|
以下の投稿は紛れも無い事実である。
しらばっくれるなよ。
―――――――――――
(仮に別人であるとしても、痴犬と同名を名乗るのならば、当方は痴犬と見なすのは当たり前である。
まっ同士であるなら同じ創価学会員として責任をとるんだな。
いすれにせよ、そんな内部事情は当方には関係ない。
痴犬として対処してもらおう。)
―――――――――――
つづき↓
都合が悪くなると白を切る。しらばっくれる。
所詮痴犬などこの程度の小人である。
それともまさに頭破七分で自分の行動が覚えられないのか。
それは若年性痴呆である。
それこそニセ本尊の害毒覿面である。
さ、ふざけた言い訳はその薄い頭と腐った腸にだけにして、自分が投稿したものには責任を持って解答せよ。
「馬鹿狸にテッチュイ~ン26」
については課題提出やり直し。
このままでは進級できないぞ。
卑怯者で卑劣漢。腐った見下げ果てた蛆虫である。
「痴犬」どころではない。
さ、今晩中に再提出せよ。
創価学会青年部はかくも腐り果てた肥溜め内の蛆虫どもしかいないのか?
―――――――――――
DATE: 5月 2日(火)12時42分3秒
TITLE: 馬鹿狸よ
NAME: エロ如68号
IP=p8118-adsao03kyotmi-acca.kyoto.ocn.ne.jp(220.97.91.118)
▼「宗規」において、日興上人は別格として、御歴代上人中、日有上人と日寛上人のお二方の遺文のみを挙げているのは、一つには両上人の輝かしい御事跡、それから宗門において中興の祖として尊崇されるお立場から、その代表としておられるわけであります。
したがって、本質的な意義の上から、日寛上人以後の御歴代においても、このことはまったく変わるものではありません。
大聖人以来、唯授一人の血脈を師弟相対して相伝し、末法万年に正法を伝持・弘通する歴代上人の御指南ならびに著作はすべて、基本的に正依となることは当然です。
その証拠に、また、「宗規」第15条の5には、法主である管長の宗務として、
「教義に関し正否を裁定する。」
と、唯授一人の血脈の意義において明確に」規定しておるのであります。
ただ、それを「宗制宗規」の「正依」の所においては、代表してこのお二方を挙げておるというだけのことであります。
●↑子供騙しの駄文 勝ってにつくるなっちゅーに
ヌケガラ顕ちゃんが嫡々付法のハゲである事を日蓮正宗の正依をもって証明しなはれ
こういう“謗法法主”が出てきたときのために、日興上人は「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」、すなわち時の法主の言うことでも、仏法に相違した場合は従ってはならないとの遺誡を残されたのである。
■室町時代に十四歳で登座した、いわゆる“稚児(ちご)貫主”の十二世日鎮(にっちん)の時代である。日鎮は下野(いまの栃木県)の有力な一族の出身であると言われ、大石寺の僧俗は日鎮を法主にすることで、その一族からの経済的な支援を期待したのである。
だが、十四歳の少年が法義を十分に体得し、宗内を統率することができるわけもなく、大石寺側は日有上人の「化儀抄」をまとめた南条日住や、京都・要法寺系から大石寺に流れ込んできた左京日教といった元老を日鎮の世話係に立てた。
その世話係の一人・左京日教は、宗内から強い嫉妬や反発を受けていた稚児貫主を擁護するために、次のような指令を出した。
「当代の法主の所に御本尊の躰有るべきなり。此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまう故に、生身の聖人に値遇結縁し師弟相対の題目を同声に唱え……当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ」と。つまり、どんなに若くても、当代の法主こそ日蓮大聖人の生まれ変わりであり、生きた御本尊であるから師弟相対せよ、というのである。
これが大石寺門流における「法主本仏論」の始まりと言われるが、この左京日教について日顕は登座前の教学部長時代に、「左京日教の文献は本宗では正式に用いてはならない」「この文を使うと貫主本仏論になってしまう」「法主といえども御本尊書写がその役目である」と、さんざん説教していたのである。
だが、その日顕が登座するや、「相承を受けた法主は生身の釈迦日蓮」などと、まるっきり正反対のことを言い出すのだから、お笑いである。
所詮、日顕は「大聖人根本」「御書根本」ではなく「自分根本」だから、このように立場が違うと主張がコロコロ変わるのである。
こんなホウボウハゲは正依じゃねーよ。
--
|