてしまうという脳の構造」について説明しようと思います。あくまでも素人の個人的な推測です。
まず、名前というのは一文字でも違いがあれば違うはずです。頭から読んでいって、「伊」と「紀」が違う時点で違うと判断することができます。しかし、名前は漢字の1文字1文字を切り離して覚えるわけではなく、名前全体として覚えます。『〇〇谷という前から3文字目に谷の字がつく名前』というふうに記憶しているということです。
これは、例えば「山田」「池田」「前田」の記憶の方法としては、個別に記憶したら、2×3の6文字記憶しなければならないのが『「◯田」の「山」「池」「前」』という風に記憶すれば、その法則と3文字を覚えれば良いので、記憶の容量が少なくすむからだと思います。
この記憶の構造が、部分である「3文字目が谷の字」が同じだから同じ名前であると間違った判断をさせてしまうのではないか、と思うのです。このような思考方法による誤った判断が、他の事象に及んでいるのでは?と僕は考えています。
そして、さらに厄介なのは、『そうは言っても[谷]が共通する文字として使用されているということ自体は、客観的な事実だろ!』と、その事実が全体としての意味と完全に無関係なのに、そう思えない人がいるということです。
ここで注意しなければならないのは、僕も間違える側かもしれないということです。「自分は間違えないから間違える人をバカにしてやろう」という趣旨で書いているわけではないのです。
そんな、伊勢谷さんを紀里谷さんと間違えてしまう人が大勢いる社会で、作品を作って発表するということは、非常に困難なことだと最近つくづく思っています。
今のところ、この問題については、どう対処して良いのか、自分の中で結論が出ていないのです。