桃子さんが、この少女の「ストーカー行為」のことを「八百屋お七でしょう」と言うのだ。
ドラマの舞台は東京の谷中なので、八百屋お七の現場に親しみがあってそういう表現になっていたのかもしれないが、それにしてもストーカー行為のことを「八百屋お七」と言い放つところが何ともいえない。「好きが昂じて、異常行動にでる」という意味であるが、お七ちゃんは300年以上前の娘さんだ。
桃子さんの言葉を並べると「八百屋お七でしょう、美しく言えば片想い、はっきり言っちゃえば自分勝手、自己陶酔ってやつ」となっていて、迷惑行為だとやんわり指摘しているが、でも強く非難しているわけではない。
ストーカーという言葉が認識され始めるのは、ちょうどこの『ひまわり』が放送された少しあとくらいから、つまり1996年の後半であった。
1997年1月から放送されるドラマで、「ストーカー」のタイトルが入ったものがTBSと日テレで同時に始まってしまい、あまりにも丸かぶりな内容だったので強く覚えている。
「この新しい概念であるストーカーというものをドラマにしよう」と考えた人が同時多発的にいたのだ。
1991年世界にはストーカーは存在しない。
30年で「いい世界」になったのか?
1991年と2022年世界はずいぶんと違う。
ドラマ『ひまわり』の最初の2週ぶんを見ただけで、世界の違いがいろいろわかる。
2022年は1991年にくらべて少しは過ごしやすくなったようにおもう。
でもいい世界になったのかどうかはわからない。
近代社会は、いつだって傾斜の途中でしかないからだ。