青森県八戸市の横丁文化を紹介させてください。

横丁と聞くとどんな場所を思い浮かべますか?

東京なら新宿「思い出横丁」、吉祥寺「ハモニカ横丁」、上野「アメ横」あたりでしょうか。九州・博多なら「八百歩横丁」、大阪「ジャンジャン横丁」も最近盛り上がってますね。

多くの横丁の前身は戦後の闇市といわれていますが、古くから漁港として栄えた八戸では漁から戻った男たちをもてなす飲食店が発達。そこに戦後闇市の開設、映画館の開館、八戸に駐在していた進駐軍向けのローラースケート施設の建設、更には2002年東北新幹線開業によって、観光客やビジネスマンも引き込むキメラ的な横丁に発展を遂げました。 

八戸駅からは15〜20分ほどで八戸市街地に到着。

 

「今回横丁をガイドしてくださる八戸さんぽマイスター・みゅーらさんです」

「はい、よろしくお願いします。雨模様ですがしっかりガイドします」

「みろく横丁」の名前は、“三”日市と“六”日市を跨ぐことからつけられたそう

「まずここが一番新しい『みろく横丁』ですね。2002年に東北新幹線が通るのに合わせてできました。八戸の横丁の中でも一番お客さんが来やすいということで、ここの屋台は3年で入れ替わるようになっています」

「ここは『ロー丁れんさ街』です。戦後、進駐軍の外国人さん向けにローラースケート場ができたり、映画館ができたりして栄えました。江戸時代に牢屋があったことからロー丁と呼ばれてます。それでここが……」

こちらからダウンロードできます!

「最後にこちらでみなさんに一杯ご馳走します。こちらが今年で創業67年になる『洋酒喫茶プリンス』さんです」

「さっき看板が見えて気になってたんですよね。スナックはいっぱいあるけど『洋酒喫茶』って珍しいなと思って」

「昔、例えばカップラーメンやおにぎりなどを提供すると『スナック』として深夜まで営業ができたので、ここら辺ではみんなスナックに切り替えたんです。でも、僕んとこはそのままバーとしてやってます。その代わり24時で閉めるんですけど」

「みなさんが今いる横丁『長横町れんさ街』は昭和30年代の酒場です。建物は当時から変わっていません」

「妻の両親が昭和32年に開業して、僕は2代目。昭和45年から店に立ってますよ」

「それではどうぞ。八戸の夏祭り『八戸三社大祭』をイメージしたカクテルです。すべてジンベースなので味は変わりませんが、ドロップしているシロップで甘さが少し違います」

それぞれ三社大祭の4つの山車をイメージしているとのこと

「カクテルも素敵なんですけど、それより名刺がすごいな。これも昔からあったんですか?」

天井を覆い尽くすおびただしい数の名刺たち

「12年前に最初の1枚が貼られて、今はこんな感じです」

「わりと最近だった」

「僕はこういうのやってなかったんですけど。お客様が東京から八戸に戻ってきて、東京で名刺を貼るお店を見てきたらしくて、『どうしてもやりたい』って言うもんで。うちのママも『1枚くらいならいいんじゃない』とか言うから1枚くらいなら……って貼った名刺がこの1枚目」

「そしたらその人がNTTの人だったんだけど、他にもNTTの社員さんが来ますよね。それで、そこからどんどん貼られていって、あっという間にこんなんなっちゃった。たぶん、ここに貼ってるほとんどの人が出世してますよ

 

八戸横丁、最古の店⁉︎ 章(あきら)へ

「では『章(あきら)』というお店に行きましょう。プリンスさんよりも古くからあるお店で、私たちが調べた限りでは、おそらく一番古いです」

「お邪魔しま〜す。今日はよろしく……」

「大丈夫?! たいしたもん出せないけど何か食べる?!」

「え!? 食べたいです! なんですかそれ?」

「馬! 五所川原の金木町のほうのね。ちょっと待っててね、用意するから」

「なにか飲みますか? ここにある日本酒とかハイボールとかですけど」

「え〜、じゃあ日本酒飲みたいですね〜……」

(お言葉に甘えまくってる……)

「はいお待たせ!まず食べてみて」

!?!?!?

