「寂聴さんの元気が出る言葉時計」と「Perfect Lovers」から考える現代美術!
2019年6月2日
4月某日。上記画像の時計をめぐって友人Tくんと以下のようなやりとりがあった。
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Tくん:『斉とさん、これすごいよ「寂聴さんの元気が出る言葉時計」。』
僕:『え、この時計、なんとなくスーパーラヴァーズっぽいね。』
Tくん:『パーフェクトラヴァーズのこと?』
僕:『あ、そうそう間違えた、パーフェクトラヴァーズだ。』
Tくん:『ゴンザレス=トレスだね。スーパーラヴァーズはBL漫画だよ!』
(ちなみに、Tくんは音のでる玩具や道具を改造して演奏するという活動をしているので、その改造用として購入。)
◆『Untitled (Perfect Lovers)』
僕が「寂聴さんの元気が出る言葉時計」を見て連想した作品、それは美術作家フェリックス・ゴンザレス=トレス(Felix Gonzalez-Torres, 1957 - 1996)の『Untitled (Perfect Lovers)』/1987-90(パーフェクトラヴァーズ)だ。
上の絵は、僕が作品画像をスケッチしたものだ。だいたい、こんな感じの作品である。(写真を見ると実際はもう少し上の方に展示されている。)
『これのどこが、「寂聴さんの元気が出る言葉時計」を連想させるんだよ!!』と怒られそうである。
たしかに「円が2つ並んでいる」「時計」というくらいしか共通点がない。
実際の作品画像を紹介したいところだが、著作権の関係で使用できない。本物の作品写真は< Felix Gonzalez-Torres Perfect Lovers >で画像検索して見て欲しい。壁掛け時計が2個並んでいる画像がヒットするはずだ。同じ時計が同じ時間を刻んで動いている。既製品を使ったレディメイド作品だ。
ゴンザレス=トレスも、この作品もけっこう有名だと思うのだが、どうなのだろうか。僕は学生のとき、この作品を美術雑誌で見てひじょうに感銘を受けたのだ。いまでも好きな作品だ。__
と、ここまで書いて中日プラス担当者から、ゴンザレス=トレスと、この作品についてもう少し説明してほしいと要望があったのだが、これがなかなか難しい。普通に検索して出てくる内容以上のことは書けそうもないが、そうも言ってられないので書くことにする。
◆フェリックス・ゴンザレス=トレス
『フェリックス・ゴンザレス=トレスはキューバに生まれ、プエルトリコで育ったが、ニューヨークで写真を学んだ。以来、ニューヨークを中心に活動を続けてきたが、96年にエイズで38歳の生涯を閉じている。』(『 水戸アニュアル'97しなやかな共生 』図録8p9pより引用抜粋)
雑誌スタジオボイス(Vol.251 1996年11月1日発行)の36p.37pに「フェリックス・ゴンザレス=トレス終わりのないプロセス」(文= 川出絵里)という記事が掲載されている。時期的に追悼的な意味合いも含んだ内容となっている。
上記1996年のスタジオボイスの記事にもネットで見かける批評でも、ゴンザレス=トレスが同性愛者であることや、恋人やそして本人もAIDSで亡くなったことが書かれている。批評する上でそのことと作品が不可分な関係だからだろう。
僕は、1997年に水戸芸術館で開催された展覧会『水戸アニュアル'97 しなやかな共生 』でゴンザレス=トレスのキャンディを使った作品を見ている。(『しなやかな共生 』の図録をあらためて見直してみると、22年前の展覧会でありながら、むしろ今現在の社会問題に通じるような内容であった。)
この「しなやかな共生」の図録の18ページに掲載されているゴンザレス=トレス自身の言葉の一部を引用する。
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『私は個人的な分野といわれているものの外側にある他の問題ついて私がどう感じているかを示すためにアートを作っている。』
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トム・ロリンズによるインタビューより
1993年4月16日、6月12日______
僕がゴンザレス=トレスの作品から感じることは、社会や既存のシステムに対するメッセージと、ミニマルなレディメイド作品でありながら作家個人の感情や経験が反映されていて、美しく詩的なものだということだが__と、まるで自分の意見のように書いてみたりしたが、これもネットや、当時みた雑誌の批評からの受け売りである。
