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ジャニー喜多川 “アイドル帝国”の実像

初回放送日:2024年10月20日

ジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏。日本エンタメ界のカリスマでありながら、長年に渡り、少年たちへの性加害を続けてきた。なぜ誰も彼を止められなかったのか―。アメリカ日系人社会での知られざる来歴や、ジャニーズ草創期を知る人物の貴重な証言から、早い時期からのジャニー氏の性加害、そして姉・メリー氏がそれを“隠蔽”してきた実態が浮かび上がる。メディアも加担して築かれた“アイドル帝国”の実像とは―

放送内容

目次
  • ■まとめ記事

■まとめ記事

(2024年10月20日の放送内容を基にしています)

<ジャニーはなぜ“モンスター”となったのか>

アメリカ・ロサンゼルスで93年前、1人の男が生まれた。

ジャニー氏の友人「これが実際の写真。ヒー坊。18歳ぐらいかな」

ディレクター「ヒー坊というのは?」

ジャニー氏の友人「ジャニー。でもみんなヒー坊と呼んでいた」

ジャニー氏の友人「彼は兄のような存在で、いつも冗談を言い合う仲でした」

ディレクター「ジャニー氏の性加害問題についてどう思いますか?」

ジャニー氏の友人「そんなそぶりはなかった」

藤島ジュリー景子氏「ジャニー喜多川に性加害はあったと認識しております」(2023年9月7日のジャニーズ事務所会見より)

東山紀之社長「人類史上、最も愚かな事件だと思います」(2023年9月7日のジャニーズ事務所会見より)

ギネス世界記録にも認定され、日本の芸能界を牽引する存在だったジャニー喜多川氏。その人物像は、ベールに包まれてきた。
なぜ少年たちへの卑劣な性加害を誰も止められず、彼は「モンスター」とよばれるまでになったのか。


<タレントが語る“ジャニー喜多川”という人間>

性加害問題が表面化してから初めて、元所属タレントの1人が取材に応じた。

フォーリーブス/江木俊夫氏「歌とか踊りとか、すべて初めてやらせてもらったのはジャニーズ事務所でございます」

フォーリーブスは、NHK紅白歌合戦にも7回連続で出場。ジャニーズの名を世間に広く知らしめた。

フォーリーブス/江木俊夫氏「マネージメント、プロデューサー、演出家、全部ジャニーさんが頭の中で描く。その男の子の将来を描いちゃうんでしょうね。それがまた当たってるから、すごいんですよね。人を見るその目が、普通の人よりも10倍も20倍も肥えているんじゃないかな」

ディレクター「エンターテインメントの功績、すごいところがあったと思うんですが、彼のモチベーションというのは、どういうところにあったと思いますか?」

フォーリーブス/江木俊夫氏「それはいま話題になっているジャニーズ事務所が、これだけクローズアップされた性被害ですよね。ジャニーさんの本能的な男の子を見る目が、普通の人とやっぱり違うんでしょうね」

ディレクター「そこの本能は、ある意味切り離せないものだと考えますか?」

フォーリーブス/江木俊夫氏「そうですね、切り離せないんじゃないですか。男の子を好きだという本能と、男の子をエンターテイナーにする本能、それが一致して初めてジャニー喜多川という人間じゃないんですか」


 

<社会を熱狂させてきたジャニーズ>

世界有数の規模を誇る日本の音楽業界。
ジャニーズ事務所は、“男性アイドル”という独自のジャンルを確立してきた。

元テレビ東京/桜美林大学教授/田淵俊彦さん「2023年3月いっぱいまでテレビ東京で働いていました。入社したのが1986年で、2年目からはジャニーズ事務所担当のようなことをやっていました。ジャニーさんは意外とフランクで、我々ADにも気軽に話しをしてくれるような方で、人の心をつかむのが上手な人なのかなと思いましたね」

元テレビ東京/田淵俊彦さん「我々作り手は視聴率を非常に求められます。視聴者が望むタレントを出していこう、よりいいものを作っていこうということで、テレビは発展してきた。ジャニーズ事務所のタレントは視聴率を持っていますから。歌番組に出たら視聴率を取る、ドラマに出したら視聴率も取ってくれる、バラエティー出しても視聴率取ってくれる。テレビ局にとっては、おいしい話なわけですよ」


