ポップサーカスを観に行こう!何故僕はサーカスに感動したのかを考えた。
2020年1月17日
コラムをお読みの皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
◇ポップサーカスを観に行こう!
今、豊田でポップサーカスというのがやっている(~2020年2月2日)。
ポップサーカス
http://www.pop-circus.co.jp/
豊田公演
http://www.pop-circus.co.jp/schedule-toyota.html
(2021年6月に確認したところ、リンク先の記事がなくなっていました)
このコラム、宣伝は基本禁止なのだが、このサーカスは中日新聞も主催ということで、大目に見ていただこう!
僕はこのサーカスを観て大変感動したので!ぜひ読んでいるみなさんにも、観ていただきたい!(演者が人間だけというところも、個人的には良いと思っている。)
◇何故感動したのか
自分は感動すると、
「どうして自分は感動したのだろうか?」
と、自身に問う癖がついているので、今回はそれについて書いていく。
もちろん、公演内容が素晴らしかったというのは言うまでもない。だがこの感動、それだけではない。簡単に考えをまとめてみた。
非常に高度で命がけで危険な技をしているのにも関わらず
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・競技のように技で勝敗を競い合っているわけではない。
・演者の匿名性が高い。
・公演の度に生で見せている。
このことが、僕が非常に感動した点だ。非常に高度で命がけの危険な技を見せていることの理由が純粋に「その瞬間その場にいるお客さんに見せる」ということだからだ。
匿名性が高いので「体操選手の〇〇さんがすごい技をした」という受け取りかたではないのである。
「サーカスですごいのを見た」なのである。よりダイレクトにパフォーマンスそのものを受け止められるのだ。
公演の度に生で難しい技を見せるのは、SNSに動画をアップするのとは意味が違ってくる。目の前にいるお客さんのために技を見せているのである。
「お客が払う入場料金のためだろ!」というような夢のないことを言う人もいるだろう。しかし、そうだとしたら、尚更僕は感動する。
「その理由だけでこんな危険なこと毎回毎回できるか?もしそうだとしても、それはそれでプロとしてすごいんじゃないのか」
と思うのだ。
トップの画像で描いた絵は「Death Wheel」という演目だ。この演目が僕はとくに気に入っている。観覧車とシーソーを合わせたような巨大な装置を人が登って人力で回す演目だ。観ていてハラハラした。
◇戻れない一瞬のキラメキ
一瞬一瞬、戻れない時の流れの中で失敗のできない危険な技を見せる。それは非日常的に見えるが、翻れば見ている自分の日常、戻れない時間の中に生きている自分の現実そのものなのではないか。匿名性の高い演者がそれを見せることで、より自分に近く感じ、無意識に心に刻み込まれるのではないか?そのことが自分を感動させているのではないのか?と思ったのだ。
僕自身、このサーカスを見て以降は、物を見る物差しに、この「Death Wheel」が目盛りとして刻み込まれた。それは僕が美術作品を観るときにも採用している物差しだ。
百聞は一見にしかずというが、是非ともこのポップサーカスを観ていただきたい。
◇サーカスの思い出
突然話は変わりますが、ここからは全く個人的なサーカスの思い出である。
自分の母親は今77歳なのだが、認知症で介護施設にいる。この母が認知症になる前に、「どこか行きたいところはない?」と訊いたところ「サーカスが観てみたい」と言っていた。
この、母が「サーカスが観たい」と言うことのニュアンスを説明する。母は、現在のような娯楽施設やテレビが無いところで育った。テレビドラマも時間経過のカットの意味が理解できず、見れないと言っていた。映画もある程度本数を観ないとその文法は理解できない。小説や漫画もそうだ。
田舎からでてきて家事と子育てと内職で忙しく、映画や本をほとんど観ることなく年老いてしまった母。だから、母の中で娯楽のイメージは「サーカス」だったのだと思う。
そのことの意味を、僕は今頃になって理解できるようになった。僕がようやく経済的にサーカスに連れて行けるようになる頃には、認知症になってしまい、僕が誰かもわからなくなってしまった。
数年前、認知症の母を連れてサーカスを観に行った。散々親不孝をしてきた、わがままな自分の自己満足かもしれない。母が内容を理解していたかどうかも今になってみたらわからない。なんとなく喜んでいるように感じたが、それも自分の勝手な解釈かもしれない。もっと早く連れて行けばよかった、と今でも後悔している。
母も認知症になる前には戻れないし、自分も過去に戻って親不孝を取り消すことはできない。「戻れない時間の中で生きる現実」ということが重くのしかかってくる。その瞬間瞬間を懸命に生きていたつもりだった。それは母も自分もそうだったはずだ。だが、しかし、、。
それ以来、街でサーカスのポスターを見ただけで涙が止まらないことがある。歳をとったせいで、涙もろくなったのかもしれない。