ケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する! 11th season

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 「歴史探偵」が明治天皇の后である美子皇后(後の昭憲皇太后)を採り上げていました。明治政府は天皇を国軍の大元帥と位置付け、それに相応しく洋装化させましたが、皇后については和装のまま留め置こうとしました。こうした和装固執派に抗って洋装化を主張したのが美子皇后でした。皇后が公的な儀式などで着用する洋式の礼服は、予定通りにドイツから輸入すれば13万円(※鹿鳴館の総工費が18万円の時代)になるところを、原材料も技術も国産化が図られて和洋折衷の大礼服が完成しました。また皇后は女子教育推進を志向すると共に女子の洋装も奨励し、日赤の発展にも貢献し、宮中での養蚕(1871~)も始めました。そして資源の無い日本国では生糸が外貨獲得に重要だと確信した皇后は富岡製糸場などを盛んに視察し、奮起した女工たちが富岡の技術を全国の製糸工場に伝え、やがて国内の製糸産業は大いに発展しました。

 ところで、日本の養蚕と生糸生産が急成長したのは1700年代の中頃とされ、ちょうど江戸幕府8代将軍・徳川吉宗による享保改革(1716~45)の頃でした。準鎖国日本の貿易相手国は清とオランダで、清からの輸入品は絹織物と漢方生薬でしたが、吉宗は養蚕と生糸生産を奨励して絹織物の国産化を図り、漢方生薬の一部(御種人参=高麗人参)も田村藍水が国産化に成功(1729)しました。享保改革は確かに朱子学的規範に基づく緊縮財政という面も有りましたが、墨田川の河岸や御殿山・飛鳥山などに桜を植えて花見の名所としたり、墨田川での川施餓鬼(飢饉やコレラの死者を供養する法会)と共に花火を打ち上げたり(1733)、つまりアクセル(ケインズ的公需/アダム=スミス的民需)とブレーキ(官僚的規制)とのバランスが良かったと言え、それゆえ彼は徳川15代の中で最も人気が高いのでしょう。そして吉宗が貿易赤字を減らすべく打った施策の成果は、明治期の国産生糸が世界を席巻するという快挙に帰結しました。ちなみに本草学者の田村藍水は後の老中・田沼意次(※ 10th season)に登用された山師・平賀源内の師匠です。

 さて、現在の皇室は広く世間に蔓延る和装固執派ならぬ男系固執派というアナクロニストに壟断されています。そうした固執者は吉宗や田沼と比べるのも烏滸がましいほど頭がくてです。皇族方が双系化を主張したくても憲法上の制約に阻まれているため、やはり国民が訴えるしかありません。 

文責:京都のS

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