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芸術は漠然だ!~斉と公平太のムダに考えすぎ~

東京オリンピック2020の延期で考えたこと

2020年4月8日

美術作品を見る時、その作品がいつ作られたかを見るのは必須だ。

その例として「東京オリンピック2020」について書いていく。

まず、紹介したい記事がある。
偶然目にした2020年2月19日のネットの記事である。

『新型コロナでも「東京オリンピック中止」の可能性は1%未満か』|幻冬舎ゴールドオンライン

この記事では、オリンピックの中止の可能性はかなり低い、新型コロナが収束に向かわなくても99%予定通り2020年7月に開催されるだろう、という趣旨のことが書いてある。

読んで、「マジか?そんなわけあるか?」と正直驚いた。だがここで、この記事の内容や、この記事を書いた人を批判したり、肯定する意図はない。2月19日に書かれた記事だ。

しかし、今書いているこのコラムが、オリンピック中止の発表があった後に書いたら、このリンクを貼ることに批判の意図があると受けとられても仕方がない。逆に中止にならず7月に開催されたら、この記事の予測が当たっているという肯定の意味にとられるかもしれない。

しかし、現時点ではわからない。

大友克洋の漫画「アキラ」が、東京オリンピックを予言していたと話題になっている。1982年に連載開始で、あたりまえだが、東京オリンピック2020開催が決定する以前だ。

今、この原稿は3月22日書いているのだが、アップされるのは4月の頭かもしれない。その間に東京オリンピック2020の中止や延期が発表されたら、このコラムの意味も変わってくるだろう。

今回のテーマは下手をすると誤解されそうなので、断っておくが、東京オリンピック2020に「賛成」とか「反対」とか、そういうことが言いたいわけではない。あくまでも例えとして「東京オリンピック2020」を取り上げているに過ぎない(個人的にはこの状況では中止が良いのでは?と思うが、今回のコラムはそのことを主張する趣旨ではない)。

あくまでも、あくまでも例え話だ

____________

と、ここまでは本当に3月22日に書いた原稿だ。

ここから下は、4月2日に書いた原稿だ。

3月24日にオリンピック延期の発表があった。中止になったわけではない。とはいえ、これでこの上記の原稿の意味も若干変わってくる(今になっていろいろ書くのは後出しなので、卑怯だという批判もあるだろう。だからこの原稿自体をボツにしようかと思ったりもしたが、加筆してアップすることにした)。

現時点での情報では、オリンピックは2021年に開催されるということだ。

年明けてからの、新型コロナに対する報道やSNS等での情報の変化もめまぐるしかった。

新型コロナは、これからどうなるのか?

もちろん専門家ではないのでわからないが、日々発表される感染者の推移や報道を見ると、かなり危険で危機的な状況だと思っている。まあ、そう思うのが普通だろう。なるべく家から出ないようにしている。正直怖い。

このコラムを1ヶ月後に自分自身読んで、

「これから起きることも知らずに呑気に書いてるな、こいつ」
と思うのだろうか。

1年後に読んでどう思うのか。
10年後に読んでどう思うのか。

皆さんも読むとき、必ず書かれた年月日を見て欲しい。
美術作品でも同じだ。
それは美術史の中に位置付けるというような意味だけではない。

作品というものは、どんなジャンルでも原則的に全て現時点より過去のモノなのだ。未来の作品というものは無い。

極端な話、ライブペインティングのようなものでさえ、既に起こったことの連続を見せられているのだ。

作品というものが原則的に過去のものである以上、いつ作られたかということが作品を鑑賞することの中に必然的に組み込まれてくるのだ。

というわけで、美術作品を見る時、その作品がいつ作られたかということを見るのは必須なのだ。

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