<ジャニー氏の原点 アメリカで強めた姉弟の絆>

表舞台にほとんど出ることのなかったジャニー氏。

ジャニー氏の肉声「アイドルづくりって人間づくりですよね。それだけにやりがいがある。どの子だってみんな、人間の美しさとかがあるんですよね」
(2015年 NHK「蜷川幸雄のクロスオーバートーク」より)

ジャニー氏は1931年、日本人の両親のもと、アメリカ・ロサンゼルスで生まれた。4歳上には姉・メリー氏がいた。

姉弟の友人/ミニー・タカハシさん「昔、私はメリー、ジャニーと友達でした。ロサンゼルスの高野山で彼らの父親は数年間、寺の住職をしていました。私の両親は寺の檀家だったから、家族と知り合いになったんだと思う」

喜多川一家は、ジャニー氏が生まれて2年もたたず、日本に戻ることを決断する。
ジャニー氏が10歳のときに太平洋戦争が勃発。和歌山で疎開生活を送った。

ジャニー氏の肉声「和歌山 新宮、勝浦のあたりに僕のおじいさんがいたんですよ。そこで生活したんですよ、戦争を。夜に空襲警報があって、地域のあたりはバババーンと焼夷弾でやられちゃった。僕は焼夷弾から逃げるのに必死だったんですけど、子どもだから何がなんだか分からないですよ」
(2015年 NHK「蜷川幸雄のクロスオーバートーク」より)

終戦後、18歳のジャニー氏はメリー氏とともに、再びアメリカに戻ってくる。
16年ぶりに戻ってきた姉弟。頼ったのが、喜多川家とつきあいのあった、タエミさんの祖父母だった。

姉弟の友人/タエミ・ウケスタッドさん「アメリカで教育を受けさせ、良い人生を築くために、父親が送り込んだのでしょう。子どもたちだけで来たんです。アメリカに長い間住んでいなかったので、かなり怖かったと思う。ジャニーとメリーの性格は正反対でした。彼はもの静かで、彼女は積極的で気が強い。ヤスコは弟を守り、面倒を見ていた。ここで生活していけるように彼女が道を切り開いた」

メリー氏は当時の暮らしぶりについて、のちにこう語っていた。

「決して楽な生活ではありませんでした。ベビー・シッターもやったし、ショップ・ガールもやりました。どうしても日系アメリカ人社会に同化できなかったことや、日本へのホームシックも大きくて、帰ることにしたのです」
(1976年5月6日号「女性自身」より)

姉弟の友人/タエミ・ウケスタッドさん「アメリカの暮らしになじむにも苦労したでしょう。だから日本でうまくいったんだと思う。成功したいという強い気持ちを持っていたから。メリーは姉でありながら、母親的な存在でもあったのでしょう。幼い頃に母親を亡くしているから。メリーが家族の中でその役割を担ったんだと思う」

タエミ・ウケスタッドさん「彼女は自信に満ちあふれていた。きっとそういう育ち方のせいで、強くならざるを得なかったんだと思う。その経験は姉弟の絆をより強くしたと思う。だから彼らが日本に戻って、一緒に仕事を続けたことも驚きません」


 

<元社員が明かすジャニーと性加害>

ディレクター「今回、取材を受けてもいいと思われたのは、どうしてでしょうか?」

元ジャニーズ事務所・社員「芸能界全般として、ルールがめちゃくちゃだったり、ジャニーズ事務所みたいなところがやりたいようにやれる。まずここから是正した方がいいんじゃないかという思いがあって。(事務所に)入る前はテレビでもよく『うちの社長が』『ジャニーさんが』と、タレントの方々がしゃべっているのはよく耳にしていたので、いわゆる社長なんだろうというイメージでしたけれども、会社で初めて見たときは、掃除のおじちゃんかなというぐらい、偉そうな感じも全くなくて。実際的なタレントの開発、育成、デビューまでの一番大事な部分をやって、デビューした以降は実際、手をつけないですね。その後は、メリーさんが売っていくという形です」

元ジャニーズ事務所・社員「正直に申し上げると、昔からジャニーさんの性加害というのは、暴露本もたくさん出ていましたし、皆さん知っていたと思うんですけれど、ジャニーさんが社内でそういうことをしているような雰囲気はあまりなかったです。ただ、ある日、会社の先輩が『暴露本とかに書いてあることは、だいたい本当だからね』というのを、ちらっと話しているのを横耳で聞いたことがあります」


