究極の新カレー「カレーライスカレー」ブーム到来の予感!?
2017年7月6日
私は、ついさっきまで『サンドイッチは、サンドイッチ伯爵が発明した食べ物である』という都市伝説を信じていた。
『サンドイッチという素晴らしい発明をしたサンドイッチ伯爵の名は未来永劫語り継がれるであろう。パンという食べ物も、具も、サンドイッチ伯爵が発明したわけではない。しかし、その斬新な食べ方を提示した。そして何かを挟むという行為自体も、サンドイッチと呼ぶこともあるくらいである。サンドイッチ伯爵がいなければ、サ○ウェイも、鶴田浩二の名曲「街のサンドイッチマン」も存在しなかったはずである。サンドイッチ伯爵マジリスペクト』
…というような文を書いていたのだが、じつはサンドイッチ伯爵が考えたわけじゃないと知り「サンドイッチさんよ!あんたが考えたんじゃないのか!」となったのである。
(参考:発明者はサンドウィッチ伯爵ではない?意外と知られていないサンドイッチの裏話)
つい感情的になり、サンドイッチ伯爵を「あんた」よばわりしたことを深くお詫びする。考えてみれば、サンドイッチ伯爵には、なにも罪はないのである。むしろサンドイッチ伯爵はこのデマの被害者なのである。
しかし、今回わたくしが申し上げたいのはサンドイッチ伯爵の話ではない。まったく手前味噌で申し訳ないが、私の作品についてである。その名も「カレーライスカレー」である。この作品はサンドイッチの構造を取り入れた作品なのである。
2001年頃、某有名カレーチェーン店が新メニューの公募をしたのである。そのとき私が応募したのが、「ライスカレーライス」という作品なのである。結果は落選不採用で、応募者全員にだと思うのだが、カレーの無料券か、割引券、どっちかが、たしか送られてきた。太っ腹!コ○○番屋さん、その節はありがとうございました!
(図1)の3枚の写真は当時、実際に新メニューの公募に送った写真である。当時、フィルムで撮影したものを紙焼きしたものである。この応募時期についてであるが、記憶が曖昧なので、本当に2001年なのか、確かではないが、その前後であることは間違いないのである。
写真が暗くてわかりづらいので、下の(図2の上)の構造図を参考にしてほしい。
お皿の上にライスを均等に盛りつけ、その上にカレーのルーを盛り、その上にまたライスを均等に平らに盛るのである。この三層構造が重要ポイントである。
ちなみに、本当にお金がないとき作ったので、じつはレトルトのハヤシライスを使用している。近所のスーパーでカレーのレトルトよりハヤシライスのほうが安かったからである。折り畳めるちゃぶ台と画面の隅には布団が映り込んでいる。
このとき本当は、「ライスカレーライス」ではなく、「カレーライスカレー」(上の図2の下側)を応募したかったのだが、技術的な問題と、予算不足で断念したのである。そして、このたび満を持してとうとう2017年の今!制作をしてみたのである。
こんなことになんの意味があるのか?そう疑問を呈する人もいるであろう。
私はカレーライスを食べるとき、最初から最後までカレーライス状態で食べたいと思っていたのである。それはつまり、カレーライスを食べていて、ルーとライスのペース配分の関係で終盤にライスだけになったとき「これではカレーライスじゃなくて、ライスだな」と思って食べなくてはならないからだ。
この問題を解消する方法として、ルーの量を多くするという方法がある。実際に私は、カレーライスを食べるとき、ルーの量を多めにしていた。しかし、これはこれで問題があるのである。それは、ライスに対してルーの味が濃くなりすぎるという問題である。ふりかけというジャンルがあるが、あれはライスに対して圧倒的に量は少ないが、あれはあれで、食べ物として完結しているのである。
また、ライスとカレーをぐちゃぐちゃにかき混ぜればよいかというと、それはそれで、味が変わってきてしまうのである。
そのような問題点を解決すべく考えたのが「カレーライスカレー」なのである。
しかし当時、レトルトカレーを買う予算の関係と最下層のカレーのルーがうまく円くできないという問題点を解決できなかったため「ライスカレーライス」のほうを応募したのである。
今回、この最下層のカレーが流れていくのを解決する方法として、ケーキを作るための道具を使用しました。今回は画像が多いが以下、作り方を見て欲しい。
みなさん、これ本当にめちゃくちゃウマイです!!(あくまでも僕の個人的な感想です)ぜひ、やってみてください!
同じルーで普通に盛りつけたものと味を比較したのだが、断然こちらの方が美味しかったです!(あくまでも僕の個人的な感想です)
この「カレーライスカレー」が美味しいかどうかは、ルーの美味しさ、ライスの旨さに左右されるので、私は責任をとれないのである。が、密かに「カレーライスカレー」ブームがくることを私は期待している。
「このコラム前回も今回も食べ物がらみの話じゃないか!!美術と関係ないじゃないか!」と思っている方もいるかもしれませんが、僕にとっての重要なテーマの1つでもある、「感覚を規定しているものは何か?」ということの思考方法の実践なのである。
つまり、もし仮に美味しいとか不味いとかを決定づけているのは食べ物の味そのものとは別の要因であるならば、それは何か?ということを検証しなくてはならないのである。
数年前、焼き鳥を串から外して食べるという行為についてネット上で話題になっていた。ここでは、串から外して食べる事の是非についてはおいておこう。ただ1つ言える事は、焼き鳥のネギマは串に刺さったまま食べるのと、外して食べるのとでは、味が確実に違うということである。次の図を見てもらいたい。
この図を見てもらえばわかるが、串でネギマを食べるとき、肉とネギは同時に舌に接触しているのである。
口に入れて噛んで引き抜くときに生じるスライド往復運動型の舌への接触も、味に影響を与えていると考えられる。このことからわかるように、串から外してバラバラで食べるのとは味が違うのである。
しかし、ここで起こる差異は微小であると言う人もいるかもしれない。さらにこのような差異は本質とは関係ないという人もいるだろう。だが、はたしてそうだろうか。
これは、美術作品を見るときも同じである。描かれた何かに感動しているのか、描き方そのものか、作品の持っている構造的なものなのか?
もちろん、総合的な何かである事は確かであるが、それを受け取っている自分自身の感覚を検証しなくてはいけないのである。いや、別に検証しなくても良いが、自分はそう考える癖があるのである。
とくに、味覚は言葉に左右されにくい感覚だと私は思っている。砂糖と書かれた容器に塩が入っていても、遠くからは塩だとはわからない。近くで粒の形を見れば見分けがつくとは思うが、よく見ないとわかりづらい。しかし、食べれば塩だとわかるのである。容器に砂糖と書かれているからといって、塩を甘く感じたりはしないのである。これは極端な例で、実際は言葉によって味覚が左右されることもあるだろう。
つまり、「カレーライスカレー」は、本当に自分自身は純粋に何かを感じとっているのか?という問いかけそのものなのである。
そして、この中日プラスの「達人に訊け!」のコーナーはランキングがでるので、気にしないぞ!と思っても気になるので、食べ物の話を書いて少しでもランキングが上がるようにという、ゲスな理由でもあるのである!!
つづく
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