〇夏目漱石「こころ」
『ばかだ。』『ぼくはばかだ。』というのは、作品に即して具体的に書くと「下・先生と遺書」の「「四十一」の終わりのほうに次のようにあります。
・『馬鹿だ』とやがてKが答えました。『僕は馬鹿だ』
質問者様もなぜKが自分自身のことを『馬鹿だ』などと言ったのかはお分かりのこと思います。断るまでもなく、「お嬢さん」に恋をしてしまったからでした。
それならば、「お嬢さん」に恋をするというごく自然だと感じられることがなぜ「馬鹿」なことだったのか?
それは、Kという人間の人柄・生き方に関係があります。やはり、「四十一」の終わりのほうを読むと、次のような「先生」の言葉あります。
・Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠っているのだろうと解釈していました。然し後で実際に聞いてみると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためには凡てを犠牲にすべきものだと云うのが彼の第一信条、摂欲や禁欲は無論、欲を離れた恋そのものでも道の妨害(さまたげ)になるのです。
つまり、Kという人間にとって恋をすることは、自分自身の生き方に反する許しがたいことだったのです。しかも、この「馬鹿』」という言葉が、もともとKが二人で房州に旅行した時「先生」に対して「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と使った言葉だという点にも注意す必要があるでしょう。
先生はやはり「四十一」の終わりのほうで「精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです」と書いています。
確かに先生が書いているように痛かったに違いないでしょう。
それならば、自分の事を「僕は馬鹿だ」といった時のKの「心情」はどのようなものであったのか?
おそらく、自分が友人の先生に使った言葉を今度は自分に向かって吐き出されたわけですから、自尊心などを著しく傷つけられたと考えてもよいでしょう。しかし、大切なのは、「お嬢さん」に恋してしまったことを非常に反省している点です。おそらく、今までの自分の考え方・生き方に反した気持ちを抱いてしまった時、Kのなかには、深い挫折感や自己嫌悪感があったと想像しても決して間違ってはいないと思います。自分の事を責めさいなんでいたのではないでしょうか。
結局Kは自殺という形で自分の生を閉じるのですが、その遺書らしきものには、「先生と遺書」の「四十八」に見られるように次のように書かれていました。
・自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するというだけなのです。
Kという人は、自分に対して非常に厳しい、克己心の強い人でした。お嬢さんに恋してしまった自分が許せなかったのでしょう。
以上、思い浮かんだことをもとに書いてみましたが、Kという人の心の中に、先生という無二の友人・親友に裏切られたという思いがなかったのかということも考えてみる必要があると思いますが、ここでは省略しました。
また、この「先生と遺書」の内容が、「先生」の視点から書かれている点に注意する必要があるかと思います。
質問者様の質問に対して簡単なコメントになってしまい、どれ程役に立つものなのかまったく見当もつきませんが、とりあえず以上です。
誤字等訂正し、追記しました。