| 大震災発生 |
| 平成7年(1995年)1月17日5時46分、兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)がおこった。地震当日の早朝、友人からの一本の電話で起こされた私は、すぐさまテレビをつけた。神戸で大地震があり、火災がいたるところでおきている。姫路で育った私には神戸と地震が結びつかない。テレビでは巨大なビルが倒れて横たわっている。ヤバイ。姫路の実家に電話。つながらない。テレビでは震度5と言っている。何度もリダイヤルしてようやくつながった。家族は無事。隣の家の瓦が2・3枚落下した程度とのこと。これがこの地震との出会いだった。 |
| まず現地へ |
連日の報道で被害が次第に明らかになると共に、現地でのボランティアの活躍ぶりも報道されるようになってきた。私たちも何かの役に立ちたい、この思いがいつの間にか当時新進党結党に伴う学 生組織結成の準備をすすめていた私たちの中で、具体化していったのである。この思いを旧日本新党出身で学生担当の事務局員松野さん(松野頼三ご子息。その後、衆議院議員)に相談すると、即行動しようということになった。話は松野さんを通じて組織副委員長船田元議員にも伝わり、是非話を聞きたいので議員会館に来てほしいとのことだった。私たちの説明を聞いた船田議員は、「現地に行って実際に見てみる必要がある。一緒に神戸に行こう」と。2月初旬、私と松野さん、船田議員ともう一人の学生Gくんの4名で関空を経由して神戸に入った。現地対策本部(写真)、兵庫県庁を皮切りに、現場をつぶさに見てまわり、被災者の方に現地で何が不足しているのか聞いて回った。物質的なものは足りてきている。足りないのは、親を亡くした子供の面倒を見てくれる人(学校は午前中のみ)や体育館で生活している受験生が勉強する場所や時間等とのこと。そこで私たちは子供たちの心のケアや学習面を担当するボランティアをすることにし、東京でボランティアに行ってくれる人を募集することになった。
松野さんには、これから美味いものが食えなくなるからと宿泊先の大阪でかに道楽に連れていってもらった。その後、ホテルでGくんと宿泊。神戸近くのホテルはどこも満室で紹介でやっと一部屋とれたとのこと。私は補助ベッドで寝ました。 |
| いざ神戸へ |
| 東京に帰り、皆に話すと、時間をみつけて参加したいとのこと。また姫路の友達もいる。人は確保できる。ただ宿泊先等はどうしようと考えていると、神戸電子専門学校の空き教室(写真)を一部屋貸りられることになり、そこで泊ってもいいとのこと。また現地対策本部に秘書を派遣されていた二階俊博議員の後援者から寝袋・毛布を貸してもらえることになった。またボランティアに参加する学生には青春18切符を支給してもらうことになった。これで事前準備は完了。いざ神戸へ。2月27日深夜、私、Gくん、私の高校同級生タイガくんの3名は大垣行き夜行普通列車で、ほか5名は車で出発。松野さんは尾張小牧でレンタカーを借りて、そのまま現地で合流した。 |
| ボランティア |
現地到着後すぐ、長田区にあるボランティア団体協議会に出向き、スタッフにボランティアの趣旨を説明(写真)したところ、真陽小学校を紹介されたので向う。校舎や校庭に被災者の方が生活している。まだ寒さが残る中、焚き火で暖をとっている人たちを見て、ここが私たちの活動する場だ、そんな思いで職員室へ足を運んだ。先生に趣旨を説明すると、まだ午前中しか授業ができない状況で、家に帰っても親がいない子供たちは学校で暇を持て余していると。またいろんなボランティア団体の人に助けてもらっているが、学校のほうで管理はしないので自由にやってくださいとのことであった。ということで、明日の昼から活動を開始することにする。昼間は小学生以下の子供を対象にして、一緒に遊んであげたり、話を聞いてあげたりすることを中心に活動し、夜は育英高校などに避難している高校受験生の勉強を見たりして活動した。
いろんな楽しいことやつらいことが起ったり、子供たちから本音の話を聞いたりしながら活動。東京の人は子供たちにとってめずらしく、言葉も面白かったようだ。現地にとけこみ、ボランティアが少しは役に立っているのかと思いつつ活動しているといつの間にか終了予定前日の3月26日。子供たちと別れたくないという思いはあったが、断ち切って翌日私とMくんは姫路へ帰った。 |
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| 思い出 |
私たちの生活はというと男性は神戸電子専門学校の教室で寝袋生活(写真)を送り、女性は県の施設を借りていました。近くの銭湯は壊滅状態で、須磨の方までいかないと風呂に入ることができなかったので、私は一ヶ月で5回しか風呂に入っていません。食事はローソンのお弁当を中心に過ごしていました。(バラエティ弁当にはお世話になりました。)私は始めから終りまで約1ヶ月間神戸にいましたが、参加する人は数日で入れ替わっていくし、初対面の人も多い。そんな中で意見が合わないこともありました。それでも最後までやり遂げることができたのは、震災に負けずに元気に生き抜いていこうとする子供たちの姿と純粋な気持ちでボランティアをやろうという人が集まったからです。夜、ボランティア活動が終わった後、震災の中でも元気に営業している店に顔を出し、よく議論(写真)しました。この思い出は一生消えることがないでしょう。
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最後に、参加してくれた方の声で共通するのは、子供たちというより私たちが成長させてもらった、ということでした。私も本当にそう思います。ボランティアの場を与えていただいた方、一緒に活動してくれた方に感謝したいと思います。
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ボランティアの記録
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| 活動期間 |
2月28日から3月27日まで |
| 往復交通 |
東京~大垣間鈍行列車ほか |
| 宿泊先 |
神戸電子専門学校(女性は県厚生施設に宿泊) |
| 代表 |
竹内英明 |
| 事務局長 |
野間幹晴 |
| 参加者 |
50名 |
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