<見過ごされてきた性加害>

ジャニー氏の性加害について、1980年代後半から元所属タレントたちが書籍で告発。
しかし、この問題が大きく取り上げられることはなかった。

転機となったのは、2023年3月。イギリスの公共放送BBCが、ジャニー氏の性加害を世界に発信。その後、元所属タレントたちが相次いで実名で声をあげた。被害を申告した人だけでも、1000人に上る。(2024年10月15日時点)

ジャニーズ事務所会見「ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切なくしたいと思います」

廃業することになったジャニーズ事務所。
そもそもどのようにして、ここまで力を持つに至ったのか。

<ジャニーズの誕生と性加害の影>

1952年、アメリカ国籍のジャニー氏は、朝鮮戦争のさなか、徴兵された。
日本に帰国すると、東京にあった米軍施設・ワシントンハイツに住むようになる。近所の子どもたちを集め、野球チームを結成。そして、1本の映画に出会う。

ジャニー氏の肉声「一番最初、僕、見に行ったんですよ『ウエスト・サイド(物語)』を。銀座に。それを観に行った時に『うわぁ、かっこいいな』って。その時に『俺もこういうのをやりたいな』と思った。ということでみんな集めて、ジャニーズになったわけ」
(2015年 NHK「蜷川幸雄のクロスオーバートーク」より)

演歌歌手/秋本勇蔵さん「ジャニーズは洋で、僕は和だったんで、激しく踊れるタイプだし、うらやましく眺めていましたね、僕も」

1962年、秋本さんが所属していたタレント養成所に、ジャニー氏がたびたび出入りするようになっていた。養成所の経営者は、名和太郎氏。妻がジャニー氏やメリー氏と知り合いだった。

演歌歌手/秋本勇蔵さん「ジャニーさんが名和さんに、『自分は若い子を集めて野球チームを持っているので、5、6人でジャニーズというグループを作りたいんだ。名和さん協力してもらえないか』と言って、社長と話が合って、ジャニーズはやっぱり踊って歌ってをやりたいということに、だいぶ感動したみたいで」

ジャニー氏が最初にプロデュースしたグループ、初代「ジャニーズ」。歌って踊る少年たちの姿は、当時、画期的だった。

演歌歌手/秋本勇蔵さん「タレント性があったんでしょうね。池袋の名和スタジオの前に、女学生がたむろしているんですよ。名和スタジオでも、まめまめしく面倒を見てました。のちのち自分が被害に遭うような、そういう形になると夢にも思わなかった」

演歌歌手/秋本勇蔵さん「部屋で寝ていたら布団に入ってきた。触ってきたから、『何するんだ』って。布団を蹴飛ばして、僕は大暴れした思い出があるんですよ。ドア開けたら、『あれ、ジャニーさんだ』って。部屋に出入りしていたメンバーの誰かが、『ジャニーさんにこういうことをされた』と、名和社長に訴えたらしいんですよ。『なに!』と言うので、社長は『ジャニーお前すぐ出ていけ』と怒りだして」

演歌歌手/秋本勇蔵さん「その前後に姉のメリーさんがちょうど来て、『ジャニー、もうそろそろ名和さんのところから引き上げ時だよ』と。そこで名和社長が、『それだったら今までかけた衣装代、スタジオ代、レッスン料、食事代、払って出ていけ』ということで裁判になったわけです」

当時の週刊誌の記事。裁判では、性加害についても言及されていた。法廷に立ったジャニーズのメンバーは、被害を否定した。

「わいせつ行為があったことは?」
「おぼえてません」

そう証言したメンバーの1人、中谷良さん。裁判から20年がたって、ジャニー氏による性加害を書籍で告発していた。

「ジャニーさんはズボンの上から執ようにさすってきたのです。倦怠感と虚無感に襲われながら、恐怖さえも感じてくる。本当に悲しい体験だった」
「事前に答弁の言葉は決められていました。今だからこそ言える、いや、言わなくてはならない。私は裁判で、嘘の証言をしてしまいました」
(1989年出版「ジャニーズの逆襲」より)

演歌歌手/秋本勇蔵さん「4人のメンバーの中でも、中谷さんが一番おとなしいタイプだったからね。言っちゃったら、タレントとして前進できないんじゃないかと思ったんじゃないですか。何がなんでも、ジャニーさんにすがってやっていれば有名になれるんだという、そういう風潮がありましたもんね」