「パーフェクトラヴァーズ」(完全なる恋人たち)に関していえば、タイトル通り「恋人たち」の比喩としての「2つの時計」という解釈をネット上で見かける。この解釈は間違いではないだろう。
いろいろ書いたが、つまり、ある種シリアスなメッセージ性を持った作家と作品なのだ。
だが、僕がこの作品に感銘を受けたのは別のポイントである。
それは、市販の時計を2つ並べるという最小限の所作で「作品」と「そうでないもの」の線引きを明確に提示してみせていること。モノそのモノがもっている意味の、打ち消し方。そこに感動したのである。この解釈もよくあるベタな解釈ではある。
しかしながら、このような作品の見方や解釈の仕方を現在では猛烈に反省している。
それはどういうことか。
◆「寂聴さんの時計」を2台並べてみたとする
例えば、まず「寂聴さんの時計」を2つ並べたら「パーフェクトラヴァーズ」になるのか?ということをまず考えてみて欲しい。
「いや、無理っしょ、1台だけでもパーフェクトラヴァーズっぽいのに、それに寂聴さんの顔がついているし。そのことの意味が強すぎるでしょ」
そうなのである。
「幸福になるためには、人から愛されるのが いちばんの近道です。瀬戸内 寂聴」という言葉が書いてある(上記画像参照)。
引用して作品にするには意味があり過ぎるのだ。(偶然だが「愛=LOVE」つながり、この辺が僕がPerfect Loversを連想した原因かもしれない。)
ゴンザレス=トレスの作品「パーフェクトラヴァーズ」には、極めてシンプルなデザインの壁掛け時計が使用されている。これはコンセプト以外の他の余計な意味を排除するためなのだと思う。
いってみればどこにでもありそうな「何の変哲も無い」時計でなくてはならない。じつはこの「何の変哲も無い」時計が、なかなか売ってない。「変哲も無い」ものが実は変哲なものだったりする。
ためしに近所のショッピングモールの時計屋にいってみたが、「変哲の無い時計」は売っていない。無印○品やイケ○に行けば売ってそうな時計ではあるのだが、それだと無印○品やイケ○という意味が出てきてしまう。
このようにレディメイドを使った作品は「モノをチョイスするセンス」を要求される。このチョイスのセンスや意味を削ぎ落とす美意識が好きだったりするのだが、じつはこれが前述した反省点である。
つまり「作品のコンセプトよりも、それを伝えるときの所作、余計な意味を削ぎ落とすというその行為に惹かれていたのではないのか?」ということである。
◆表面的にしか見てこなかった自分に対する反省
本来はコンセプトを伝えるための、その必然としての「振る舞い」。その「振る舞い」だけがコンセプトと切り離されて「型」として、「現代美術はこんな感じ」「現代美術風」ということで表面的な部分で鑑賞してしまっ ていたのではないかという反省だ。
しかしながら、そのような「型」が好きか嫌いか?と問われたらビジュアル的な好みで言ったらハッキリ言って好きではある。が、そこの部分だけで作品を評価するのは違う気がするのである。
今は、過去の自分自身の美術作品全般に対する評価や制作の仕方は間違っていたと思っている。
かといって僕の中で、ゴンザレス=トレスと「パーフェクトラヴァーズ」の重要性は変わらない。作品としての必然性や切実さがあるのだ。この作品は「コンセプト」と、そのための「振る舞い」が一致している。インタビューにあるようなゴンザレス=トレスのコンセプトやメッセージをすっ飛ばして見ていたことを反省している。
そして制作する側としても「振る舞いの型」だけに影響を受けて、その「型」をマネしても、その元となる理由や必然性がないまま作られた作品は見ていて、何かむなしい。これは自戒の念を込めて書いている。
そして、いまは「寂聴さんの元気が出る言葉時計」を購入して手元に置いて元気になりたい!と、思いはじめているのである。
「寂聴さんの元気が出る言葉時計」とは、寂聴さんの法話を聴くことができる時計である。商品説明には『寂聴さんの貴重な最新のことばが、60話も収録されています。』『2018年晩秋帝国ホテルにて特別に収録』と書いてある。
箱には「今こそ 聴いて いただきたい ことばが、あります。」という文字が。
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商品詳細
<ヤマダ電機 YSJACF1 寂聴さんの元気が出る言葉時計>
https://www.yamada-denkiweb.com/4130059013
(2021年6月に確認したところリンク先の記事がなくなっていました)
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これはこれで1つの作品と言えるのではないだろうか。