ヤクルト史上最高の右腕・松岡弘さんが語る1978年

ユマに現れたヒルトン

 松岡さんは、ユマで接した大リーガーからシンカーなどの変化球を学んだ。

 「俺はシュートを投げてバッターにバンバン当てていた。コントロールないから。でも、シンカーというのは、当たっていきそうなボールが落ちる。それを左バッターに使えるようになったのは大きかったね」

 「何で曲がるのか、どうやって握ってるんだろう、と思って、しぐさで『どうやってんだ、ちょっと見せてくれ』と。ローリー・フィンガーズ(当時パドレス。米大リーグの代表的な抑え投手。口ひげが有名)って、すごくコントロールがいいピッチャーがいて、ストレートはこう、スライダーはこう、と全部教えてくれる。でも、自分の持ち球は絶対に教えてくれなかった。今、カットボール、ツーシームとか言うじゃない。とんでもない。あのころから全部やっていたよね」

 そのユマキャンプに、ヤクルトの入団テストを受けようと一人の選手が現れた。デーブ・ヒルトンさん(17年死去)だ。入団が決まると、ガッツあふれるプレーで大活躍。阪急との日本シリーズでは、1勝2敗で迎えた第4戦の9回表に「シリーズの流れを変えた」と言われる逆転2ランを放ち、チーム初の日本一に貢献した。

 「めちゃくちゃ頭がいい。本当に野球が好きで好きで仕方なかった。まさかあんなに活躍すると思わなかった。守備も打つのも下手。(打席では)クラウチングスタイルで、よくボールが見えるな、と。あれは投げづらいだろうね。ホームベースの上に顔があるような感じ。それが、ゲームに出ると上手に見えちゃう。俺は上手になるんだ、野球が好きだ、というのがプレーに出ていたよね」

 「バッティンググラブがくしゃくしゃでね(笑)。破れても、新しいのを使わない。アメリカではバットに松やにを使うから、手袋がすぐ真っ黒になる。それを、ベタッとつけたままグラブを使う。手から離れない。小さいグラブを使っていてね」

 78年10月4日、ヤクルトは中日に9-0で勝って初のリーグ優勝を決めた。最後のシーンは、二遊間の打球をヒルトンさんが好捕。併殺を完成させ、松岡さんは完封勝利を果たした。

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