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芸術は漠然だ!~斉と公平太のムダに考えすぎ~

CDプラケース断捨離!人生がときめきメモリアルな片付け!

2019年7月20日

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空になったCDプラケース


◆悲報、 CDのプラケースを捨てることにした。

部屋がゴミ屋敷みたいになってきている(マジで)。

このままではまずいと、ナウな時流に乗っかって、ときめく断捨離を決行!

手始めとして増え続けるCD、そのプラケースを廃棄してスマートケースに入れ換えることにした。収納面積が約4分の1になるらしい。CD、ジャケ、裏ジャケ、ブックレット、帯、全てを収納できるすぐれものなのだ。

このプラケースをスマートケースにするというのは、いろいろネットでも紹介されていますので、これ自体は特に目新しい情報ではないです。


◆スマートケースに入れ換える作業開始、しかし、

スマートケースと入れ換えの例


ということで、プラケースからスマートケースに入れ換える作業を始めたのだが、ここで問題が発生する。

まず、紙ジャケや、デジパックのCDはどうするのか?→これは入れ換えずそのままにする。

特殊ジャケは?→これは入れ換えずそのままにする。

下の画像のようなレンタル落ちの中古CD、値段のシールが貼ってあるものなどは、購入時の記憶が蘇ってきたりして個人的に思い入れがあるのだが、心を鬼にして入れ換えた。

レンタル落ちの中古CD


プラケースが紙の箱に入っているもの(下の画像)。これは入れ換えず、そのままにすることにした。

プラケースが紙の箱に入っているもの


プラケースに半透明のシールが貼ってあるもの(下の画像)。これも入れ換えるのをやめた、このタイプも結構あった。

プラケースに半透明のシールが貼ってあるデザイン


という感じで、スマートケースに移せないものがけっこうあったわけです。

そして、一番入れ換えるか、入れ換えまいか、迷ったものがある。

それが、下の画像のような、通常は外すことがない黒色の不透明トレイの部分を外すと、サプライズ的にそこに絵や写真があるタイプのものである。このタイプも何枚か同じ仕様のデザインがあった。

黒色の不透明トレイの下に写真が隠されているもの


移すとそのデザインの意味が無くなるが、悩んだあげくスマートケースに移すことにした。

ケースの形にあわせた面白いアイデアのものが他にもいろいろあった。下の画像のCDジャケはシークレットトラックの歌詞が帯に隠れるようにプラケースの形に合わせてデザインされている。

シークレットトラックの歌詞が帯に隠れるデザイン


これも入れ換えたらその意味はわからなくなるが、スマートケースに移した。


◆CDジャケットの重要性とは
しかし、このスマートケースへの入れ換え。ミュージシャンやデザイナーの意図を無視した保存となってしまう。そもそも、古い音源の再発CDだとレコードジャケを縮小したものもあるので、この時点で、最初のデザイン意図を無視しているとも言える。

だが、そもそもジャケットがそんなに重要なのか?ということが問題になってくる。

「重要なのはジャケじゃなくて音源だろ?」と。

そうなのだが、いまだに、「ダウンロード」「ストリーミング」「サブスク」で聞くことができない自分がいる。というかストリーミングやサブスクの意味がよくわかっていない。世代的なものなのか?単なる慣れの問題なのか?

「重要なのは音だろ?」ということはわかっていても、いまだに、いわゆる「フィジカル」で買ってしまう。純粋に音楽だけを聴くということで言えば、音源だけでよいはずである。

純粋に作品だけを受けとめるというのは、どういうことなのか?


◆「美少年の歌」と「おじさんの歌」

例えば、
A.カッコいい美少年が歌っている下手な歌。
B.ルックス的にカッコわるいおじさんが歌っている上手い歌。


あまりにも極端な例だが、

これを、どう判断するか。
歌っている人の見た目や年齢性別は関係ない、歌だけで判断するというのなら、「Bを評価すべき」という話になるが、そう簡単ではない。

まず(A)を評価する場合

(1)「カッコいい美少年が歌っている下手な歌」をワンパッケージの作品と見なして評価すべき

(2)カッコいい美少年が歌っていると、下手な歌が上手く聞こえる

という2つが考えられる。

そして、また逆に、(B)も
ルックスが悪いおじさんが上手い歌を歌うと、おじさんがかっこ良く思える。ルックスが良く見える

ということもよくある話である。

見た目というのは主観の問題もある。歌の上手い下手も、「下手だけど味あるね~」という判断もある。また、音楽じゃなく人間というものを作品として受けとめる場合もある。

僕としては「人間は見た目じゃない」ということを強く言いたい。

「容姿」で判断するということは差別だと僕は思っている。これは皮肉や反語的に言っているわけではなく、これに関して本当に本気でストレートにそう思っている。容姿とCDジャケットのデザインとでは話が違うということだ。また、音楽というのは、歌の上手い下手だけではなく、楽曲、歌詞、演奏、録音のされかたなど、色々な要素がある。ということで上記の例えは間違っている。

じゃあ、この例えで、何が言いたかったのかというと、「視覚」と「聴覚」との関係だ。「視覚」以外にも、僕がレンタル落ちシールのCDに個人的な思い出を感じるというようなことも「聴覚」に影響するのか?

CDと「聴覚」と「聴覚以外の感覚」の図


◆「聴覚」と「聴覚以外の感覚」

つまり「聴覚」と「聴覚以外の感覚」を切り離してCDを鑑賞することができるのか?ということだ。

バンドのライブ音源で、楽器の各パートの音の分離が悪くても、ビデオ等の演奏映像を見ながらだと、音の分離がハッキリ聴こえることがある。これが僕が個人的に視覚が聴覚に影響を与えていると思うひとつの例だ。

逆に、音が視覚に影響を与えることもある。めちゃくちゃカッコいい音のCDが、めちゃくちゃダサイジャケデザインということがある。ジャケの絵を音と関係なく見せられたら「ひどい絵だな~」と思うようなものでも、名盤のジャケに使われたりすると「ダサくて最高!!カッコいい作品!」となるのだ。

僕は、美術の展覧会に行って「この作品をCDジャケに使うならどんな音だろう」というような見方をするときがある。そうすると、つまらない作品もなにか良いものに思えるのだ。まあ、性格の悪い見方かもしれない。

僕は「作品」を1つの独立した感覚で「良いor悪い」という判断するのは「不可能」だと思っている。にもかかわらず、矛盾するようだが、僕は「作品は作品単独で判断すべき」という考えを持っているのだ。

そして、ここでいう「作品」とはどの範囲、どこまでを「作品」の範疇と捉えるべきか?ということになる。

このことの結論は、自分の中でまだでていないので、これ以上書くことはできない。

とはいえ、これからは「配信」で「音源」だけで音楽を聴いてみようかなと考え中なのである。部屋が狭くなるから。

◆注意!重要事項

名古屋市のゴミ分別情報CDのプラケースは可燃ゴミの日に出すことになっているので注意!
資源ゴミ、プラスチックゴミの日ではないのです!(2019年7月現在)

名古屋市のゴミ分別案内の冊子から抜粋


名古屋市のゴミ分別については
「名古屋市のゴミ分別」と検索してみてください。他の自治地体での分別はまた違うかも知れないので、注意!)

また、このコラムの一番上の画像の空のCDプラケースは、回収する人の迷惑にならないように、複数回小分けにして3週間かけて捨てました。

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追記
注意:名古屋市は2024年(令和6年)4月からプラスチック資源ゴミの分別の仕方が変わり『CDなど(LD・DVD・ブルーレイ)・ケースを含む』は『プラスチック資源』になりました。この記事は2019年7月20日のものです。
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