|
|||||||||
|
|
|
|
|
|||||
| home >教育・入試 >NIE >この記事を手がかりに |
|
新聞、ニュースを調べ学習や自由研究に役立てるページです。
|記事と写真|学習のポイント|ワークシート|バックナンバー| 飛鳥人が使った689年の暦、奈良・明日香村から出土 国内最古
(朝日新聞東京本社発行 2月27日付 朝刊)
奈良県明日香村の石神遺跡(飛鳥時代)で、毎日の吉凶を書き添えた具注暦(ぐちゅうれき)と呼ばれる国内最古の暦の木簡が見つかったと26日、奈良文化財研究所が発表した。表と裏に689年の3月と4月が書き写されていた。これまで最古だった静岡県浜松市の城山遺跡出土の暦の木簡(729年)より40年古い。暦が日常生活に浸透していた様子を示す第一級の資料という。 木簡は厚さ約14ミリ、直径約10センチの円状で、中央に14ミリ大の穴があった。各行に干支(かんし)(甲乙丙〈こうおつへい〉などの十干〈じっかん〉と十二支の漢字2字の組み合わせ)、十二直(日の吉凶を漢字1字で表す記号)、暦注(れきちゅう)(吉凶を表す決まり言葉)を記載。暦注には帰忌(きこ)(この日の帰宅は凶)、天倉(蔵開きに吉)、往亡(おうもう)(旅行などは凶)などと記されてあった。 木簡の文字を手がかりに表と裏の朔日(さくじつ)(1日)の干支を割り出し、445年から1872年までの全部の月の朔日の干支を調べた「日本暦日原典」(雄山閣)と照合し、年月がわかった。 本来は横長の板とみられ、後に円状に削って容器のふたのような物に転用されたらしい。3月の暦を裏返すと4月になる。佐藤信・東大教授(日本古代史)は「板の両隅に穴を開けてつりさげたか、壁に立てかけたのだろう。大変合理的な形で、今日の卓上カレンダーの原形ともいえる」と分析する。 ◆キーワード <具注暦> その日の吉凶や「注意ごと」を詳しく書いた暦。「具」は詳しくの意味。太陰太陽暦に基づいて朝廷がつくり、毎年11月1日に翌年の暦を天皇に献上した。原本は紙に書かれた巻物で、役人が必要部分を書写した。 ●最古の暦、公文書整備で普及か 奈良・明日香村の石神遺跡 (朝日新聞大阪本社発行 2月27日付朝刊) 「春過ぎて夏きたるらし……」。飛鳥時代、持統天皇が季節の変化を詠んだころの暦が、奈良県明日香村の石神遺跡で見つかった。木簡に書かれた具注暦と呼ばれる最古の暦には、今の大安や仏滅に当たる吉凶が日ごとに詳しく記されていた。その日の吉凶を知るため、万葉びとが暦を利用していた姿が垣間見える。 暦は、今のカレンダーのように689(持統3)年3、4月の2カ月分が、1枚の木簡の表裏に書かれていた。本来は横長の板とみられるが、後に円状に削って容器のふたのような物に転用されたらしい。 奈良文化財研究所の市大樹研究員は「2カ月ずつ6枚セットで1年分あり、壁などに掛けていたのだろう。原本の巻物の暦を開いていては不便なので、木簡に書き写して、だれもが見られるようにしたのでは」と話す。東野治之・奈良大教授(日本古代史)は「公文書制度が進んでいたことを物語っている」と指摘する。 701年の大宝律令で完成する日本の律令制は天武・持統朝(672~696)で準備された。律令制は法に基づく公文書で行政を進めるため、役人が公文書に日付を入れるのに暦は欠かせなかった。 だが木簡には誤字が目立つ。「破」を「皮」と略したり、「危」を「色」と間違ったりしている。8~9世紀の暦の断片の木簡や文書類は、東日本の郡役所跡などで11点出土し、正倉院にも4点が伝わっている。誤字の多さが共通しており、中には1日分が脱落していた例もある。市研究員は「次の年の暦が作られるのは11月1日で、年末まで2カ月足らず。原本は長大な巻物で、書き写すのに時間の余裕がなかったのでは」とみる。 具注暦の特徴である吉凶占いは、どこまで信じられていたのか。 東野教授は、京都市の妙心寺に伝わる日本最古とされる釣り鐘(国宝)に注目する。銘には698年を示す「戊戌年四月十三日壬寅収(つちのえいぬみずのえとらおさん)……」とある。「収」は「万物を収めるのに吉」とされる。東野教授は「具注暦を意識して『収』の日を選んだと考えられる」と話す。 日本書紀によると、持統3年4月13日、皇太子草壁皇子が亡くなった。出土木簡の裏面の1行目はこの日だ。くしくも、吉凶の欄は万事に凶の「九坎(くかん)」となっている。
|
|
| | 社会 | スポーツ | 経済 | 政治 | 国際 | サイエンス | 文化・芸能 | ENGLISH | | ||
| ニュースの詳細は朝日新聞へどうぞ。購読の申し込みはインターネットでもできます。 | ||