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芸術は漠然だ!~斉と公平太のムダに考えすぎ~

珍説?!新説?歳をとると1年が速いワケ!

2018年12月21日

◆「歳をとると1年が速い」の理由?

2018年がもうすぐ終わる。

今年も過去最高の速度で1年が過ぎた。もうここ数年そう感じている。そこで今回は、ちまたでさんざん書かれている大ネタ中の大ネタについて書く。

それは

「30歳超えると1年過ぎるのがめちゃ速い」

である。

この1年を短く感じるということについては、本がいろいろ出ていて、そこにだいたいの答えが書いてある。本当の短くなる理由が知りたい人は、そちらの専門家の書いたもの見ていただくのが良い。

ここでは、僕個人の感覚を元に考えたことを書いていくので、正確な答えではないので、あらかじめご了承ください。


◆45歳の1年間は8日間??
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「歳とると1年過ぎるのがめちゃ速い」その理由について、よく耳にしたり、ネットでもさんざん目にするのが下記の


「1÷(生きた年数)=1年の短さ」


という説だ。

ジャネーの法則
というらしい。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


つまり、上記の説によれば、僕は今45歳だから僕にとっての1年は、生きてきた時間の1/45だから短く感じるという説である。

1÷45=約0.02222
(少数第5で四捨五入)

365日×約0.02222=8.1103日

1歳のときと比較して、1年が約8日間くらいの感覚ということになる。「なるほど、そりゃ速く感じるわけだ~」


「ん、ちょっと、まった!!!!」


◆「1÷(生きた年数)=1年の短さ」説の問題点
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1÷(生きた年数)の表


この説だと時間を短く、その加速度を感じるのは30代より、もっと若いときのほうになる。2歳の1年が、いきなり1歳の倍のスピードで過ぎることになるからだ。試しに「1÷(生きた年数)」をエクセルでグラフにしてみた。

1÷(生きた年数)の棒グラフ


このグラフを見ると、確かに歳をとると短くなってはいるが、実際に感じる「10代の頃は1年は長く感じて、20代で徐々に短く感じ、30歳を超えたころ急速に短く感じる」というものではない。実際の感覚では、下の画像のような赤線の弧を描くはずだ(数値は仮)。

赤い線が実感としての仮の曲線


「生きてきた年数と1年の比較」というのは、一見して客観的数字なので説得力があり信じてしまいそうだったが、これはどうも違うようだ。

そもそも日常の時間を、どの時間と比較して短いor長いと判断するのか?生まれたときまで遡っているのだろうか?

そこで考えたのが「死」についてである。

上記の説は、「誕生」を起点に時間を相対化しようとしているが、人間には「死」という避けられない問題がある。死が、近づいているということを無意識に感じて、時間を短く感じるのではないだろうか。しかし、この考え方だとグラフにした場合に単なる下降する直線になるだけで曲線にはならない。これでは説明がつかない。

もしかしたら、考え方自体に根本的な問題があるのではないか。



◆時間をどうやってとらえるのか?
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子供用の時計学習の玩具


まず、既に文中で「短い」「長い」という比喩を使っているが、時間というものは並べて長さを比べたりできない。「速い」「遅い」という速度の表現でも良いのだが、それもやはり「長さ」に対しての「速い」「遅い」である。

実際、時間は「長さ」というより「移動する点」のようなものだと思うが、考える時は長さで考えるのが理解しやすい。これ自体に問題があるのではないか?

基本的なことをまず考えてみよう。

1秒
60秒=1分
60分=1時間
24時間=1日
365日=1年


「何わかりきったこと書いてるんだよ!!」

そうなのである。わかりきったことなのである。しかし、1年が365日ということを頭ではわかっていても、実際どれくらい実感できるだろうか?

1と60 1と365の比較図


上記のような図にしてみたが、
図なしで、

「1年は1日の365倍だから、だいたいこんなもんか」
とは、なかなか思えないのである。

1ヶ月はだいたい30日くらいで、1年は12ヶ月

という段階をふんで、ようやくなんとなく実感できるのではないだろうか。

実際問題、1年が速いというより、毎日毎日、1日が速く過ぎて、気がついたら1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、1年が過ぎているという感じで、本当は1年ではなく1日が速くすぎているのが僕の実感だ。1日くらいしか感覚として実感できない。1年は無理なのだ。

長さで考えてみると、どうだろう。

1センチと100センチを頭に思い描くことはぼんやりできる。

「ああ、1センチと1メートルか」

じゃあ、

「1センチと365センチは?」

1と365の比較イメージ


これも、

「そうだな、身長180センチの人が寝そべって二人くらいが365センチくらいかな。1センチは小指の太さよりちょい細いくらい」

という感じでイメージする。

「じゃあ、1ミリと1キロメートルは?」

僕は、1キロメートルと1ミリを同時に頭に思い描くことはできない。(1キロメートル=1000000ミリ)

世の中には可能な人もいるとは思うが、僕には無理だ。
なぜなら、並列した状態をイメージしようと思うと、1キロメートルに対して1ミリが小さすぎてイメージとして消失するからだ。