<“理解してあげられなかった” 家族の後悔>

裁判では、真実を述べることができなかった中谷さん。
半年以上にわたる取材で、初めてその後の足跡が明らかになった。

中谷良さんの姉/幸子さん「死んで丸3年がきました。どんな思いで、この世の旅立ちがあったのか。すごく悔しい思いとか、訴えて聞いてもらえたらいいかなと思って」

幸子さん「何かの時にふっと聞いた時は、『いつも舞台で踊ったりしてる時に、僕は表面は華やかにニコニコして、もう何事もないというようにしているけれど、心は本当にぐちゃぐちゃだったよ』と言っていました」

小学生の時から(ジャニー氏からの)性被害を受けていたという中谷さん。のちに心療内科に通うようになった。

幸子さん「本を出して表紙を見た時に、暗くてあまり印象がよくなかった。なんでこんな本出してんのかなって思って、嫌悪感を覚えました。本はもらったけれど、本箱の中に入れたままで。読んでなかったです。被害に遭っているということは一切知らないから。読ませてもらって初めて分かった。それもつい最近、ジャニーズの問題が出て初めて読ませてもらって。弟自身は、それを打ち明ける人が、たぶんいなかったと思うのね。それで眠れなくなったり、いろんなことで睡眠薬ものすごい飲んだんです。孤独でしょうね」

「いたいけな少年が、もうこれ以上被害を受けないように、これを早く社会問題として取り上げてほしいと思います。これまでささやかれてきた以上の恐ろしい事態を生み出さないためにも」
(1989年出版「ジャニーズの逆襲」より)

幸子さん「これ本当に弟の真実だと思います。本当に思ってあげられなかったこと、申し訳なく思います。ひとつも思ってあげられなかった。助けてもあげられなかった」


<時代とともに成長を遂げるジャニーズ>

ジャニーズ事務所は80年代に入ると、国民的な人気を集めるグループを次々と生み出し、急激な成長を遂げていく。関連企業を含めた申告所得は、1980年には1億円にも満たなかった。しかし、1987年に光GENJIがデビューすると、30億円を突破。さらにSMAPや嵐などが続き、最後に公表された2005年までの累計では、1400億円を超える。

元テレビ東京/桜美林大学教授/田淵俊彦さん「ジャニーさんは時代の寵児というか、その時代が求めているもの、サプライズみたいなものを、人にどうやって与えていくかということに、非常に敏感に感じる人だったなと思います。例えば、当時アメリカでローラースケートが流行っていると知ると取り入れて、光GENJIが履いて踊って歌う、そういうものを発想するわけですね」

元テレビ東京/田淵俊彦さん「ジャニーさんの輝かしい業績であったり、才能であったり、魔術のように我々を惑わして、そういう光というものが我々全体を、やっぱり見えなくさせていた。目くらましというか、そういうようなものじゃないかなと思いますね」

フォーリーブス/江木俊夫氏「ジャニーさんという人は、これだけ人類に恐怖を与えておいて、これだけ快楽をみんなに、素晴らしいグループを作り、歌と踊りを教えてきた。何て言うのかな、天国と地獄ですよね」

ディレクター「これだけ性被害の深刻な実態が明らかになっても、江木さんはジャニー氏のことを尊敬しているんですか?」

フォーリーブス/江木俊夫氏「しています」

ディレクター「それはどうしてですか」

フォーリーブス/江木俊夫氏「今の自分をつくってくれたからですね。やっぱり人間というのは、そういうものだと思いますよ。フォーリーブスという名前を永遠に残してくれたジャニーさんに、感謝しかないですね」

ディレクター「理解できない人もいると思うんですけど」

フォーリーブス/江木俊夫氏「伝えたい意味は分かりますよね。性被害なんて鬼畜だと。もちろん被害を受けた今の若い人、告発者の人たちは、それはもう大変な人生を歩んできたと思います。それについてどう思うかと言われても、『そうですね』と言うしか、僕はないんですよね。ただ、江木俊夫を作ってくれたことに感謝を述べているだけであって、確かに世間の言うように、最低最悪だと言われれば、そうかもしれない」