うまそう以上に量すごない????

「あとね、トマトのすき焼き食べるか? これが一番人気」

は?????

「青森の五戸町(ごのへまち)に『倉石牛』ってブランド牛があるんですけど、その牛肉の下にトマトと玉ねぎが敷いてあって、すき焼きみたいに生卵をつけて食べるんです」

「お刺身でも食べられるお肉だから、しゃぶしゃぶくらいで。卵焼きも食べる?!」

取材メンバー6人に対して尋常でないボリュームの料理が次々出てくる

「すいません、ごはんはめちゃくちゃ美味しいんですけど、今日はお話を聞きにきたのでこっちに座ってもらっていいですか」

「ほんと? 大丈夫? ごめんね、いつもはお魚もあるんだけど……」

「座ってもらわないと永遠にもてなされてしまう。マジで座ってください。いつもこうなんですか」

「いつもはもっと出てきます」

「出していただいてるのは、みんな青森でよく食べられてるものというより、お母さんのオリジナル料理なんですか?」

「そう。青森の料理はほら、すいとんとかせんべい汁とかでしょう。でもわたし、せんべい汁は食べたことない。三戸町とか二戸町とか、山のほうに住んでる人たちが元々食べてたんじゃないかな。

私は八戸の生まれだけど、この辺は海が近いからキンキとかサガとか魚がたくさん採れたから。刺身とかあら汁とか、そういう風にして食べてたね」

「青森も広いですもんね。海も山もあるから」

「最近になって、せんべい汁も郷土食って地元の店で出すようになったけど、わたしは作り方がわからない(笑)。食べたことあるのはひっつみとか。よく食べるのは長芋すいとんとかね」

八戸せんべい汁

「八戸のなかでも、北と南では食文化が結構違うんですか?」

「どうだろうね。わたしは小さい頃から八戸でうまいもんばっかり食べてる(笑)。でも最近はさっぱり手に入らないね。昔はトラックに魚をいっぱい積んで、イワシでもサンマでもサバでもドーンと積んで、走るたびに魚がダダダっと落ちるのね。それをみんながね、バケツ持って攫っていくから(笑)。今は魚が高くなって手に入んなくなってる」

 

章のママさんが見てきた八戸の景色

「ここはいつからあるんですか?」

「23年! 昭和23年(1948年)」

「すげえやってる。そのころの横丁はどんな様子でしたか?」

「昔、ここは“魚屋の通り”だったんだよ。1本隣の六日町には、魚屋さんがい〜っぱい並んでた。うちの店は東京から疎開してきて、ここの長屋でお茶漬けのお店をやったのがはじまり。それで昭和29年にここの通りが『れんさ街』って名前になったの。

わたしは三代目。昭和46年からここに入ってるから、50年くらいやってる

「その50年でお客さんって結構変わりました?」

「ぜんっぜん変わった!

ここら辺に一番人がいた頃は、バーとかクラブみたいな店がたくさんあってね。コンビニなんて無いから、そういう飲み屋さんにうちの店はおにぎりを届けてたの。

すごかったよ、綺麗な人がたくさんそこらじゅういてさ。クリスマスなんかの時はレイ(花輪)を下げて、帽子を下げて、テッテケテッテケ歩いてた。そのころはスナックがないもんだから、11時くらいになるとお客さんがダーッとうちにきて、お茶漬けとかおにぎりとかを食べて帰ってったの」

