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「人権と報道」概論

Ⅲ 報道被害をなくすために


1――報道批判と改革への提案

 報道被害はなぜ起きるのか、どうすればなくせるのか。この問題を取り上げて最初に被害実態を調査し、報道改革への提言を行ったのは、日本弁護士連合会(日弁連)だ。日弁連が1976年に出した『人権と報道』(日本評論社)は、多くの被害例を挙げ、「興味本位の犯罪関連事実の報道には厳に反省が求められるべきである」として、次のように述べた。

 報道被害の大きな要因が、被疑者の氏名の公表にあり、被害をなくすには匿名報道すべきだ、との提言だ。しかし、メディアはこの提言を受けとめず、それどころか興味本位な報道をエスカレートさせていった。

 そのひとつのピークが1984年1月、週刊文春の「疑惑の銃弾」連載で始まった「ロス疑惑」報道だった。これはそれまでの「逮捕=実名犯人視報道」という枠を超え、一週刊誌の「疑惑=実名犯人視」に他のメディアが追随して一市民を「保険金殺人の疑惑人」に仕立て上げて、メディア・警察の合作冤罪を作り出した。

 この「ロス疑惑」報道の狂騒さなかの84年秋、共同通信の浅野健一記者(現・同志社大学教授、人権と報道・連絡会世話人)が『犯罪報道の犯罪』(学陽書房)を出版した。この本は、深刻な報道被害の実態を調査・リポートし、被害を起こすメディアの構造を自身の体験も交えて解明。スウェーデンなど諸外国で「匿名報道原則」が実践され、報道被害を防止・救済するために報道評議会やプレス・オンブズマン(★20)などの「メディア責任制度」を設けて成果を挙げていることを紹介、「日本にも匿名報道主義とメディア責任制度の導入を」と訴えた。

 『犯罪報道の犯罪』は、泣き寝入りしてきた報道被害者たちに、メディアとの闘いに立ち上がる勇気と指針を与えた。それは、報道の受け手である市民にも報道を見直させ、事件報道の現場で、記者たちが報道の人権侵害を反省するきっかけとなった。

 それらの反響は「報道被害をなくそう」という大きな流れを起こし、85年7月に「人権と報道・連絡会」が発足。以後、仙台、名古屋、大阪、福岡など全国各地で「人権と報道」を考える市民のネットワークが生まれ、報道改革、被害者支援の運動の輪を広げている。

2――匿名報道とメディア責任制度

(1) 匿名報道主義

 浅野さんが提唱した匿名報道主義とは、「権力の統治過程にかかわる問題以外の一般刑事事件においては、被疑者・被告人・囚人の名前は原則として報道しない」というものだ。

 わかりやすくいうと、政治家、上級公務員、警察幹部、大企業経営者、労働組合幹部など社会的に大きな影響力のある「公人」が、その地位や職務を利用して罪を犯したと疑われた場合、市民はその公人の名前を知る必要がある(顕名報道)が、一般市民(私人)の事件では名前を知る必要はない(匿名報道)、という考え方。これをメディアが実践しているスウェーデンでは、メディア界全体で自主的に定めた「報道倫理綱領」に、メディアが守るべき報道基準として、具体的に書かれている。(★21)

 より具体的に考えてみよう。たとえば政治家と大企業による贈収賄事件。政治家も被疑者としては無罪を推定されているが、メディアは彼らに「公人」として事件に関する釈明を求め、その名前を含めて取材結果を市民に伝える必要がある。公人にはそれだけの社会的責任があり、「疑惑」に答える義務がある。その情報は市民の民主的自治に必要だからだ。

 しかし、一般市民が殺人事件を起こしたと疑われ、それが事実であって本人も認めていたとしても、市民がその被疑者の名前を知る必要はない。市民が被疑者名を知るメリットはなく、実名で報道された人や家族に対する社会的制裁が起きてはならないからだ。

 スウェーデンでは、警察幹部の家族が事件を起こしても、それだけなら名前は報道されないが、その幹部が事件のもみ消しを図ったと疑われた場合は、家族の名ではなく幹部の名が本人の弁明も含めて報道される。「メディアが市民に知らせる必要があるのは、どんな立場の人のどのような犯罪行為か」をきちんと考えた報道姿勢といえよう。

 公人の事件では、事件の構造や背景を本人の主張も伝えながら詳細に報道する。一般の刑事事件では、メディアは捜査が法に基づいて適正に行われ、被疑者の人権が守られているかどうかをチェックする。それが匿名報道主義のもとでの取材・報道のあり方だ。

