新しく考えた数字の9
2017年9月8日
連載4回目の今回は、昨年某大学のデザイン系の学生向けに講義した内容を書いていきたいと思います。「大学で講義」という前フリは、ハクをつけるためのヤラシい戦略です!以下講義内容です。
まず(図1)を見てください。4つの式ともに同じ向きで「+」が配置されていますが、周りの式が45度回転することで「+」プラスの記号が「×」かけ算の記号になるという図です。
「おまえはトンチ小僧かっ!!」
と怒られそうですが、何が言いたいかというと、モノを見るということは、ある基準の線に対して見ているということです。つまり上の例だと「+」と「×」の形としての差異を、ある線を基準にして識別しているわけです。
皆さんも重力や鑑賞者自身の体の向き、頭の方向を上、足の方向へ下、という基準で見ているかと思います。だから、横になって寝ながら本を読むときは本も横にしますし、天井に書いてある文字を読むときも文字の上下の方向と、頭の向きを合わせると思います。
ただ、首を傾けても世界が傾いて見えないようになっていたり、体を逆さにするとどう見えるのか、という専門家の研究もありまして、厳密にいうと、もっと複雑にいろいろあるわけですが、ここでは自分の経験に基づいてだけ、話をしていきます。本当に視覚の研究を専門にしている人は、もっと明解な答えをもっていると思います。
ちょっと話が飛ぶんですが、私は昔から、つねづね意味とはなにか?ということについて考えてきました。ここで言う「意味」は、哲学的な意味で言っているわけではなく、もっと俗っぽい、視覚表現における「意味がありそうに見えるもの」として使用しています。で、その結果、僕の考える「意味がありそうに見えるもの」ということに対して、ものすごく大雑把に、
<差異のある2つ以上のモノと、同一性(類似性)と、その反復、そしてそのズレ>
という風に定義することにしました。これも個人的な経験から、なんとなく導きだしたものなので、厳密な意味では違うかもしれません。
<差異のある2つ以上のものと、同一性と、その反復>ということを考えたとき、「コンピューター言語の0と1」というのを思い出したのですが、コンピューターについて自分は専門外なので関係あるかどうかはわかりません。
(図2)はデタラメに描いた線です。
この(図2)を下の(図3)のようにコピーして繰り返させたり、鏡像にして対称形にするとなんとなく模様っぽく見えます。なんとなく意味があるように思えてくるのです。意味というか、作為を感じます。つまり、ある種の法則性を見てとれるわけです。
ただ、もっと厳密に言うと、実は(図2)のデタラメに描いた線も、線の太さが均一、同一であるとか、黒い線に白い地という色の差異、部分部分をとりだせば、ある種の繰り返しになっていて、ある種の法則性の中で描かれているわけで、まったく意味を読みこめないわけではありません。つまり、「文字みたいだな」とか、そのように感じるわけです。ただ、コピーの繰り返しや鏡像のほうが、法則性を読み込みやすいのです。
もし、白い紙に白色の絵の具で描いても、紙と絵の具の色に差異がない場合、何も描いてないように見えます。つまり意味を読み取れません。しかし、さらに大きな視点で見ると、この紙が置いてある机の色と紙の色に差異はあるわけなので、紙を認識することはできます。つまり基準の線と同時に、どの範囲をフレーム内とするのか、という判断を見るときにしているわけです。(白い紙に白い絵の具でもテクスチャーで描いてあることがわかるじゃないか、という意見もあると思いますが、あくまでも例えで、絵の具による凹凸がなく、全く紙の色と同じ場合と仮定しての話です)
<差異のある2つ以上のものと同一性とその反復、そのズレ>とか、何か難しく言いましたが、もっと大雑把に言うと、「意味」とは「法則性の読みこみ」ということになります。「なにを当たり前のこと言ってるんだ!?」とおっしゃるかもしれませんが、まあ、そう言われたら、そうなんですが。
で、最初の「+」と「×」の話に戻るのですが、「+」も「×」も線対称の対称形なので、その対称軸の線がやはり基準の線に対して垂直もしくは水平かということを意識していると思います。