<“200回以上の被害” 元ジュニアの続く苦しみ>

元ジャニーズJr./大島幸広さん「14歳になりたてぐらいですかね」

ディレクター「このときはもう被害を?」

元ジャニーズJr./大島幸広さん「受けてますね。受けまくってますね。目が死んでますもん。2年ぐらい在籍していて、200回以上は被害を受けています」

元ジャニーズJr./大島幸広さん「ジャニー氏の自宅にもずっと行っていたんで、そこでジュニアとかもいっぱいいたんで、相談とかしている間に、それが普通になっていく。みんなそれが普通なんで。僕は結構つらい時でも、全然明るいというか笑顔なんで。それはもう、編み出した技でしょうね」

元テレビ東京/桜美林大学教授/田淵俊彦さん「アイドル番組をずっとやっている時は、毎日のように彼らと接していて、楽屋とかで話をしている時に聞いていると、何となくそういう描写は出てくるんです。『ジャニーさん来たけど逃げた』とか。『触らせなかった』とか。あとはジャニーが布団に入ってきて、『いいね、もうすぐデビューが近いかな』とか、そういうのをいたずらっぽく話をしているわけですよ。彼らが苦しんでいるとか、そういうようなことを言わなかったからといって、見逃してはいけないことだった。少なくともこちらは大人だったわけですから。それはよくないことだよねと、言わなければいけないと思うんですよね。私も含め、その当時関わった大人一人ひとりの責任というのは非常にあると思っていますね」


<ジャニー氏の異常な性嗜好>

2023年8月9日・再発防止特別チーム会見「ジャニーズJr.に対して長年にわたり、広範に行われた性被害の根本原因は、ジャニー氏の個人的性癖としての性嗜好異常。いわゆるパラフィリアが存在していたものと認めます」

元ジャニーズJr./大島幸広さん「ある時、彼が運転していて、僕1人助手席に乗っていて、昔の話をしだして、『戦争時代にメリーと一緒に和歌山の方に疎開したことがあって、そこでお世話になったおじさんから、すごい愛してもらった』、みたいなことを言うわけです。嫌だった思い出ではないんだろうなというのは感じましたし、嫌だったらたぶん『愛してくれた』なんか言わないと思うんですよ。もともと、そういうのを持ってたんじゃないですかね。それはそれとしても、加害しちゃダメだろうと思いますけどね」

ジャニー氏と同じタレント養成所にいた/秋本勇蔵さん「名和社長の奥さんとメリーさんは、和歌山の時から親しくて、ふだん仲いい感じだったので。名和社長の奥さんが言っていたのは、ジャニーさんは小さい時から、自分がしたことをやられてきたんだ、と。『うちの弟は病気なんだよ』って、メリーさんが言っていたんだって」


<“独裁者” 元社員が語るメリー氏の存在>

ディレクター「今回、身分を隠しての取材ですけど、それはどうしてですか?」

元ジャニーズ事務所・社員「それぐらいメリーさんのトップダウンと、強烈なかん口令を敷かれたこの環境、そこに対する恐怖でしょうね。テレビの外側にいる方から見ると、“ジャニーズ事務所=ジャニー社長”なんですけど、業界の内側にいる人からすると、“ジャニーズ事務所=メリーさん”なんですよ。全てがメリーさんの采配で物事が決められていく。圧倒的な独裁者。私の印象だと、人生で会った人で一番怖い人に当たるんじゃないのかなと。ただ、その強烈さゆえに、タレントプロダクションという意味では、ビックママみたいなところで、皆さん、頼りがいがあったんじゃないですかね」


<性加害を“放置と隠蔽”したメリー氏>

元雑誌編集者/元木昌彦さん「よく『メリー喜多川とジャニー喜多川姉弟をどう思いますか』と聞かれるんですけど、非常に寂しい人たちだったと思いますよ。ジャニー喜多川の性加害、これはメリーさんも十分に分かっている。いつそれが表に出る、または被害者が告発をする。そういう日が必ず出てくるだろうことを、おびえて暮らしていた」

雑紙編集者だった元木さんは、1981年、「喜多川姉弟の異能」という記事を担当。ジャニー氏に襲われたという被害者の証言も書いていた。

元雑誌編集者/元木昌彦さん「ジャニーズJr、そういう子たちにジャニー喜多川さんという社長が手を出している、これが事実だとすれば問題であろうと。記者の朝倉喬司が取材を開始して。彼いわく、事務所の個室でメリーさんしかいなくて、ジャニー喜多川さんのそういう性的なことを聞いた時に、メリーさんがいきなり椅子から立ち上がって、『私はここで全て着てるものを脱いで、それで警察に電話するわよ。そうしたらあなたは、間違いなく捕まるんだから』って言われて、百戦錬磨の朝倉記者もびっくりした。それ以上、質問することもできないで帰ってきたということを聞きましたね」