「今より景気もいいし、飲み屋街に人があふれてた時代ですね」

「それで、スナックができて遅くまでお店も開けられるようになったから。その頃は朝5時までその辺を酔っ払った人がゾロゾロ歩いてたよ。

昔は船に乗ってる人がいっぱいいて。胴巻きして一升瓶担いで威勢がよかったね。あとは飲み屋の女の人たちも飲んで酔っ払ってすごい格好で。とんでもない世界を見てしまったって思ったよ(笑)」

「マンガの世界すぎる!」

「今はもう誰もいないね。深夜1時にはタクシーや代行で帰る」

「八戸の漁師さんって、遠洋漁業とかで何ヶ月も海に行ってみたいな人が多いんですかね?」

「そうそう。そういう人たちが陸に上がると、今日は飲むぞー!って感じで。でも、うちには来たことない。船に乗ってる人たちは、女の人と飲めるお店に行くから(笑)。

遠洋の人たちは羽振りもいいから、女の人たちがお酒ついで、それで横丁も栄えて。夜なんて人がいっぱいで歩けなかったもの。どこから出てくんの?!ってくらい」

「今は漁師の人たちは…?」

「わかんない。今はどの人が漁師かわかんないじゃん。昔は格好ですぐわかったけど(笑)。

漁師の人も今はジェントルマンだし、すごく変わったね。昔は店に上げた途端に『この人東京からだな』『九州だな』とかわかったけど。それぐらい八戸の人たちの顔も服装も変わってきてるし。都会と田舎もんじゃあ光が違ったもん!ちょっと扉開けただけで光が違うのよ、パワーが」

 

激動!章の半世紀

「ここら辺でお店をやってるのは、どこ出身の方が多いんでしょう」

「今は韓国の人が多いね。わたしがお店を始めた頃は、みんな日本の人だったよ。バーとか飲み屋さんがいっぱいあったけど、みんな年取ってやめて。そこに韓国の人が来た感じ」

「章みたいに代替わりするのは珍しいんですね」

「ほとんど賃貸だし。ここらへんの店主たちで一軒ずつ買おうかって話もあったんだけど、みんな歳取ってるから『いらない』って(笑)」

「うちはうまいこと引き継いだけどね。最初は大変だったよ。まだおじいさんの代の時は、お客さんがわたしを見て(隣に)まず座れまず座れって。そんなお酌するようなお店にはしたくないと思って、一から自分のお客さんを探して」

「酒場全盛期の頃だもんな」

「でも運のいいことにね、わたしは『人を連れてくるお客さん』を見極めることができて。偉くても人を連れて来られない人もいるし。いいお客さんを大事にして、なんとかここまで」

「お客さんって八戸の地元の人が多いんですか?」

「昔から県外からの出張客が多い。それで帰った人たちの口コミで広まって。全国から紹介で来るよ」

「八戸の横丁は、一見さんはなかなか入れない店もありますね。章は人気店なので、まず予約しないと入れないと思います」

「こんだけ歓待されたらそりゃリピーターになるわ。

横丁ってスナックとかに地元の人が入り浸ってるのかと思ってたんですけど、地場産業の漁業が落ち着いて、代わりに出張で県外から来る人がメインターゲットの時代が来たんですね」

「うちは常連さんも多いけど、みんな背広脱いで自分で茶碗を洗って帰っていくよ。優しいよね(笑)。いつだったか、その光景を見て、一番隅にいた船乗りの人が『ここは背広を着てないと茶碗を洗わせてくれないんですか?』だって! みんな本当に助けてってくれるよ」

「今までそういうお客さんで、印象に残ってる人っていますか?」

「いるよ!あるとき店に入ってきてすぐ怒鳴る人がいたの。お客さんがたくさんいるのに、どかして座って。わたしは怒鳴られたことないから怖くて怖くて、すぐ隠れて。涙がボロボロ出てくるんだよ。

