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芸術は漠然だ!~斉と公平太のムダに考えすぎ~

コンビニ大福の底紙に隠された真実とは!?

2017年6月3日

はじめまして、わたくし自称美術作家の斉と公平太と申します。

この中日新聞プラス『達人に訊け』の連載をこれから月に1回程度の頻度でアップしようと思う訳ですが、「そもそもこれを書いているあんたは誰?」と思っている方も多いと思います。全然達人でもなんでもない僕が連載することについて、書いている僕自身がインチキくささを感じているので、読んでいる人はさらにその何十倍も胡散臭いと思っていることでしょう。

しかし、僕も生活のため、原稿料をもらうために書いているので、そこのところは勘弁して頂きたい。とはいえ、生活のためなら何をしてもいいというわけではないが。

さっそくだが、いきなり本題に入りたい。皆さん、大福を食べたことありますか?大福。

豆大福


いまから10年ほど前(2006年頃)の話になります。私はコンビニの大福を、ほぼ毎日食べていたことがありました。コンビニで似たような丸い形の食べ物でメジャーなのは業務用肉まん蒸し器スチーマーに入った「肉まん」「あんまん」ですが、僕が毎日食べていたのは「豆大福」「大福」なのです。

なぜかレジの脇に置いてあるので、これがすごく謎で、コンビニの店内をうろちょろうろちょろして大福はどこだどこだと探し回ったあげく、あきらめてお茶だけ買って帰ろうとレジに行ったら、そこにあったのか!とレジの横にちょこんと2個だけある、といった具合に、何故か店内の陳列棚ではなく、レジ横にある。

これでは大福を目的にコンビニに来た俺の立場がないじゃないか!大福を買うつもりのないお客さんがレジに並んだときに「あ、大福うまそう」と、ついでに買う感じではなく、本気で買いに来ている俺の立場が!しかし、レジ横に売っているという法則を記憶にとどめておけば、別に問題ないわけではあるが、いくたびにそのことをうっかり忘れてしまうのである。

だが、私がここで申し上げたいのは、このコンビニエンスストアの大福の販売戦略についてではない。その大福の底というか裏というか、なんというのか、大福の下に敷いてある円い厚紙についてである。この円い厚紙の正式名称ですが、色々ネット上で検索してみたが、どうやら「敷皮」とか「底紙」というらしい。実際のパッケージのシールに書いてあるゴミ分別のための表示には「台紙」と表記してある。しかしここでは「底紙」という名称で話をすすめたい。

こうやって文章で書いてもピンとこないといけないので、まず(写真1と2)を見て頂きたい。

(写真1)豆大福と底紙


(写真2)大福の底紙


この(写真2)の紙のことである。

私は当時働いていた工場の夜勤の休憩時間(深夜3時)に食べるために最寄り駅にあるコンビニで、この大福をほぼ毎日買っていたのである。 

1番最初に買って食べ終わったときに、この「底紙」に気がつき

「美しい絵だな~こりゃ、ゲルハルト・リヒターの『アブストラクトペインティング』とダミアン・ハーストの『スピン・ペインティング』を足して2で割って1色にした感じだな~」

と、感動して捨てずにとって工場のロッカーに入れておいたのである。そして次の日も同じメーカの同じ大福を購入して、この底紙を見てみると「あれ?印刷なのに昨日の大福の底紙と柄(がら)が違う!」と、そして次の日も同じ大福を買って見てみたが、やはり柄が違うのである。 

「あ、わかったこれ、プロ野球チップスカードとかライダーカードとかと同じなんだ!」と思って、集め始めたのである。そして、ときどき同じ柄のものもでてきて「これはもう大福カードで間違いないな」と、さらに確信をもったのである。

この印刷された模様は、竹皮を模したもののようである。別のコンビニで購入した別のメーカーの大福の底紙には、模様のない白紙のものもある。コストのことを考えれば、白い方が安くすむ。しかも、この竹皮を模した柄は、パッケージの外側からは見ることができない(写真3参照)ので、購入するさいの判断に影響はしないはずである。

(写真3)大福の表面と裏面 メーカー名にモザイク処理をしております


しかし、商売の世界はシビアなのである。わざわざコストのかかるものを使用しているのには理由がある。つまりリピーターがいて「この大福は竹皮を模した柄の底紙が美しいからまた買おう!」という購買層がいるはずで、それゆえにこの柄を採用していると考えることができる。この底紙を集めるコレクター向けに1枚1枚違う柄にしているのだ、と。そして、パッケージの外から柄が判別できないのも、買わないとお菓子のオマケが何かわからないようにしている、よくある手法である。

つまり、この大福を生産している会社の売り上げを左右するくらい、この底紙欲しさに購入している俺のような人間が、コンビニ大福ユーザーの中に大勢いるはずなのである。あくまでも私の推測であるが。

しかし、ある日、この底紙を集めているうちに、重要な1枚を私は発見してしまったのである。以下の(写真4)を良く見て欲しい。もうお気づきであろうか、この1枚。

(写真4)問題の底紙よく見ると、


さらにわかりやすくするために、赤い線を引いた下の(写真5)を見ていただければわかるはずである、この線を境に鏡像になっているのである。

(写真5)赤色の線を境に鏡像に


「こ、これはもしかして、、」

そうなのである。僕は1枚1枚違う絵が印刷されているのだと勝手に思いこんでいたのであったが、このとき「ハッ」と、この円い底紙の製造工程が頭に浮かんでしまったのである。つまり、竹皮柄の模様の境目を鏡像によってなくして、繰り返しのパターンに切れ目がないように見せて、大きな紙に印刷し、その紙を円い金型でくり抜いているという推測である。(底紙製造工程の空想スケッチ参照)

底紙製造工程の空想スケッチ


本当ににそうなのか。実際に、この底紙を製造している工場を見学してみないと、わからない。いつか機会があれば取材したい。

しかし、僕自身はこの鏡像の境界線を見つけてしまったことをきっかけに、大福カードファンタジーの夢が壊れたというか、この大福の底紙を集める熱が覚めてしまい、気にいったもの以外は捨ててしまいました。

今となっては、大きな1枚の絵を切り刻んだ、その断片の美しさに感動していたのかもしれないと思ったりもしております。

残った底紙コレクション


アンディ・ウォーホルがキャンベルスープの缶を作品にしたように、この底紙の柄を大きな丸い変形キャンバスに拡大して描いて美術作品だ!ポップアートだ!というようなことをやるのは、その引用のしかたが特に新しくないのでやりませんし、まずこの大福の底紙のオリジナルの柄を描いた作者に失礼なので僕はしません。

この底紙にも原画があり、描いた人がいるはずなので、ここで取り上げた底紙の作者がこれを見たら「なに勝手に取り上げているんだよ!」と怒るかもしれないとも思うのでありますが、どうしても底紙の絵画としての美しさを紹介せずにはいられなかったので紹介いたしました、お許しください。
 
次回につづく





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