元雑誌編集者/元木昌彦さん「発売と同時に、向こうからの内容証明だったか、抗議が来て。『もう講談社にはうちのタレントは一切出しません』ということを通告してきた。講談社にとって週刊現代は、何十冊あるうちの1つで、ほかにいっぱいあるわけですね。そこでもってアイドルを使えない。これは非常に効果的だった。出版社をどうやって抑えていったらいいのか、ある種の彼女の中で、最初のノウハウを得たのではないですかね」

<メディアに影響を強めるメリー氏>

元テレビ東京社員/桜美林大学教授/田淵俊彦さん「これは私がテレビ東京のOBから聞いた話ですが、かなり他局に対してもジャニーズ事務所の力を示す、1つの出来事になったと思いますよね」

元テレビ東京社員/田淵俊彦さん「雑誌のフライデーで、ジャニーズ事務所の少年たちが女子大生と『乱痴気騒ぎをした』という記事が載ったんですね。実はテレビ東京の番組のスタイリストのアシスタントの方が、少年たちを連れ回して酒を飲ませていたという記事だった。ディレクターがジャニーズ事務所から『メリーさんが呼んでいる』と呼び出され、『明日この記事が出るんだけど、何をしてたの』と怒られた。『だけど、うちのスタッフではないですよね。スタイリストのアシスタントだから、そこまで管理できないですよ』と言ったら、『何を言ってんの、これはテレビ東京が悪かったと記者会見で言いなさい』と言われて、『それはちょっとできないですね』と断ったらしいんです。そうすると、『ジャニーズ事務所のタレントはもう今後出さない』とメリーさんに言われちゃった。本当に1人もジャニーズ事務所のタレントが出ない。テレビ東京では、“ジャニーズ冬の時代”と言われる時代が来るんです」

元テレビ東京社員/田淵俊彦さん「事務所のマネージャーさんにオファーをするんですけど、必ずその時には『ジャニーがOKしないんですよね』って。だけど、やったのはメリーさんだよね。だけど『ジャニーさん』『ジャニーが』となるんです。オセロの白と黒みたいにね、うまく使い分けと役割分担をやっていた。そこがジャニーズ事務所のもう唯一無二の構造ですよね」


<“世間の常識はジャニーズの非常識” 幻に終わった辞任劇>

性加害問題を最も大きく報じたのが、1999年の週刊文春の記事だった。14回にわたる報道で、事務所の問題点を追及していた。

元週刊文春・副編集長/木俣正剛さん「当時1999年は、週刊文春の副編集長という立場で、つまりジャニーズ問題の取材を全て統括して、全権をほとんど私に委譲されている形で進めていました」

元週刊文春・副編集長/木俣正剛さん「4回目、5回目ぐらいになったところで、我々の耳に入ってきたんですけど、ジャニーズ事務所の中がだいぶざわついていると、これだけ書かれていて黙っていていいのかと。事務所としてどうするのかちゃんとしろという話が、事務所の中でわき起こっていますよと。それでジャニーズ事務所側と話し合いを持とうと」

元週刊文春・副編集長/木俣正剛さん「相手の幹部の方からは、『何回ぐらい続けられるつもりですか』とか、そういったお話でした。こちらとしては、『調査はされているんですか』と聞いたら、『いや、それをできるような事務所ではありません』と。とにかくあの会社はメリーさんとジャニーさんの会社だから、2人が決めることがすべて。『ジャニーズの常識は世間の非常識という状態になってしまう』という会話でしたね」

このとき、文春とやりとりしたジャニーズ事務所側の幹部。のちに、当時の内幕をこう語っていた。

ジャニーズ事務所側・幹部(当時)「文春との話し合いを受け、メリーさんにジャニーさんを辞めさせることを提案すると、メリーさんは受け入れようとした。しかし、翌日、『やっぱり、弟を見殺しにできない』と翻した」


