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注目すべきは最後に霊夢に追い詰められたと思い込んだ菫子が自分はどうなってもいいからとオカルトボールの力を解放させて幻想郷の結界を破壊しようとした際に、その自爆のことを「価値ある死」と言っている点である。価値ある死自体は直後に霊夢が否定するのだが、なぜ菫子はその行為に価値があると思ったのか。答えはどう考えても、退屈な外の世界(そう菫子は感じていると作中で語られている)と幻想郷の結界を破壊することで世界が面白くなると思ったからだろう。確かにオカルトボール騒動は退屈しのぎの好奇心によって「なんとなく」起こしたものであったかもしれないが、究極的には外の世界への失望によって駆りたてられた衝動だった
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これは蓮子とメリーの秘封倶楽部にも通じる根底的なテーマであるし、東方における幻想郷と外の世界、妖怪の賢者の理想や妖怪たちの未来構想にもつながる非常に野心的な動機である。しかしその理想の達成は「自爆」のような誰かの犠牲を前提としたものの上には成り立たない、成り立ってはいけない、というのが霊夢であり幻想郷でありひいては原作者の思想的回答だった。と総括することができる。
最後の真・霊夢ルートのエンディングの地の文の語りでは、菫子にとっての幻想郷入りが「華胥の国」のエピソードと同様に現実(外の世界)での菫子や社会のあり方そのものに良い影響を与えるための契機になる可能性に言及されている。菫子が幻想郷に遊びに来るようになったという逸話には、東方や秘封が実は社会的な次元でも含蓄のある物語を展開していることがはっきりと示されている。と考えることもできるだろう