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芸術は漠然だ!~斉と公平太のムダに考えすぎ~

文筆のススメ、脳内文筆革命!

2018年3月28日

最近ふと思ったのである、誰もが皆、一度は400字詰め原稿用紙500枚分くらいの小説を書く経験をした方が良い、と。つまり文筆の薦めである。

連載10回目、原稿料欲しさに始めたこの連載。やってみてわかったことは、月イチでアップすることが想像していたより大変だということだ。
もともと僕は文章を書くことが苦手。連載6回目で「つまらない、読むだけムダ」というコメントを見ず知らずの方から頂いたあたりから

「なんとかしないと、このままではまずい、、」

と思い、『文章の書き方』についての本を購入して読むことにしたのである。

文章を書く参考のために購入した本


僕は、これら購入した本を読んで、おもいきり歯をくいしばり、うつむき号泣した、涙がポトポトと重力で地球に滴り落ちた。

「もっと早く、こういう本を読んでおけば良かった。高校生、遅くても大学生のときに、、、」

やや大げさに書きました。すみません。泣いたというのは嘘ですが、気持ちとしては嘘ではないです。本当に若いときに読んでおけば良かったと心底思ったのです。

この画像にある本が、良いとか悪いとか、ここでレビューを書くつもりはないし、これらの本を薦めているわけではない。これを見て「くだらない本買いやがって」と思う人もいるだろう。

これは読書術というほどのものではないが、まあ、だれもがやっている、同じテーマで何冊も買うという手法である。だから、この中にある1冊を取り上げて、どうこういうつもりはない。僕としては、これらを全部まとめてワンセットで1冊というつもりで読んでいる。そして、いまも何冊か新たに買いたしている。

もし、薦めるとしたら自分に合った文章の書き方の本を各々見つけて読めばよいということである。

「ぜんぜんこのコラムの文章力に反映されてないじゃないか!下手なままじゃないか!」と言われたら、それまでだが。

学生時代、この手のハウツー本に拒絶反応があって読まなかった。その理由は「こんなの読んで書けるようになるなら、世話ねーつーの」という思いこみがあったからである。しかし、読んでみたら、「読んだら書けるじゃないですか!」ということである。この事実をタイムマシーンに乗って学生時代の自分に教えたい。

今どきの学生に同じことを教えても、小論文やエントリーシートを書き慣れてて、「そんな本、もう読んでやってるよ!」と言われそうな話ではあるが。

若いときの筆者、不良時代


自分は美術系大学出身なのですが、学生時代、講評会のときに自分の作品を言葉で説明するのが苦手で、適当に嘘をついたりして誤魔化してました。いまは、本当に後悔と反省の気持ちでいっぱいです。「言葉で説明できたら作品なんかにしてねーよ」という若気の至りというか、そういうことを思っていました。

作品というのは、言葉で説明できない部分もあるが、自分の作品は、自分自身の言葉で語ることができないとダメなのだと、45歳になってようやく、そう思えるようになったのである。気づくの遅すぎた。

この連載を始めるまで、文章を書くということは、自分と全く無縁だと思っていたのである。まさかこのような連載をやるとは、夢にも思ってもいなかった。表現するという意味で、絵を描く事も文章を書くのも、同じだろうと思っていたが、やってみたら、これが全然違うのである。当たり前と言えば当たり前だが。

20年前、たいへんお世話になったギャラリストの方が「小説を書く人は本当に頭がおかしい」(ここでの頭がおかしいは褒め言葉)と言っていた。実際に有名な小説家と交流があり、その経験から言っていたのだと思う。

しかし職業柄、小説家より美術作家の知り合いの方が多いはずなのに、美術作家に対してはそのようなことは言っていた記憶がない。そのときは、その真意がわからなかったが、自分が文章を書きはじめて、その意味がわかったような気がするのである。文章をある分量まとめて書くと、本当に頭がおかしくなりそうなのである。

文章を書いて頭の中が崩壊する筆者。


去年、展覧会に展示するために必要にせまられ、400字詰め原稿用紙で250枚程度の文章を書いたのだが、これを書いた前と後では、自分の中で確実に何か違うのである。約10万字を最初から最後までなんらか1つのつながりで、脈絡や流れを持って書くということは、自分にとっては特殊な経験であった。

ある小説家が、「書く事は自己治癒的な行為」というような意味のことを言っているのを何かで目にしたことがあるが、そのときは、「ほんまかいな?」と信じていなかった。しかし、今は、そういうことはあると思っている。それは、「僕も書いたら癒やされました」という意味では断じてない。

ただ、精神に強い影響を及ぼすことが間違いなくあると、実感したのである。そして自分の場合は癒やされることは全くない。むしろ、ものすごい精神的なダメージを感じたのだ。このような比喩はカッコつけてると思われるのが嫌なので使いたくないのだが、「脳の中にあるブロックの建物が崩れる」ような感じなのである。そうとしか言い表しようがないのである。

普通に考えれば、文章を構築するような作業なので、ブロックが積み上がって頭の中がスッキリ整理されるはずなのだが、書けば書くほど頭の中のブロックが崩壊するのである。これは絵を描ているときには感じたことのない感覚であった。かといって「身を削って書いてますよ!アピール」では、けっしてない。まあ、あくまでも個人的な感想です。

やはり10万字を超えると、精神になんかしらの変化が起きる様な気がするのである。もし、いますぐ自分を変えたいと思っている人がいたら、冒頭に書いた原稿枚数で、1つの物語を書くという事を、自分史でもなんでもいいから、やったほうが良い。きっと何かが変わるはずである。冒頭に書いた原稿枚数は某文学公募の応募規定枚数である。

昨年12月開催のグループ展の会場風景


そんな自分的には脳にダメージをうけるような文筆作業であるが、自分は新たに本を執筆しようとしている、それは何故か?

上記画像は昨年12月に開催したグループ展の会場写真である。この画像の中にある細長い立体作品は自分の作品である。長さは6メートルある。この出品作品は展覧会終了後、地方自治体に定められている方法で可燃ゴミに出しました。紙でできているので、資源ゴミの紙ゴミで出したほうが良かったかもしれないが、塗料とボンドが大量に使われているのでリサイクルできないと判断して、可燃ゴミに出しました。

分解され捨てられる作品、出すとき袋の口はちゃんと縛りました


そうなのである、自宅に自作の作品を置く場所も、作る場所もないのである。もっと端的に言えば「お金がない」のである。

その点、文章はPCで打ってデータで保存して場所をとらないという理由で、いま文章による作品を制作しているというわけである。そして、作品について、結局は言葉で説明しないといけないのなら、

「もうはじめから言葉だけでもいっか」

という気もしてきているのである。

現在制作進行中の拙著「5億4千万年の美術史」


これから書こうとしている本、それは「5億4千万年の美術史」である。資料を集めて書く準備をしている。これは、生物に目などの感覚器官が発生する時代まで遡って、そこから現在までを美術史として繋いで書くという内容の本である。僕は会社員をしながら作家活動をしているので、書き終えるのに5年~10年かかるかもしれない。

この本を書くための資金集めてとして、昨年、某企業の芸術助成金に申請したが、落ちた。この手の助成金の申請を、いままで何度か出しているが、とれたことが一度もないのである。

ということで、まずは、「助成金申請書のための文章の書き方」を勉強するところから、はじめないといけないのである。

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