 日本でも匿名報道主義を、との提唱に対して、メディア界は「犯罪報道は実名が原則」との立場を取り続けている。その理由として、①個人の特定は犯罪報道の基本要素②誤報になった場合は、名誉回復の報道をする③匿名では報道の信用性が損なわれる④匿名報道になると記者の緊張感が薄れ、取材も甘くなる⑤匿名報道では警察が逮捕した被疑者の名前を発表しなくなり、権力行使のチェックができなくなる――などが挙げられてきた。

 これに対しては、①公人・私人を区別しない個人の特定重視は、報道被害を軽視したメディアの身勝手②実名による誤報の被害は取り返しがつかず、名誉回復報道も実際には行われていない③報道の信用性は、情報源の明示、記者の署名で確保すべき④記者の取材姿勢は社内教育の問題⑤警察の匿名発表は実名報道への苦情を口実に行われており、メディアは権力チェックもしていない――との反論が行われてきた。しかし、「実名主義」メディアは、これらの反論にきちんと答えず、実名報道を続けている。

(2) メディア責任制度

 日本では報道被害者が名誉を回復するには、加害メディアを相手取って名誉毀損の民事訴訟を起こす以外に有効な手段はない。それには、被害者自身の大きなエネルギーと時間、費用がかかる。その名誉回復を、法や裁判ではなく、メディアが自主的にメディア全体の責任で取り組み、報道加害を繰り返さないようにするのが、メディア責任制度だ。

 スウェーデンで1916年、世界最初の報道評議会が設立され、それが北欧からイギリス連邦諸国、欧米、アジアにも広がって、現在30を越す国・地域にメディア責任制度が設けられている。国によって仕組みに違いはあるが、そのポイントは①設置主体が公権力ではなく、メディア(経営者・労働組合・ジャーナリスト)であること②制度の運営には、メディア界だけでなく、市民も参加していること③メディア全体で報道のモラルや基準を話し合い、自分たちが守るべき「報道倫理綱領」のような基準を決めていること――などだ。

 先駆者のスウェーデンを例に、具体的な仕組みを見てみよう。運営母体は、新聞発行者協会、記者組合、パブリシストクラブ。この3団体による「報道協力委員会」が、プレス・オンブズマン(以下、PO)と報道評議会に、「報道被害が起きていないか」「各メディアが報道倫理綱領を守っているか」などのチェックを委託する。POは法律家やジャーナリストから選ばれる。報道評議会は、法律家、メディア3団体代表、市民代表で構成される。

 報道被害者は、文書でPOに苦情を申し立てる。手続きは無料だ。PO自身も「市民の代理人」として、報道を常時モニターする。申し立てを受けたPOは、当該メディアの編集責任者と話し合う。この段階で、メディア側が報道を訂正し、謝罪することも多い。

 POが苦情申し立てを報道倫理綱領に基づいて正当と認め、なおかつメディア側が非を認めなかった場合は、苦情は報道評議会に送付される。報道評議会は、苦情を報道倫理綱領に基づいて審議し、裁定し、その結果を公表する。報道に非があると裁定されると、当該メディアは自身の紙面・誌面の目立つところに裁定文を掲載しなければならない。(★22)

 2002~03年に世界各国のメディア状況を調査した浅野さんによると、旧ソ連や東欧各国もメディア責任制度の導入を検討している。「報道の自由」の確立がEUへの加盟条件になっているためだ。アフリカや南太平洋の諸国でも制度導入の検討が始まっているという。

3――メディア界の対応と法規制の動き

(1) 報道批判と改革の動き

 1984年以来高まった報道批判は89年、大きなピークに達した。4月、「綾瀬母子殺人事件」で、メディアは無実の少年3人を犯人視報道(★23)。8月の「幼女連続誘拐殺人事件」被疑者逮捕では、1か月近くもセンセーショナルな報道が続き、「過剰報道」の批判が起きた(★24)。その激しい特ダネ競争の中で、読売新聞が「幻のアジト」報道。この虚報(★25)は、朝日新聞の「サンゴ損傷事件」(★26)、毎日新聞の「グリコ事件犯人取調べ」報道(★27)とあわせて「3大新聞・3大虚報」となって、市民のメディア不信を募らせた。

 高まる批判の中でメディアは同年11~12月、毎日新聞を皮切りに「被疑者の呼び捨て廃止」に踏み切った。「犯人の○○」と呼び捨てにしていたのを、「○○容疑者」の呼称を付ける用に改めたもので、改革の理由として、毎日は「無罪推定の法理」を挙げ、読売は「社会的制裁を加えるのが犯罪報道の目的ではない」と明言した。

