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無題/Novel by milk
5,783 character(s)11 mins
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晃太郎の誕生日を一緒に過ごしたい──結衣がそう言ったのは、何度目かに迎えた休日の朝だった。
「誕生日…?あ、そういや来週か」
「自分の誕生日覚えてないの?」
不思議そうに結衣が聞く。晃太郎は腕枕にしていた左手で結衣の頭を撫でながら笑う。
「覚えてないわけじゃないけど、この年にもなれば平日と変わんないだろ。日常に埋もれる」
「そうかなー。私は誕生日が近付くと憂鬱になる。また年取るのかーって」
「…もっと明るい展望を持てよ」
結衣の言葉に晃太郎が苦笑する。ぐいっと晃太郎の身体の上に身を乗り出した結衣が、至近距離から晃太郎を覗き込む。
「じゃー明るい展望にするために、晃太郎の誕生日を私にちょうだい。今年はちょうど日曜日だし」
「わかった。俺も楽しみにしてる」
晃太郎が笑って結衣にキスをする。びっくりした結衣が目をパチクリさせていると、この距離は襲われても文句言えないだろ、と晃太郎はケラケラ笑った。

********

初めて一緒に過ごせる晃太郎の誕生日。どんなふうに過ごそうか、プレゼントはどうしようかと、少し色ボケめいた頭で考えていた。
ところが結衣の色ボケに水をさすかのごとく、この日を境に晃太郎は一気に忙しくなってしまった。
制作四部が社内発注していた案件に不備が見つかり、その対応で数日が溶けた。対応チームや管理部のメンバーと仙台へ飛び、クライアントへの謝罪や対応など、業務の上乗せはてんこ盛りだ。過重労働というほどではないものの、晃太郎が深夜までオフィスにいることも少なくなくなった。
星印案件以降、晃太郎が度を超えて仕事にのめり込むことはなくなった。とはいえ、仕事好きなのは変わらない。結衣にしてみれば、絶妙なタイミングで仕事に割り込まれるのも変わらない『お約束』だった。
「東山、来週末の予定だった動画撮影、週明けに早めたいって連絡来たんだけど…。種田さん、今日も仙台?」
賤ヶ岳がチーフを務める案件の、サイトにアップする動画撮影の日程変更依頼。こういう時に限って、結衣も仕事が忙しくなる。結衣はサブとしてチームに参加していた。
「あー、種田さんなら仙台行きましたよ。一応、明日には戻るって聞いてますけど」
今日は金曜日。急きょねじ込まれた仙台出張を結衣が聞かされたのは、昨日の夜中だった。
【明日から仙台に行くことになった。土曜日の夜には帰る】
まるで業務連絡のようなメッセージは、夜中の23時に送られてきた。会社に来たら顔ぐらい見れるかと思っていたら、晃太郎は出社せず仙台へ向かったらしい。
「東山、動ける?」
チーフを務めてるとはいえ、幼い子どもを抱える賤ヶ岳に泊まりがけの出張は無理だ。上海で行われる撮影に、責任者としてサブを務める結衣が同行する予定になっていた。
「…月曜日移動で間に合うなら行きますよ」
日曜日は晃太郎の誕生日。それだけはどうしても死守したい結衣が言うと、賤ヶ岳は笑った。
「朝イチの便で向こう行けば大丈夫。じゃあ、頼んでもいい?」
「はい。飛行機のチケット変更しておきます。…来栖君、月曜日の『大和ギャラリー』さんとの打ち合わせ、1人でも大丈夫だよね?」
ネットで航空会社にアクセスしながら、結衣は背後の後輩に声をかける。大丈夫です、と後輩から頼もしい返事が返ってきた。

土曜日、結衣は買い物を済ませて晃太郎のマンションへ行った。週末はほぼ晃太郎のマンションで過ごすようになって、合鍵も早いうちに渡されていた。
主のいない部屋で、結衣は買ってきたものを冷蔵庫へ片付ける。誕生日ケーキは近くのお店に注文してあるし、明日取りに行く予定だ。