<旧友の葛藤 “姉が弟を守った”>

姉弟の友人/タエミ・ウケスタッドさん「彼らが日本でそんなに成功しているとは知らなかった。2005年に母が日本に連れて行ってくれたんだけど、その時にヤスコ姉ちゃんが出迎えてリムジンを出してくれて、まるで王族のように扱ってくれて驚いた。豪華な食事で、『あわびが大好きだから、たくさん頼もう』と言っていた」

タエミ・ウケスタッドさん「とても有名な俳優の歌舞伎の公演があって、私たちは行きたかったんだけれど、売り切れだった。たまたまヤスコ姉ちゃんに話したら、『大丈夫、行けるよ』と言ってくれた。そしてまたリムジンを出してくれて、劇場の入り口まで送り届けてくれた。中に入ると空席がなかったから、劇場のスタッフが各通路の端に折りたたみ椅子を用意してくれた。各通路に1脚ずつ、舞台のすぐ近くに。そこに座った。最高だった。メリーが魔法を使ったようだった」

タエミ・ウケスタッドさん「日本生まれの友人が『日本で大きなスキャンダルが起きている』と教えてくれた。ショックだった。とてもショックだった。そういうこともありうるだろうけれど、まさかヒー坊がそんなことをするなんて。そして、ヤスコ姉ちゃんがマスコミにそのことを一切報道させないようにしているというニュースを聞いて、それもショックを受けました。彼女は彼を守ったんだと思う。結局、弟だから。家族だから。弟と家族を守ろうとしていたと思う。残念だ」


<タレントを起用してきたNHKの責任は>

ジャニー氏の性加害が何度も指摘されてきた中で、公共放送NHKは、事務所のタレントの起用を増やし続けてきた。
週刊文春の報道のすぐ後に放送が始まった「ザ少年倶楽部」。出演者のほとんどがジャニーズ事務所のタレントだった。大河ドラマでは、2年連続で主演に抜てき。さらに紅白歌合戦。2000年代中盤は、1、2組の出場だったが、2009年以降、高い水準で続くようになり、2015年には過去最高の7組となる。
こうした背景には何があったのか。
NHKの職員やOBたち40人を取材。問題意識の低さや、タレントの起用についての証言はあったが、背景を明確に語れる人はいなかった。一方、経営の中枢にいて、事務所との関係が深いという人物の名前が挙がった。

ドラマ出身の若泉久朗氏。事務所のタレントの紅白出場が過去最多になった2015年当時は、番組制作部門のトップ。その後、理事となった。NHKを退職後、ジャニーズ事務所に移り、いまは新会社・スタートエンターテイメントの顧問となっている。

若泉氏に1年前から再三にわたって取材を申し込んだが、直接、話を聞くことはできなかったため、2024年9月上旬、直接若泉氏の元へ向かった。

ディレクター「すみません、若泉さんですか。突然すみません。お手紙を差し上げたNHKの中川です。ちょっとお話を伺いたくて」

若泉久朗氏「なんで僕なんですか。しかも仲間じゃないですか」

ディレクター「だったらお分かり頂けるんじゃないかと思って。当然、検証する義務がある。そこに所属する人間として。その話をその時ご存じの方にしてもらわないと」

若泉久朗氏「僕個人で、今ここで語ることはできない。なぜなら関係しているから、まだ。そこはちゃんとスタートエンターテイメントの広報を通してもらわないと」

その後、スタートエンターテイメントを通じて取材を申し込んだところ、次のような回答が届いた。

「文春報道は知っておりましたが、局内で注意喚起はなく、NHKも報道していませんでした。私がドラマ部長だった時期は、NHKへの接触者率が減少し続け、『このままでは将来、公共放送として生き残れるか』という危機感が広がっていました。NHKは、もっと幅広い世代の視聴者層に見て頂き、信頼を高めることを経営計画に定めました。幅広い世代層を獲得するために、旧ジャニーズ事務所は重要なパートナーの1つで、NHKが支持される重要な役割を担ってもらいました。公共放送として、これからも支持されるためにはどうあるべきか。NHK自身が問われていると考えます」
(スタートエンターテイメント・若泉久朗氏の回答文から抜粋)


<補償を求めた被害者の家族>

ジャニー氏の死去から4年後。

スマイルアップ/東山社長「被害者の方々の救済、補償。それを誠心誠意取り組ませていただくこと、それこそがすべての出発点だと考えております。法を超えて救済、補償というものが必要」(2023年 ジャニーズ事務所の会見)