 90年3月には、朝日が「汚職や重大な経済犯罪などを除き、被疑者の連行写真・顔写真の掲載を控える」との改革を発表。「当番弁護士制度」の普及で、弁護人を通じて被疑者の主張を伝える動きも出始め、西日本新聞は93年から「容疑者の言い分」を報道し始めた。

 93年6月の朝日を皮切りに各紙が「メディア欄」を設け、自社報道も含めた報道検証記事や識者による「メディア批評」を掲載し始めた。これも報道批判に応えたもので、「報道のあり方」がニュースとして取り上げられるようになった。朝日は、サンゴ事件の反省から社外の識者による「紙面審議会」も設置、審議内容を紙面で公表するようになった。

 こうして90年代前半、報道改革は順調に進むかに見えた。

 しかし、報道被害を生み出す犯罪報道の構造は、基本的に変わらなかった。それを露呈させたのが、松本サリン事件報道だった。さらに、その後の「オウム事件」では、センセーショナリズム、特ダネ競争、犯人視・悪人視報道など、犯罪・事件報道の悪弊がいっきに噴出した。(★28)その後、97年の神戸・児童殺傷事件をはじめとして、大事件のたびに「集団的過熱取材・集中豪雨報道」が日常化し、報道被害がむしろ拡大・深刻化してきたのは、すでに見てきたとおりだ。

 集団的過熱取材による報道被害は、事件・事故報道の枠を超えて、「脳死移植」報道(★29)など他の分野にも拡大した。これに対して90年代後半、再び市民の間からメディア不信・報道批判の声が高まったのは当然だ。そうした状況を「チャンス」ととらえた政府・自民党は、報道被害対策を口実に、後述するようなメディア法規制に動き出した。

 これに対して、メディア側は「自主対策」を打ち出さざるを得なくなった。

 真っ先に法規制の対象にされた放送界は97年6月、NHKと民間放送連盟加盟各社が共同で、「報道被害に関する苦情受付・救済のための自主的な第三者機関」として、「放送と人権等に関する委員会機構(BRO)」を設立した(★30)。

 2000年6月、新聞協会は「新聞倫理綱領」を全面改訂し、新たに「人権の尊重」に関する項目(★31)を盛り込んだ。

 同年10月には、毎日新聞社が社外の第三者による報道チェック機関として「開かれた新聞委員会」を設置。以後、新聞・通信各社が次々と同様の機関を設け始め、2004年4月までに計34社が「報道と人権委員会」(朝日)、「新聞監査委員会顧問」(読売)、「新聞報道のあり方委員会」(東京新聞)、「『報道と読者』委員会」(共同通信)などの機関を設置した。

 さらに2001年12月、新聞協会は「集団的過熱取材に関する見解」を発表した。(★32)①嫌がる当事者を集団で強引に包囲した取材はしない②通夜、葬儀などの取材では遺族の心情を踏みにじらないよう配慮する③住宅街や学校、病院では交通、静穏を阻害しない――の3点を「最低限守るべき柱」とし、取材現場、中央に各社協議の場を設けることとした。民間放送連盟も同月、同じような「指針」をまとめ、加盟各社に示した。

 しかし、こうしたメディア側の「自主対策」は、法規制を免れるための「応急策」の色合いが濃く、報道被害を防ぎ、被害者の名誉を回復するものにはなっていない。

 BROは、日本で初めてメディアが自主的につくった報道被害対策機関だが、報道被害者の苦情を判断するための「報道倫理綱領」のような基準をもっていない。このため、判断の基準が「メディア倫理」ではなく「法的権利侵害」におかれがちで、苦情を申し立てた被害者から「最初から裁判に訴えたほうがよかった」などの不満が出ている。

 新聞各社ごとの「第三者機関」も、実名報道を是とした各社の報道基準に基づいた判断しかできないため、結果的に自社報道の追認に終わっていることが多い。実際、01年1月の「北陵クリニック事件」(「仙台・筋弛緩剤事件」と報道)では、各社機関とも警察情報を鵜呑みにしたセンセーショナルな犯人視報道の問題点を指摘できず、報道被害防止に役立たないことを露呈した。

(2) 進行するメディア法規制

 一方、政府や自民党主導のメディア法規制の動きは、90年代後半から急速に現実化した。

 96年3月、TBSのオウム報道をきっかけに政府や政治家から報道規制を求める声が噴出、同年12月に郵政省・放送行政局長の私的研究会「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」が、「放送局の外部に第三者機関の設置を」と提言。

