10月22日、米国・フロリダでの教育リーグから安藤統男(もとお)2軍監督が呼び戻された。その日、正式に1軍監督を要請されて受諾。そして翌23日、大阪・梅田のホテル阪神「真珠(パール)の間」で就任会見に臨んだ。
「私は若輩だが、全力を尽くして阪神のために頑張ります。優勝を目標に、長い間お世話になった阪神に恩返しすることを約束します」
〈ようし、やるぞ!〉安藤監督の言葉にこちらもワクワクした気持ちになった。注目のコーチ陣が発表された。
▷投手 小山正明(47)▷打撃 横溝桂(46)▷内野守備走塁 河野旭輝(46)▷外野守備走塁 島野育夫(37)▷バッテリー 柴田猛(37)そして選手兼任コーチとして、首位打者のタイトルを獲得した藤田平(32)と中村勝広(32)の2人が入閣した。「実績」「指導力」「人望」そして「将来性」―と、バランスのとれた、なかなかの布陣である。
「いいコーチ陣ですね」と小生意気に左方キャップに言うと、「まぁ、せいぜい小山さんに可愛(かわい)がってもらえや」と返ってきた。実は小山コーチは大の「マスコミ嫌い」。昔から虎番の間では有名だった。
小山が記者を嫌いになるきっかけは、阪神が2リーグになって初めてリーグ優勝を果たした昭和37年にある―といわれている。
10月3日、甲子園球場での広島26回戦。28歳のエース小山は広島打線を3安打8奪三振に抑え6-0で完封勝利。堂々の胴上げ投手となった。5試合連続完封を含むセ・リーグ新記録の13完封で27勝11敗(防御率1・66)。勝率7割1分1厘、奪三振270、無四球試合10はいずれもリーグ1位。「沢村賞」を獲得した。
当然、その年の最優秀選手(MVP)も小山が獲る―と思われた。だが、選ばれたのは2歳年下の村山実。25勝14敗、奪三振265、6完封、無四球試合7。投球回数と防御率1・20がリーグ1位で小山を上回っていた。当時、担当記者だった平本先輩はこう回想した。
「勝率でみるか、防御率でみるか、微妙なところやった。チームへの貢献度を重視したら当然、小山さんや」
ところが、記者投票(3年以上のプロ野球記者)の結果は村山93票、小山72票。僅差どころか21票差という大差がついた。
「こんなに差がつく争いやなかった。口には出さないが、じくじたる思いが小山さんにあったと思う。同時に新聞記者への思いも、このとき固まったのとちゃうかな」
――殿はどっちに投票したんです?
「この年はまだワシに投票権がなかった。あったら? そら、小山さんや。MVPは人気投票やないからな」
〈さすが、殿〉である。(敬称略)