そしたら常連のお客さんがタッタッてきて、『ママ、あのね、あんた泣いててどうすんの。お客さんたちみんな守らなきゃなんないでしょ』って」

「それでどうなったんですか……?」

「そうだ泣いてる場合じゃない、エイって思って。急に怖さが無くなって。そいつお酒ばっかり飲むのね。それでわたしは『あんたね、酒ばっかり飲んでるけど、そんな吹けば飛ぶような体してて、あんたなんかつまみ出されるよ!』って」

「ここは食べ物屋だから。あんた自分の体わかってんの、食べなきゃダメよって説教した」

「すげえ」

「そういうのはたまにだけどね。うちのお客さんはみんな静かに食べて飲んで帰ってくれるから、いいお客さん育てたねなんて言われるけど」

「今までで一番大変だったことってなんですか?」

「わたしずっと大変だった。人にはあまり言えないけどお金にもかなり苦労して。でも子ども3人を守らなきゃなんないから、毎日朝5時までお店をやってた

「毎日営業?!」

「休みない。ずーっとやった。貯まってるお金はひとつもないけど、みんなが笑って『おいしかったよありがとう』って帰ってくれるのがすごく嬉しい。

今までいっぱい働いたから、今は1週間に2日ずつ休んでる」

「すいませんそんな休みの日に!!!」

(※普段は忙しすぎてお話が聞けないということで、取材させていただいたのは定休日でした)

「でもね、お客さんがみんな助けてくれて。通りがかった人が『ママ今日買い物ないの?』『じゃあ卵買ってきてくれる? お金は?』『いらない!』なんて」

「それはお店の事情を知ってる人が?」

「そう。だから恩をみんなに返していこうって頑張って

「それでこのもてなしが……」

「わたし思うんだけど、こういう店は普段自分の家で食べられないものを食べに来るでしょう。お刺身の盛り合わせが3点盛りみたいな店もあるけど、八戸は美味しい魚がいっぱいあるから。だからうちは刺盛りを最高で21点盛りしたことある

「出しすぎ!!!!」

「そんなサービスしようってなるのがすごいですね」

「『損して得取れ』ってこういうことなんだなって。すんごい得とってきた。お金は損してきたけど、人とかすごく得してきた。そこに神様がいるでしょ

「あ、あれですか。棚の上に」

「これ翁(おきな)様。わたし信仰心とか一切ないんだけど。この翁さんね、お店の椅子が壊れた時、リサイクルショップへ初めて行ってみたのね。そしたら人形がいっぱい並んでて、通り過ぎようとしたら、『わたしのこと連れてって…連れてってくれたら幸せにしてあげるよ……』って声が聞こえたの」

「えっ!!!!」

「え?!って思って、引き返したら目が合うんだよ! じゃあうちに連れ帰ってあげるねって買って帰ったのよ。5800円だったかな。椅子はなかったんだけど。

それで家の玄関に置いてたんだけど、建て替えのタイミングで翁さんを置くとこが無くなったから、店に置いたの。そしたらあるとき観音様が夢に出てきて。小首を傾げながらニカ〜と笑ったんだよ。

それで、まだ続くんだよ。そんなの誰にも言ってなかったんだけど。ある日ね、知り合いの郵便局の人が突然うちに現れたの。それで『ママ夢見たでしょ』って言うの」

「!!!!!!」

「『あんた観音様の夢見たでしょ』『観音様が俺に伝えにきたんだよ。あなたはね、トヨタマヒメノミコトってのがついてますよ』『僕の夢に出てきました、あなたに伝えてください』って。不思議だなって。

だけど信仰心がないもんだから。お客さんが水あげたりしてくれてる」

「今までの話、何!???」

「いや〜、まだ信じてないっていうか(笑)。霊感が強い人が言うには神社のものだって言うんだけど。びっくりするけどね」

「横丁と章の歴史からママさんのスピリチュアル体験に……」

「もう何聞いてもあんまびっくりしないと思うわ」

 