 98年10月、参院選(7月)の敗北を受けて、自民党が報道を監視するための「報道モニター制度」創設。99年3月、自民党が「報道と人権等のあり方に関する検討会」設置(8月にメディアの自主規制強化を求める報告書発表)。

 99年6月、与党3党が住民基本台帳法改正に関連して「個人情報保護法」の法制化に合意。2000年10月、同法案の大綱決定、発表。01年3月、同法案を閣議決定、国会に提出。

 2000年11月、法務省の人権擁護推進審議会が中間報告。01年5月、同審議会が「新たな人権救済機関」設置を求める答申。02年4月、「人権擁護法案」閣議決定、国会に提出。

 一連の動きは、「集団的過熱取材」による人権侵害が深刻化する中で、市民の報道批判の高まりに便乗し、自民党にとって長年の懸案だった「メディア法規制」を狙ったものだ。

 なかでも個人情報保護法案、人権擁護法案は、いずれも本来の立法目的であるべき「公権力による人権侵害の規制」を最小限に「規制緩和」する一方、「民間に対する規制」の中にメディアや市民団体を含めてしまい、政府・自民党にとって都合の悪い言論・報道を権力的に規制しようとする本末転倒のスリカエ法案だった。

 これに対して、メディア界からはフリージャーナリストを中心に反対運動が起きた。大手メディアは当初、自分たちは「適用除外」になると錯覚し、傍観していたが、法案の中身が明らかになるにつれて危機感を感じ、反対キャンペーンを始めた。しかし、自分たちの報道による人権侵害の「加害責任」を問わないまま、メディアが「報道の自由を守るためにメディア規制に反対しよう」と呼びかけても、市民の反応が鈍かったのは当然だ。

 個人情報保護法は、一時は廃案になったものの部分的な修正を経て03年5月に可決・成立した。日本を「戦争ができる国」にする有事法制とのセットだった。

 人権擁護法案は一度廃案になったが、法務省は一部を修正し、04年秋の通常国会に再上程する構えを見せている。

 4――おわりに――報道改革の課題と展望

 言論・表現・報道の自由は、民主主義の基礎だ。戦前の日本では、侵略戦争に反対するあらゆる言論・報道を「非国民」として取り締まり、「天皇の臣民」を戦争に煽りたてて取り返しのつかない惨禍をひき起こした。その反省から、戦後の日本は憲法に言論・表現の自由を明記し、報道に対する法規制を排除してきた。

 それが21世紀に入って重大な危機を迎えている。危機を招いた責任の多くは、本来市民の人権を守る立場にありながら、逆に市民の人権を侵害してきたメディア自身にある。今、メディアに求められているのは、「報道の自由は自分たちのためのものだ」と市民が思えるような状況をもう一度作り直すことではないか。

 そのためには、まず「犯罪報道の犯罪」の構造を根本的に改革することが必要だ。

 ①警察情報、警察の判断に依存した「逮捕=犯人視報道」をやめ、無罪推定の法理を踏まえて、「公人は顕名・一般市民は匿名」の原則を確立すること。

 ②犯罪報道を商品化した「犯人探し」の特ダネ競争をやめ、警察取材の目的を違法捜査の監視を中心とした「権力チェック」におくこと。

 ③事件発生時の集中豪雨型報道をやめ、裁判を通じて事実関係が明らかになる過程で、事件の社会的背景を伝える裁判中心の報道に切り換えること。

 ④報道に際しては、情報の確かさを受け手が判断できるよう「情報源」を明示するとともに、取材記者の署名を入れて報道の責任を明らかにすること。(★33)

 ⑤報道に携わる者として、記者・ジャーナリストは人権意識・人権感覚・法知識を高め、メディア全体の報道倫理を確立する。

 こうした報道改革に取り組むとともに、報道被害を防止し、被害者の名誉を回復するためのメディア責任制度を一日も早く確立しなければならない。

 市民のネットワークである人権と報道・連絡会は、85年の発足以来、「日本にも報道評議会を」と訴え続けてきた。それに続いて87年には日弁連が、2001年には新聞労連も報道評議会の設置を呼びかけ、それぞれが運動に取り組んでいる。

 報道の人権侵害をなくすこと、報道の自由を守ること、それは表裏一体のものだ。メディアが人権侵害をやめて市民の人権を守るための存在になれば、報道の自由もまた、市民の人権を守る武器として、市民のためのものとなる。

 報道の受け手である市民と、送り手であるジャーナリストが手を携え、「戦争や人権侵害を許さない市民のための報道」を確立していきたい。

[山口正紀]