性加害を書籍で告発した中谷良さん。姉の幸子さんは、謝罪を求め、亡くなった弟の代わりに補償の申告をした。

中谷良さんの姉/幸子さん「少しでも良ちゃんの犠牲の上での、これだけ補償を頂いたよ、というのを渡したいなと。私しかできない、この訴えは」

幸子さん「ジャニーズの担当の方から電話がかかってきたんです。それで良ちゃんのことをお話しした時に、『ジャニーが悪いので、受付させていただきます』と。それからずっと連絡はなかったんですけど、もう1回電話があった時に、『実は会社の中で、ジャニーズに反抗するような本を出している人に、そんなお金なんか出せるか。金取る気か、という話になったので、ご破算になった』と。結局、補償問題はだめということに。結局『ジャニーが悪いです』と言っていても、ひとつも悪いと思っていらっしゃらないんだなと、つくづく思いました」

取材に対するスマイルアップの回答は、

「いわゆる“暴露本”を出版したことをもって、補償対象としないという方針は有していない」

だった。

幸子さん「ちょっとお尋ねしたいと思いましてね。お金はいいんですよ、どういう謝罪をしていただけるのかなと思って。それが私はすごく気になっていたんです」

スマイルアップ/補償本部・本部長「なるほど。すみません、簡単に答えられなくて。ただ誰が何を謝るんだというのが、ちょっと今分からなくて。その本人たちが死んじゃっているので」

幸子さん「そうですね」

スマイルアップ/補償本部・本部長「被害者の方々に東山が会う時は、謝罪をしているんですけど」

幸子さん「そうですね」

スマイルアップ/補償本部・本部長「おっしゃっていることは分かるけれど、本を書かれて痛めつけられたのは間違いないんで。会社としては、すごくつらい目にあったのは間違いないんで」

幸子さん「そんなに影響ありましたか?弟の本で」

スマイルアップ/補償本部・本部長「僕、その時期のことは知らないので。そこで謝罪がないと言われたら、じゃあ謝罪すればいいのかな、としか今ちょっと思えなくて。謝罪する相手は本人なんですよ」

幸子さん「それなら仏様の前でお参りしてくれる?お墓行ってお参りしてくれる?」

スマイルアップ/補償本部・本部長「それを東山がするの?」

幸子さん「そりゃそうでしょ。だって当たり前のことじゃない。だって亡くなっちゃったんだから」

スマイルアップ/補償本部・本部長「何で東山がしなければならないのか、僕分かんないんですよ」

幸子さん「だって社長でしょ?今、社長じゃない」

スマイルアップ/補償本部・本部長「『メリーが謝れ』、『ジャニーが謝れ』だったら分かるけど」

幸子さん「だって今、代表じゃない?」

スマイルアップ/補償本部・本部長「東山は別に加害者じゃないですからね。心の底からお詫びができないので、今の話を聞いていると」

幸子さん「そうなの。そんなできないようなこと私言ってる?」

スマイルアップ/補償本部・本部長「ちょっと僕は納得いってないですね。だから、それも含めて東山と相談してみますけど」

幸子さん「はい、お願いします」


<“第2のジャニーを生まないように” 当事者が語る教訓>

元雑誌編集者/元木昌彦さん「最初にこの問題を取り上げた人間としては、今でも何とかできなかったのかと思っています。いろんなタブーが生まれてくるのは、メディア側が作っていくわけです。だからジャニーズに関しても、向こうが『僕たちはタブーなんだ』と言ったわけじゃなくて、触ると、こっちも傷を負うからというようなことが、どんどんタブーを作っていってしまった」

元テレビ東京/田淵俊彦さん「視聴率を取れるとか、視聴者が興味を持つタレントに依存してしまう傾向が、昔よりも強くなっている。状況がうまく合致すれば、ジャニーズ事務所のような事務所が生まれる可能性がある」

元ジャニーズJr./大島幸広さん「ジャニー自身は本当にモンスターでやばい奴なんですけど、でも彼1人だったら、そこまでにはなれなかったんじゃないか。周りもそうだし、時代もそうだし、全部がそろっちゃったんだと思いますね。結局、この問題も5年、10年、20年すれば薄れていくと思う。絶対に第2のジャニーを生んだらだめですからね。僕らみたいな子どもをつくったらだめだと。被害者をつくらないように」

その後、スマイルアップの東山社長は、中谷さんの姉と面会。ジャニー氏の性加害について謝罪した。


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