<LGBT-わたしが思う普及の背景>
Xのアカウントにて、以前に同性愛者でもあった元友人の事を軽くお話したかと思います。
そしたら私のアカウントへ1つの質問が届きました。
「レズフォビアなの?LGBTについて詳しく聞きたい」
……
「がってんでい!」
マリ・イラストリアス並に何かが飛び出しました。
今回はその問いを元に、筆者の体験を通じたLGBTへの考え。そして、一個人としてLGBTの現代への普及について書き記してみたいと思います。
2024年現代、LGBTの普及は全世界で常識となっており
どの年代、そしてどの人種の方も「LGBT」という単語を耳にしたことがあると思います。
私たちの身近な存在となったLGBTは、現代の固定概念というものを払拭する、いわば近代的な人間の脈動のように感じます。
そして先に伝えさせて頂きますね。
このデリケートな問題でもある「LGBT」を否定するための拡散行為…もしくは、皆様の考えを否定するような用途として書いていないということを、予めご了承ください。
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かつて西洋の恋愛は、異性同士のロマンチシズムの美の象徴としてこの世に広まりました。
西洋美術に描かれる男女のビジョンは、
"女性の華やかな美しさ" または "男性の勇猛なナルシシズム" というものの骨頂でもあります。それは西洋絵画から伝来されたものです。
そして西洋絵画がもたらした恋愛観は "花のように微笑みを湛える女性" に対して "それに快く応える男性" というものが、男女の恋愛の象徴であることを伝えているかのようです。
筆者的に "男女の恋愛=美しさ" が世に広まりだしたのは、18世紀半ば「ロココ美術」が西洋絵画の台頭として広まり出したことだと考えています。
そのことから、18世紀から普及した恋愛への考えはヨーロッパを越え、私たち人間の恋愛観として強く根付きました。
いつの世も、恋愛に対してオープンな国は西洋や海外と言えるでしょう。
しかし、日本をズームアップしてみると江戸時代に近くなるにつれ、男女間の恋愛様式が覆され、様々な恋愛のスタイルが庶民の暮らしに垣間見えます。
私は特に日本に関すると、性への考えが硬い性質があったように感じます。
男性に仕える女性像が美しいとされ、"男尊女卑"というものは日本の古来から当たり前のように存在しました。
そのタガが外れたように、日本の国民性に性への解放をもたらしたのが江戸時代とも言えるでしょう。
まさに遊郭の誕生や、男色の普及はまさに性への開放的行為とも思えます。
そのことからヨーロッパのみならず、日本も恋愛観や性への観念が比較的オープンになったのです。
筆者は女性ですから、男性を愛すいわば"ヘテロセクシャル"(異性愛)です。
今まさにLGBTの普及は、普遍的な考えであった男女の恋愛の正当性、まさに"ヘテロセクシャル"というものが
平等な恋愛様式と思えないほどの勢いを増しています。
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皆様も前に取り上げてたので、気になっていましたよね?
書ける範囲で、更に彼女の"個人情報漏洩"にならないよう書いていきたいと思います。
まさに先日取り上げた、同性愛者の元お友達の件についてですね。
中途半端に取り上げたのでは彼女に失礼で可哀想ですから。
悲しいことに、彼女とはもう絶縁済みです。
仲の良かった頃とは裏腹に、私の悲しいほどのアンチに成り果てました。
見てたらここで言うよ!今までありがとう、そしてさようなら。
そう、今回彼女のことを書ける範囲で赤裸々に書こうとしてるのは…
エヴァンゲリオンのラストのような、清々しさを私の中に取り戻したいからです。
さようなら!🌳さん!
そして私は新しい希望と共に、階段を駆け上がっていきます。
彼女のことは本名に掠っている🌳さんと略すことにします。
"彼女"と表記すると、またちょっと色々ありそうなので…
🌳さんと出会ったのは、中学一年生の頃でした。
🌳さんは出席番号が前と後ろで、席も前後でした。
最初のお友達は、出席番号が近い子でほぼ決まりですよね。
その事は🌳さんとの初々しい出会いとなり、お互い学校に馴染みたいのでとりあえず仲良くすることにしました。
何気なくグループ作りたかったからとりあえずね。
私は絵の学校でしたので、🌳さんとは切磋琢磨し合い、絵の腕も友情(皮肉)も磨き上げていきました。
そこでまず、私が今回の題材と過去のお友達と絡めたいことは 「理想の男性像」でもあります。
私は中学生の頃から、「北斗の拳」「ジョジョの奇妙な冒険」が大好きで頻繁にオタク活動をしていました。
筋肉!!筋肉が大好き!!何事も大きければ大きいほど最高!!
