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芸術は漠然だ!~斉と公平太のムダに考えすぎ~

極私的グッドデザイン賞!「倒れないコップ」を考えてみた。

2018年2月26日

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某メーカーのカフェオーレと某コンビニのコーヒー


先日、友人が「コップを誤って倒してしまい、パソコンにジュースをこぼして故障させてしまった」というようなことを嘆いていた。

私はこの話を聞いたとき、自分が数年前から考えていたことを彼に伝えるべきかどうか迷ったあげく言えずにいた。その秘めたる思いを今回は書いていくことにする。

容器の形体比較の図


数年前のある日の昼休憩、私は同僚と立ち寄ったコンビニで紙コップに入ったレギュラーコーヒーを購入した際、思ったのである。

「なんでコップの形は、だいたいがこの形なのだろう?」と。なぜグ○コカフェオーレのような形のコップではないのかと。

そのとき一緒にいた同僚に「なんでだろうね?」と聞いてみた。「持ちやすいからかな?」というような会話を少しして、そこで、この話はなんとなく終わったのだが、自分の中でなにか釈然としないものがあった。

そしてその日の夜、家に帰ってハッと気がついたのである。


「あの形は重ねることができるからだ!」

重なったコップと重ねられないコップの図


そのとき頭の中にイナズマサンダーが走る様な衝撃を受けたのである。

急いで同僚に携帯でメールをした。「あの形だとコップが重ねられるからじゃないかな!」

そのメールに対して、なんという返事がきたかは忘れてしまった。(ただ、これはあくまでも僕の個人的な推測にすぎない、本当に重ねられるからという理由かどうかはわかりません)

形の安定と不安定のベクトルの図


かねがね

「なぜスタンダードなコップは形が尻すぼみなのか?倒れやすいじゃないか?!!!」

という、冒頭で紹介されているような事故のこともふまえ、つねづね疑問に思っていた自分にはなんとなく

「重ねやすいならしょうがあるめぇ~」

という諦める理由にはなった。

しかし、私は考えたのである。倒れにくく、重ねられるコップを!(ここで重要なのはただ倒れにくいだけはなく、重ねられるかどうかがポイントである)

今回は時間がなく裏取りができてないので、

「そーゆーの既にあるよ」

という意見があるかもしれないが、まあ自分が思いつくくらいだから前例があってもしかたがないと思っている。とりあえず紹介しよう。次の図である。

安定していて重ねられるコップ、試作模型プロトタイプAと解説の図である。

プロトタイプA



しかし、このプロトタイプAだと下の図にあるように裏の箇所に汚れがたまり、洗いづらいという弱点が容易に想像できる。

プロトタイプAの弱点、汚れが溜まりやすいと推測される部分



これは紙コップで試作しているが、あくまでも日常使いのもの、使い捨てでは無い素材で実現を考えているので、これではいけない。

そこでさらに考えたのが、次の図のプロトタイプBである。

プロトタイプB


これなら汚れが溜まる箇所がなくなり、なおかつ重ねられて、取っ手がついて、それが転倒防止になっている。どうだろうか?

しかし、この取っ手部分が三つあることが、飲むときに邪魔であると判明したので、さらに改良して制作したプロトタイプCが次の画像である。転倒防止兼取っ手を2つにして先をTの字にすることで問題をクリアしてみた。

プロトタイプC


これを特許庁で意匠登録できるだろうか?もう既にこの形は登録されているだろうか?しかし、ちまたでこのような形のコップを見たことがない。

「こんなコップ使いたくねーよ!」

という声が聞こえてきそうである。

「かんぱーい」「こんなコップ使いたくねーよ!」


このような道具の形は、使用目的が形体を決定していると考えることができる。

コップでいうなら飲む道具なので、飲む事が目的で、飲むときの使いやすさが重要なはずであるが、しかし、それだけではない。

コップの材質の物理的な制約や、製造のしやすさ、製造コスト、販売コスト、洗いやすさなど、じつは飲みやすさ以外のことが形体に反映されているのである。


つまり道具の形を決定しているのは、使用目的だけでなく、もっと複合的な要因が存在するということである。


「飲むための道具」ではなく、目的が「売るための商品」という観点からの分析も可能かもしれないし、もっと生活に即した日用品として「飲みやすさ、もちやすさ、収納しやすさ、強度、値段」また「値段が高くても長く使えるもの」「環境負荷が少ないもの」「リサイクルできるか」という環境的な観点から形体を考えるということもあるだろう。

(左)紙コップの底を圧着するときに出来た凹凸 (右)継ぎ目


自分は、日常の道具の製造過程でできる凹凸や継ぎ目を美しいと思ってしまうことがある。それらは、道具の使用目的そのものに全く貢献しておらず、一見して無意味に思えるが、確実に理由のある必然の線や形である。

自分の考える美しさとは、この継ぎ目のようなものなのである。

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