ママが優しいからお客さんも優しい

すき焼きの後に作ってもらった、トマトと肉の脂・旨みを吸いまくったおじや。当然うまい。

「料理は足りてる? サラダ食べる?」

「隙を見せるともてなされてしまう」

「もうちょっとお話聞いていいですか。章っていう店名はどこから?」

『立つには早い』って意味。ゆっくりしていってくださいねって。疎開でこっちに来る前に、元々は割烹だったんだけど、その時からの名前」

「粋な名前だなあ」

「話の途中ですいません。お酒ってもうないですか?」

「あ、ここお酒は自分で持ち込みしてもいいんですよ。持ち込み料もとられないです

「?!! じゃああのお酒なに? ていうかなんで?! お酒仕入れて売ったほうが絶対儲かるのに?!」

「そういえばそうですよね。なんでですか?」

「わたしお酒飲めないから。めんどくさい。

お客さんにも言われた。あんたなんで酒で儲けないのって。だから言った。『ここは食堂です。飲み屋じゃありません。』『子どもたちのためにわたしは食べ物で勝負します』って。

あとお酒も飲んでたら7000円8000円ってお会計になるけど、かわいそうじゃん。好きなの買ってきて飲んで、おいしいもの食べて帰ったらいいじゃんって」

「お客さん想いすぎません?」

「わたしがお酒飲めたらやってたかもしれない。でも味もわからないものを勧められないし、作り方もわからないから。それでチューハイ作ってって頼まれてもわからないって言ったら、うちのお客さんたちが『ママ、これチューハイの缶寄付するから』って置いていく(笑)。

冷蔵庫に入ってるの、あれ全部お客さんの持ち込みだから。置いていってくれる」

「これそういうやつだったんですか?! なんか妙な品揃えだなとは思ってたけど!! じゃあ今飲んでた日本酒も?」

「お客さんが置いてったやつ。お酒は店で買ったことない。生ビールだけ」

「それでお子さん3人育てて……すごすぎますね」

「ものの考え方を教わったのよ。若いお客さんにこう言われたの。

『人は悪いほうに考えれば、いくらでも悪いほうに転がってくよ。1+1=5みたいに間違ってることは、はっきり間違ってると言わなきゃいけない。でも、ものの考え方は個々にして違うんですよ。だから、自分でしっかり考えなきゃダメです』って。だから、なんでもプラスで考えようって」

「仏じゃん。こんなに優しくされたら誰だって優しい気持ちになるよ」

 

八戸の横丁はいつでもあなたを迎え入れてくれる

漁業、戦後の復興、映画館、進駐軍、ビジネスマン、観光客…さまざまな時代と人々が行き交っていくなかで変化していった八戸の横丁文化。

章のようなお店は希少ですが、ほかの横丁や新設されたみろく横丁でも同じく、八戸全体にどこでも温かく出迎えてくれて、ほかの地域からやってくる人たちに「よく来たね」と迎えてくれる優しさがあると感じました。

ある意味ほっといても人がどんどん来る東京や大阪と違って、かつては仕事で来る人がほとんどだった場所柄というのもあるのかもしれません。マジでめちゃくちゃもてなしてくれる。「また来てね!」というお母さんの言葉の温かさと重みがデカい。

ものすごく与えてもらえるから、これは返しに戻ってこなきゃと思う。絶対にまた来ます。ぜひみなさんも八戸のアツくて優しいもてなしを受けに行ってみてください。

取材協力:VISITはちのへ

 

☆お知らせ

今回の記事は、ローカルをテーマにしたマガジンハウスのWebマガジン『コロカル』とコラボした「ジモコロカル八戸取材ツアー」で制作されました。『コロカル』では以下の記事が公開中です!


・快進撃の酒蔵はどこへいく〈八戸酒造〉が描く未来図

https://colocal.jp/news/167381.html

・八戸の横丁に行けば、誰しも夜の魔法にかけられる。「酔っ払いに愛を2024」が10月に開催

https://colocal.jp/news/166650.html