【ごめん。予想以上にトラブってて、いつ帰れるかわからない】

慌てた様子の晃太郎からそんなメッセージが届いたのは、土曜日の21時。おそらくわずかな隙間時間で送ってきたんだろう。
慌てて結衣はスマホで新幹線の時刻を調べた。仙台発東京行き、最終は21時48分。これを逃せば晃太郎は今日中には帰ってこない。
(明日の朝には…帰って来るかも)
儚い望みとわかりながらも、結衣はその一縷の望みに縋り付いてしまう。
【わかった。ちゃんと食べてね】
仕事に没頭すると、寝食を忘れてのめり込んでしまうのが晃太郎だ。結衣のメッセージも既読にはなるものの、返信はなかった。
朝になっても晃太郎からの連絡はなかった。半ば諦めつつ、結衣は日曜日を晃太郎の部屋で1人で過ごした。
(前に付き合ってた時みたい…)
昔、今以上に仕事人間だった晃太郎は、週末に結衣が泊まりに来ていても仕事に行った。結衣は深夜遅くに帰る晃太郎を待ちながら1人で過ごすことが多かった。
休日にデートらしいデートをしたのは数えるほどだ。たまの休日は晃太郎に休んでほしくて、どこかへ出かけるよりお家デートを選んだ。それでも呼び出しの電話を受け、晃太郎が仕事に行ってしまうことも珍しくなかった。
夕方になっても晃太郎から連絡はなく、結衣は1人で予約していたバースデーケーキを受け取りに行った。付き合っていた頃は、誕生日のお祝いなんてしたことがなかった。それこそ日常に埋もれていた。
「Happy Birthday to晃太郎…」
ロウソクに火をつけるのは躊躇われた。結衣は少し悩み、それからケーキを冷蔵庫に片付けた。──今夜、一緒に食べられたら良いけどな。
【月曜日、朝イチで上海に行くことになった。1泊の予定です】
帰らない晃太郎を待った結衣がそうメッセージを送ったのは、日曜日の22時を過ぎた頃だった。今日中に晃太郎が帰るのは絶望的だった。

朝イチの便で結衣は上海に発った。わずか3時間のフライトだ。日帰りすら可能なんじゃないかと思ってしまうほどの近さ。
「東山さん、上海はお見えになったことは?」
同行したクライアントの担当者が尋ねた。ありますよ、と結衣は応じる。
「以前、知り合いに誘われて来ました」
王丹の弟にヘッドハンティングされ、会社を見に来たことがあった。その時に晃太郎と上海で会い、晃太郎には上海に残れと言われた。フォースの案件で大変だった時期だ。
結局、結衣はイーサン・ラウの誘いを断って日本に戻ってきた。愛国心でもなければ愛社精神でもない、ただ晃太郎を──愛した男を忘れられなかっただけだ。
「上海も今やデジタル大国ですからね。日本、完全に負けてますよね」
「初めて来た時、想像以上に若者の国って感じで驚きましたね」
そう言って結衣は笑った。
あの日、上海の路上で晃太郎と話したいのが随分と昔のことのように思える。まだ数ヶ月前のことなのに。
あの時、結衣と晃太郎はまだ『同僚以上、恋人未満』の微妙な関係だった。お互いに自分から踏み出すことはできず、相手の出方を伺っていた時期。
それでも晃太郎は結衣の盾になって守ろうとしてくれたし、本気で心配もしてくれた。

上海での撮影は順調だった。夜のクライアントとの会食も滞りなく済ませ、結衣はホテルの部屋で一息ついた。前回とは違い、今回はビジネスホテルだ。
ベッドの上に放り投げたスマホを一瞥し、電源を入れるべきか否か迷う。
(でも…先輩には連絡しなきゃ)
飛行機に乗ってから電源を切ったままのスマホを見つめる。──晃太郎は仙台から帰って来ただろうか。
思い切って電源を入れると、幾つかの通知があった。晃太郎からのメッセージだ。
帰れなくてごめん、と謝罪のメッセージ。今から仙台を発つ、というメッセージは月曜日の早朝に送られていた。
【何時でもいいから、連絡して】
最後に送られてきていたメッセージの文に、結衣はなぜか泣きたくなってしまう。
(今は22時だから…東京は23時だ)
晃太郎はまだ仕事中で、会社にいるかも知れない。もしかしたらもう家に帰って休んでるかも知れない。結衣は晃太郎に電話をかけようとして、最後の最後に通話ボタンを押すことはできなかった。
昔、仕事でデートをドタキャンされたことは数えられないほどあった。そんな連絡もたくさん受けた。その度に結衣は悲しみ、怒り、そして晃太郎と喧嘩になった。だけどもう、結衣は晃太郎と喧嘩したくなかった。
撮影は順調に終わったこと、予定通り明日は帰国することを、結衣は賤ヶ岳に連絡した。
晃太郎へは連絡しなかった。