まさにこんな感じです。
そして🌳さんはというと「忍たま乱太郎」「スティーブン・ユニバース」「おそ松さん」など形態が"カートゥーン"に近いものが好ましかったようです。
ここから🌳さんとは「理想の男性像が違うな」と
中学生ながらにぼんやりと脳裏にまとわりついていました。
その壁はやはり立ちはだかります。
成長するにつれ、🌳さんとの趣味も価値観も合わなくなってきたのです。
今考えると、同性愛者でもある彼女に対して
まさに"軍神マルス像"のような男性像のキャラクターの押し付けや布教もしてしまった…と。幼いながらにセクシャルの面を意識していなかった私にとって、後悔していることでもあります。
その事のみが、絶縁まで至った全てではありませんが
お互いのひび割れ、些細な事での喧嘩。
その小さな積み重ねが、絶縁まで至ってしまったのは
やはり当時の私にとって悲しい記憶にもなりました。
そして彼女への理想の男性像の押し付け。
まさにセクシャルの価値観の壁。
セクシュアリティの考えが遅咲きの私が気づいてあげれたのは、大学のときでした。
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大学の授業で、久しぶりに彼女と同じ科目になった時のことです。
選択したものはアニメーションの授業で、"各々が作り上げた世界を描いて1つのアニメーションにする "というものです。
そして🌳さんが描いた世界観は「女性同士の友愛・恋愛」というテーマでした。
まさに仲が悪くなった私への皮肉とも感じ取れるテーマでしたし、学校の授業で「LGBT」の題材を持ってきたことに驚きを隠せませんでした。
そして🌳さんのアニメーションが流れた時、生徒同士の空気感がピクっと動いたような気がしました。
みんなが「(快く放映できるようにしてあげよう。)」
そんな空気を私も感じとりました。
ですが、同じクラスには知的障害を持った女生徒がいました。
長い放映に彼女が軽く発狂してしまったのです。
「チッチッチッ(舌打ち) △〇@×てんじゃねーよ。アーアーアー!」
のような事を小言でブツブツと、呻いてました。
アニメーションへの文句か、はたまた知的障害の部分が出てしまったのか…現在も分からずじまいです。
たぶんですが、意図的に彼女のアニメーションの放映の間は、ずっと声を出してようとしたのでしょう。
ですが、誰も注意しません。
🌳さんはずっと下を向いたままでした。
このままでは可哀想ですし、長い間労力をかけた🌳さんの渾身の作です。
たまたま彼女の後方に居たので、
私が率先して軽く注意し静かになるよう諭しました。
「静かにしてくれない?みんな聞こえない。」
どこか彼女に好かれていたので、すぐに謝罪され静かにしてくれました。
そして…🌳さんが肩を震わして泣いてしまいました。
私自身優しさを売った訳ではなく、返して欲しかったわけでもありません。
🌳さんも努力家ではあったので、仲悪いながらもやはり"フェアに鑑賞したい。" そんな感じでした。
🌳さんとはそれ以降、何も話せずにお互い卒業してしまいました。
果たして、彼女が私に伝えたい意図はなんだったのか…
言い合いになった時、喧嘩別れする理由すら🌳さんは教えてくれませんでした。
絶縁したので、聞くことは叶いませんが
授業の作品のテーマではあったけど、あの作品自体
「自身のセクシュアリティのカミングアウト」
と受け取れましたし、🌳さんもどこか芯があるような女性ではあったのだと感じ取りました。
ジェンダーの壁は、友情の壁。
私自身、そのような経験もしてしまったので、LGBTに対する考え方がもっと軟派になるような世界を望むきっかけにもなります。
そして彼女の精神面が、少なからずとも健やかな状態になるよう願っています。
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最後のテーマは「LGBTという団体主義が果たして個人の尊重となるのか」
についてお話したいと思います。
LGBTの方たちは、セクシャル・マイノリティの壁を常日頃嫌います。
異性愛やノーマル思考のみの世界をもちろん望んでいません。
ノーマルな人間にとってはLGBTの方に対して、尊重することは勿論可能ですが、現代ではセクシャルの決め手について"染色体や脳分泌の個体差"とも言われています。
そして私たちはセクシャルの根本が脳に溶け込んでいかない、もどかしい部分もあります。
それとLGBTという連語が、私たちノーマル側の人間に
少し硬い考えをもたらしてしまうような、そんな気がしてなりません。
LGBT運動という連語からして、知識がない人は「LGBT同士の人権の融和なの?」と思ってしまいませんか?
いつの時も、難しい連語は人の頭を硬くするものです。
それと「LGBTの社会運動」の単語だけ聞くと、「お互いが内輪揉めしてしまってるの?」だなんて連想してしまう人もいるのでは無いのでしょうか。
まずは検索し知っていくことが必要だなぁ…なんて思いました。
最後に1つ疑問を投げかけます。
「レズビアンとゲイは果たして同じ部屋に居れるのか?」
果たして身体つきも違う、異性のセクシャル・マイノリティ同士は何を尊重し合えるのか。
セクシャルの違う男女が集う"マイノリティ運動"…
…身体は違うもの同士であるのに、 男女共同体制でひとまとめにしてしまうのか?
もはや互いの目標は、身体と性を飛び越えているのかしら。
そのようなことをふと考えたことがあります。
そして私自身25年間生きてきて、導き出した答えは
「心でお互いを尊重できるが、また身体にはしかたない個体差がどうしても付くようだ」ということです。
またカップルによっては逆の考え方もあるのかも知れません。
ですが、神がくれた身体は、一生自分につき纏う運命です。それは何からも逃れられません。
そのことも尊重し合えることがLGBT同士や私たちへの共存へと繋がっていきます。
このnoteを書くにあたり、少しは検索し勉強しましたので
今回得た知識と勉強が、書き綴るにあたり身に染みます。
更に"LGBT"と言うアルファベットでの団体の社会運動が、日本で各地に広まっている。
そのことも喜ばしい多様性への第1歩とも捉えられますね。
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なにが公平で、尊重できるのか。
ならば「バイ・セクシャル」は最も公平なのか?
とも思っちゃいますが、バイ・セクシャルは男女の両方と恋愛できる体質であり、人間の性の公平さではありません。
心的なセクシュアリティとスキンシップ以上がもたらす身体的な愛情表現の差異。
お互い中も外も違うもの同士で完全に共有出来ないことが、いくつもの場面で溝になってしまうようにも思えます。
そのことからLGBTや男女という纏まりを飛び越えて
多種多様な生き物と、そして社会が。心も身体も尊重し合えるようになって欲しいと、筆者の体験も含め切に願っています。
ここまで書いたらもう4時だ。
おやすみなさい。みんないい夢を!


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