映画!カメラを置けるな!?
2018年10月31日
■映画、カメラを置けるな!
ある映画の撮影現場
撮影アシスタント
「監督!つぎのシーン、主人公が冷蔵庫を開けるカットを冷蔵庫の中から撮影するんで、冷蔵庫の中にカメラを置くスペース作っときました。確認してください。」
撮影監督
「どれどれ、おっ、いいじゃないか、よし!OK、これで冷蔵庫の中に、カメラを置けるな。」
上記会話は、映画の撮影知識ゼロの僕の妄想である。
■コインロッカーの中からの視点
前々から、映画やドラマを見ていて気になることがある。それは、コインロッカーを開ける場面をロッカーの中から撮影しているシーンである。
冷蔵庫はまだ室内なのでセットで撮影していると考えれば難易度は下がる。しかし、ロッカーは駅などの外にあるのである。
「そんなの、小型のカメラをロッカーの中に置いてるだけでしょ!」
という、声が聞こえてきそうであるが、たしかにそれで説明がつくかもしれない。
■小型カメラを置いているだけなのか?
しかし、高画質デジタルカメラが小さくなったのはここ最近のはずである。(といっても正確に何年前かは調べていないが)フィルムで撮影していたときのカメラの大きさでは、説明できない気がするのだ。また、高画質のデジタルカメラが小さくなったとはいえ、映画のスクリーンで上映するレベルのカメラなら、仮にロッカーに入る大きさだとしても、機体の厚さというものがあるはずである。上の図の様に撮影していたとしても、身代金を置くスペースがないのだ。
そこで、僕が推測した撮影方法をここから書いていく、あくまでも推測、想像ね、想像。
■推測1 鏡を使う
「ロッカーの奥に鏡を置いて、カメラが映らないように役者の背後から撮影する。」
という方法である。しかし、この方法では左右が逆転したり、扉の裏側が撮影できないという欠点がある。これはたぶん違う気がする。
■推測2 ロッカーに穴をあける
「ロッカーに穴を開けてロッカーの裏側から撮影する。」
この方法は
・ロッカーを移動させるのが大変
・ロッカーを壊さないといけない。(コストがかかる、弁償)
・役者と背後の壁の間が狭くなる。
という欠点がある。そこで次の推測に行きつく
■推測3 一人分のロッカーを使う。
「一人分の偽ロッカーをカメラの前に置いて撮影する」
という方法である。これはかなり現実的である。
一人分なら本物のロッカーを使用したとしても、「推測2」の数人分一台丸ごと壊すより損害が少なくてすむし、移動する手間も省ける。(ロッカーの助数詞はわからなかったので、一人分と表記した)
しかし、役者と背後の距離が狭くなるという難点は解消されていない。そのカットだけ別の場所で撮影するということも考えられるが、その場合、役者の背後の風景が違ってきてしまうのをどうやって解決するのか、が問題になってくる。
まあ、上記のように撮影方法について推測してみたが、本当のところはわからない。最初に書いたように、これはあくまでも想像である。
■コインロッカー内部からのカメラの意味
しかし、カメラが置けるかどうかはともかく、そもそもこの映画におけるカメラの視点の位置とはなんなのか?それは「物語を語る上での説明のための視点」だとも言える。
このロッカーの中から登場人物を撮影するカットは、役者の顔(表情の演技)と開ける動作とロッカーの中身を同時に撮影できるという理由だ、と推測できる。しかし、それだけではない。視点そのものは不可視なものであるが、映し出された対象から逆照射される撮影者の視点を、鑑賞者は無意識にわりだしているはずなのである。
例えば、ドキュメンタリーで、このようなロッカー内部からのアングルがあったのなら、それは再現映像か隠し撮りか撮影される対象者との合意に基づいた観察カメラということになるだろう。もし、そうでなくこのようなカットがでてきたら、それはドキュメンタリーではないだろう。
また、拳銃から発射された弾丸の視点で撮影されるようなカットを多用しているような映画は、語り口としてはフィクション色が濃いと感じるだろう。かといって、現実にはありえない視点か否かが、リアリティの基準になるという意味ではない。しかし、いま見ている映画が、どのような類いの映画なのか、ということを視点が無言で伝えているのである。
■表現における視点の重要性
このように映画であれ、小説であれ、視点というものはわりと重要で、それは誰からの視点なのか、という問題である。それは美術作品でも同じである。視点とは、ただ単に見ているカメラ位置という意味だけではない。制作者の表現しようとしているものの立ち位置とも言える。
セザンヌの静物画は、一見してパースを誤っているように見えるが、意図して複数の視点を一枚に統合しようとしているということはわりと有名な話である。ナスカの地上絵もその制作意図はわからないが、上空から見下ろさなければ、全貌が見えないのは明らかである。それは通常見ることができないとしても、上空から見る鑑賞者の視点を想定して描いたと考えることができる。
一人称の視点、複数の視点や、神の視点、動物の視点、ドローンの視点、自撮りの視点、しかし最終的に作品である以上、それを見る鑑賞者の視点を通すことになる。
■脳内上映「カメラを置けるな!」
しかし、このような観賞方法は正しいのか?いまの僕にはわからないのである。映画等の作品を見るさい、いちいち冒頭のような虚構の撮影監督とアシスタントが、「カメラを置けそうか?置けるな?」と会話をはじめだして、虚構の妄想映画「カメラを置けるな!」が脳内で上映されるので、現実の本編を集中して楽しめないのだ。
しかし、もう後戻りはできないのである。