1ミリと1キロの比較の、いま思いつく方法は2つある。

①物差しを片手に1ミリの目盛りを見ながら1キロメートル歩くという方法
②長さ1ミリの細い糸と1メートルの糸1000本を並べるという方法

これはやってみないとわからないが、これでも実感するのは難しいのではないだろうか?どちらも1キロを分割するという方法からは、抜け出せない。


夜空に光る星の1つと視界に入るそれ以外の部分の対比の「1:X」の「X」は膨大なものになるかもしれない。しかし、それは点と面という量的な比較になるかもしれないが、そこに目盛りはない。このXの面としての量を実感するのは難しい。「目盛りの無い物差し」のようなものだろう。




◆比較の限界値 1:1万説?
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1と1万の比較イメージ


上の図は、点の1個と1万個の比較だが、1ミリと1キロでは1個と100万個、この図の100倍になる。図にした場合の1つの点と1万の点の「点」が認識できる大きさの限界。この「点が認識できる」というところがポイントである。

ただ、これも点を直線上に並べていないので、線を分割していることになる。この1対1万という数字が、「1」も「1万」も点が消失しないで比較できる限界なのではないかと思っている。

「点が認識できるかどうかって、それって視力の問題じゃないの?」

「それだけでは1対1万が限界という根拠にならないのでは?」


まあたしかに、そのとおりで、あくまでも個人的な感覚でそう思うだけなので、そういわれても仕方がない。

しかし、一番身近な例でいえばお金。

コインカウンターと1円玉と1万円札


もうお分かりだろう。1円と1万円。一番大きな額の紙幣を1円に両替して1万枚以上になると困るから、1万円を一番大きな紙幣にしているのではないだろうか?


「んなわけあるか!それに1万円札は日本だけだし、経済の問題だろ!デフレで高額紙幣の発行もありうるだろ!!」


というかもしれないが、たしかにそれもある。しかし、10万円札100万円札といわれたときの違和感、「使いづらそうだな感」は、この1:1万限界感覚がそうさせているのではないだろうか?

「さっきからテメーなに訳の分からない事書いてるんだ!」と思うかもしれない。

「おい!!結局!歳をとると1年を速く感じる理由はなんなのよ!」

そろそろ説明しよう!!



◆私が考える歳をとると1年を速く感じる理由
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僕が考える「歳をとると1年が過ぎるのが速く感じる」理由。それは、


●感覚として「小」と「大」を同時に把握するのには限界の数値がある。

●その限界が、だいたい1:10000だと仮定する。

●本当に感覚として把握できる時間は1日。

●1年を1日ベースで考えると365日
365(日)×30(歳)=10950日(1万950日)


●30歳になると日数で1万日以上になり、1日と比較して考えることの限界値を超えるために、30歳以降急速に時間が速く感じる。

●視野の様に、考えるフレームの大きさにも限界があると仮定する。その中で、頭に図を描いて考える時、ある数値を超えて「小:大」をフレーム内に納めようとすると、図全体を縮小しないといけなくなる。この縮小率、これがだんだん時間が速くなるのに反映されるのではないだろうか。


「全然、理由にも説明にもなってないよ!!」


あくまでも、素人の僕が考えたでたらめな説なので、本気にしないでください。



◆「1年速い」=「1年短い」ではない、「1年速い」=「1年長い」
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ここまできて、先に書いたことと少し矛盾したようなことを書くが、僕は1年を「速い」と感じてはいるが、「短い」とは感じてない。むしろ「長い」と感じている。

その証拠に、1年前の出来事を2年前のことだとよく間違えたりするのだ。9月くらいのことは1年前くらいに感じている。これは、速度が速いと移動距離が長くなるということで説明できそうだ。逆に、時間がゆっくり過ぎているように感じた10代20代の時のことは、実際の年数より最近のことのように感じる。そこまでの距離は短く感じるのだ。この「速いけど長い」という現象は、僕の考えた1年を速く感じる理由では、説明はつかないのだ。

そして、さらに話をすすめたい。


◆美術史の時間感覚
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それなら、美術史についての膨大な時間のタームはどうなるのか?100年、1000年という時間についてどう考えればいいのか。

例えば100年を実感する方法として、次の様な例えを考えた。

「100年は百歳のお年寄り一人、1000年は、百歳のお年寄り10人分」

「いやいや、違う100年は、30歳のとき子供ができて、その子供が30歳の時に孫ができたとする。その孫が30歳のとき子供ができるとすると、自分が90歳のとき子供60歳、孫30歳、ひ孫0歳で、100年に4世代、100年は人間4人分。これが20歳の場合、自分が100歳の時、子供80歳、孫60歳、ひ孫40歳、やしゃごの子供0歳で、100年に6世代で、100年は6人分1000年は60人分だ。」

100年、1000年を考える図


現実には、寿命や子供ができる年齢はこの例えのようにはいかない。あくまでも100年の長さを実感するための例えである。

他にも、自分が今45歳なので、その倍が90年で、それに10年足すと100年という考えもできる。

しかし、前述したとおり、自分の人生の中での時間感覚でさえ、変動するし曖昧だ。ゆえに、100年や1000年について実感をもって考えることは不可能なのではないだろうか。

だからといって、美術史について実感をもつことは無理なのかといえばそうでもない。
それは時間というより、事が起きた「順序」ということだからだ。勿論「順序」も時間の概念の範疇なのだが。

一人の美術作家が「生きて死ぬ時間」と美術史の「順序」というものがクロスする瞬間、その瞬間の目撃者になることが、現代美術を鑑賞することの醍醐味なのである。

と、無理矢理まとめてみた。
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最後までお読みくださりありがとうございます。

今年1年ありがとうございました!2019年もよろしくお願いいたします。

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