(図4)また対称軸に対しての鏡像による同一な形の反復ということになるのです。こう言うと、対称であることが「意味」において重要であると主張しているかのように誤解されるかもしれませんが、そうではなく、あくまで例として言っています。意味を構成する法則性の1つの例としてあげています。
「+」の記号はその構成する線そのものが対称軸と同じ水平垂直なのですが、「×」はその対称軸が不可視な線です。だから「×」より「+」のほうがより水平垂直を意識させると推測できます。
そこで上の(図5)の2コマ漫画を見て欲しいのですが、やはり上の2コマ「+」が転ぶ、のほうがシックリくる気がします。
しかし、これはこの「+」の記号がゴシック体なので、線自体を面の形として認識して、そこにまた別の対称軸や水平垂直の線の読み込みがなされていると思います。
ですので、このマンガだけでは可視化された線と不可視な対称軸では可視化された線が強いとは断定しきれません。あくまでも推測です。また「+」と「×」を人体として見立てる場合、「×」の方が人体の頭部にあたる部分が無いので不利だということもあります。
そして(図6)の左右が対称形のキャラクターを例にだすとこうなります。
今回あえて顔を描きませんでしたが、顔も天地を判断する重要な要素なのですが、話の収拾がつかなくなるので、今回は略します。これを見ると、この(図6)の右上のキャラクターが傾いてると思いますよね。
傾いてるキャラをそのままの傾いたまま、これが通常の状態の形のキャラだと認識させるのは難しいですね。やはり対称軸を読み込んでるからだと思います。(図7参照)まあそれ以上に、キャラクターの体がそう認識させると思いますが。まあどのような理由にしろ、そのように天地を意識してモノを見ているわけです。
そこで(図8)のようなキャラクターにしてみます。まあ、これもあくまでも例ですが、結局、新たな基準の線としての足をたしてるだけなんです。
このようにいろいろ話しましたが、基準の線や法則性というものを鑑賞者は見ているのです。
今回「法則性とそのズレ」の「ズレ」の部分には言及しませんでしたが、法則性から派生したズレ、もしくは法則性を意識させないためのズレなので、それらもやはり大きな枠組みの中では、法則性の中の範疇に含まれると思います。
美術でいうと、例えばジャクソン・ポロック(1912-1956)の「オールオーヴァーのポード絵画」、一見どんなにめちゃくちゃに描いているように思えるような抽象画でも法則性はあるわけです。その法則性の読み込みによって、鑑賞者は「意味」を感じているわけです。
また、ポロックの絵画を見ると、天地や重力からの解放を感じさせるのは、そのような基準の線を読み込もうとする性質から、逆算して描いているからだと思います。ポロックがキャンバスを床に置いて描いた作品を、鑑賞者は壁に掛かった状態で見るということは、冒頭で言った内容と関係してきます。
そしてですね、これらをふまえてですね、数字の「6」と「9」(図9)というのがありますよね。これ、コインパーキングで、お金を払うとき支払いの機械が「車室番号を入力してください」ってしゃべって、地面に表示してある数字が6か9かどっちだ?ということありませんか?
もっというとビリヤードのボールの「6」と「9」。でもビリヤードのボールの「6」と「9」には、図の様に下に線が入ってるんですね。だから、これを基準に判断するわけです。これは6も9も天地を逆さにすると同じ形だからです。つまり、これは識別する記号としての弱点なんですな。
そこで私は、改善案として新しい数字の「9」をデザインしてみました。
これです(図10)
これなら「6」と区別がつきやすく、「8」の上部に丸い形を加えることによって「8」より数が1つ多いということが、イメージしやすいはずです。ですが、この新しい数字の「9」には欠点があります。それはですな、
「書くのがメンドクサイ」
ということです。
以上、私の講義はこれでおしまいです!
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というようなことを大学で話して、それ以降、大学の講義の仕事の依頼はきていません!!