********

1泊の予定だった仙台出張。制作四部が社内発注した案件はそれなりに燃えていて、すぐに帰るのが難しいのはわかった。
日曜日には結衣と、俺の誕生日を過ごす約束がある。せめて日曜日のうちには東京に帰りたいと、俺は寝食を惜しんでタスクを巻き取った。
(結衣との約束は守りたい)
1日は無理でも、せめて半日──それが無理なら数時間でも構わない。誕生日おめでとう、と笑ってくれるだろう結衣を抱きしめる時間が欲しい。
そう思っていたけど、俺の願いとは裏腹に時間だけが過ぎていった。
【ごめん。予想以上にトラブってて、いつ帰れるかわからない】
土曜日のうちに帰京するのは諦めて、結衣へそうメッセージを送ったのは21時を過ぎてからだった。東京への最終新幹線には乗れないことは確実だった。
【わかった。ちゃんと食べてね】
帰らない俺に文句のひとつでも言いたいだろうに、俺の身体を心配してくれる結衣の気持ちを思うと、溜息が漏れた。──3年前から俺はちっとも成長していない。
前に付き合っていた時も、結衣は俺の身体を心配してくれていた。俺に会う度に『働き過ぎ』『無理しないで』『お願いだから休んで』と言っていた結衣。そんな結衣の優しさと気遣いを俺は聞き流し、いつだって仕事にのめり込んでいた。
「種田さん、何か予定があったんじゃないですか?」
俺の溜息を聞き止めたのか、そう声をかけてくれたのは佐竹サブマネージャー。仙台支社の古株メンバーで、徹夜を覚悟した俺に付き合ってくれている人だ。
「ああ…。まあ、そうですね」
「すみません、うちのトラブルなのに巻き込んでしまって」
申し訳なさそうに頭を下げる彼に、俺は曖昧に笑って会話を終了させた。無駄話をする時間があるなら、タスクを捌く方が良い。
(せめて朝のうちに…それが無理でも、午前中に帰れたら…)
元より徹夜は覚悟していた。帰りの新幹線の中で眠ればいい。こんな働き方をしてるって知ったら、結衣は怒るかも知れないけど。
結局、すべてのタスクを捌き終えたのは日曜日の深夜だった。結衣から上海出張を知らせるメッセージを読んだのも、日付が変わってからだった。
【帰れなくて、ごめん】
ホテルに帰ってから、深夜と知りつつも結衣にメッセージを送る。仮眠をしてから、始発の新幹線で東京に帰る予定だった。もしかしたら結衣に会えるかも知れない。
わずかな期待を抱いていたけど、俺が帰った時には結衣は上海に旅立った後だった。撮影スケジュールが変更になった、と結衣の上海行きの理由はチーフである賤ヶ岳さんから聞いた。
【何時でもいいから、連絡して】
結衣にそうメッセージを送る。東京と上海の時差は1時間。海を越えて連絡を取るのに不自由はないはずだった。
たまりに溜まった仕事を片付けながら結衣からの連絡を待つ。待てど暮らせど、スマホは鳴らなかった。
(怒ってるよな…)
結衣のスケジュールを確認する。予定通り、明日の午後には帰国するようだ。俺は日付が変わるまでタスクを捌き、週末の振休を半日だけ取ることにした。

********

結衣は午後の便で帰国した。成田空港で入国手続きを終えてゲートをくぐると、晃太郎が待っていた。
「…どうして?」
フライトの時刻は知らせていない。出張先からの直帰と会社にも伝えてある。通路の端で柵に持たれるように立っていた晃太郎は結衣に歩み寄ると、黙ったまま結衣の手からスーツケースを引き受けた。
「フライト予定は結衣のスケジュールにアクセスしたらわかる。会社の名前で予約してるし」
「…連絡しなくて、ごめん」
結衣が連絡しなかったから、機嫌を損ねたんじゃないかと晃太郎は心配したのかも知れない。だからわざわざ空港まで迎えに来てくれたのか。
「…待ってたんだけど」
言葉とは裏腹に、結衣を見てそう言う晃太郎の表情は優しい。ポンポンと優しい手つきで、頭を軽く叩かれた。
「俺もろくに連絡できないまま、帰れなくてごめん」
「忙しかったんでしょ」
「まあ、それなりに燃えてたし」
晃太郎がゆっくり出口に向かって歩き出し、結衣もその後に続いた。
「結衣には盛大に怒られる覚悟してたんだけど」
笑いを含んだ口調で晃太郎が言った。
「前はドタキャンしたら、すっげー怒ってたし。いつもそれで喧嘩になったよな」
「…もう怒れないよ」
晃太郎と同じチームで働くようになって1年。晃太郎がどれだけ頑張っているか、結衣は誰よりも知っている。ただ長時間労働をするだけじゃない、成果を上げるために必死に努力していることを知っている。
晃太郎が不思議そうな顔をして結衣を振り返った。不思議そうに結衣を見つめ、ふっと笑う。
「聞き分けのいい結衣なんて、結衣らしくないな」
「…何よ、それ」
「言いたいこと、全部言えよ」
晃太郎の言葉に、今度は結衣が不思議そうな顔をする番だった。
「文句でも悪口でも、全部聞くから吐き出せ。我慢しなくていーから」
「…晃太郎、困っても知らないよ」
泣き笑いのような表情になって、結衣が言った。いいよ、と晃太郎も笑う。
「…誕生日、一緒に過ごしたかった」
「うん。…ごめん」
「ケーキ買ってきたんだよ」
「帰ったら一緒に食べたらいいだろ」
「休みの日はしっかり休んで」
「うん」
「ちゃんと、身体を大事にして」
「わかってる。…善処する」
「何それ」
「できる範囲の約束だろ。できない約束するよりマシ」
晃太郎の言葉に、結衣が笑った。
「…他には?」
「飲みすぎて酔っ払っても怒らないで」
「いや、それは怒るだろ。心配かけんなって話だし」
どさくさ紛れに言った結衣の言葉に、晃太郎はしかめっ面で言い返す。そんな晃太郎に、結衣は楽しそうに笑った。少しだけ涙が溢れそうになったのは、気付かないふりをした。
「…誕生日おめでとう、晃太郎」

(終)

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