「社会から嫌がらせをされているんです」
と相談者は言った。話を詳しく聞くと、完全に統合失調症の症状だった。自分の周りで起きるすべての出来事が、偶然が、自分への攻撃に見えるという過剰な被害妄想である。
「それらは統合失調症の症状に該当するのですが、どう思いますか?」
「統合失調症ではありません」
「そう思う根拠は?」
「例えばいじめの被害者っていじめを訴えても“そんなの勘違いだよ”って言われることがあるじゃないですか。それと同じだと思っています」
根拠になってない。支離滅裂である。
「いじめの場合は、加害者を特定することが必要です。そうしなければ解決しないからです。あなたは加害者を特定できますか?」
「特定できません」
「それはなぜですか?」
「加害者はあらゆる人だからです」
「特定ができなければ被害の証明ができないですよね。一度精神科で診断を受けたらどうですか」
「精神科には行きません。統合失調症ではないからです」
「それだけ自信があるなら診断して客観的な証明をもらったらどうですか」
「医者の診断は当てにならないからです」
「では何のために医者は存在してるのですか?」
「…。」
平行線である。絶対に自分の病気を認めようとしない。現実を直視しようとしない。もはやこれこそが統合失調症の症状なのだと思う。
これはモラハラや犯罪者などの加害者とよく似ている。
加害者は、絶対に自分が加害者であることを認めない。むしろ彼らは、自分が被害者であると信じて疑わない。
統合失調症の人もモラハラも犯罪者も、自分が絶対的に正しく、他者や社会や世界が間違っていると信じている。
彼らにとって、自分の異常性を認めることは、いわば死を意味する。
今まで自分が信じていたもの、今まで自分を守っていたもの、それらを自らの手で壊すことになるからだ。
認めたくても、認めることができない。
しかし一度自分を殺してでも、今の現実を認めることができなければ、次に進めない。問題は一向に解決しない。
そういう人たちを前にして、僕たちは無力でしかないのだろうか。絶望するしかないのだろうか。
たとえ無力でも、このような現実が存在していることを発信することは、何か意味があるかもしれない。
そんなことを思いながら、僕は今この文章を書いている。