何もなくなっても大丈夫。
大阪在住の女性M様から「一緒にお昼ご飯を食べませんか」と連絡をもらった。私の正しい使い方である。最近、友達がガンで亡くなった。明るく仕事を一生懸命にやる人だったけど、お客さんのために自分を犠牲にしてまで頑張る人だった。無理をしていたのだと思う。溜め込んだストレスで病気になって、あっという間に死んでしまった。抗ガン剤治療をしたけど、やめろとは言えなかった。身近な人の死に触れると、自分はどう死にたいか考える。M様は、そのようなことを言った。
死に方を考えることは、生き方を考えることにつながる。友達はアンティークが好きでいろいろと集めていたけれど、遺品整理をしたときにびっくりした。あまりにも大量のものたちが所狭しと積み重ねられていて、欲しい人たちに全部持って行ってもらった。家の掃除を手伝ったり、葬式を手伝ったりしたら、当たり前だけど死んだ後は何も持っていけないのだなと思った。天国に持って行けるものは、愛し愛された記憶だけ。だから、できるだけ心残りのない日々を生きたいと思った。
神奈川在住の女性Y様から「親からの遺産で生きている友達の女性がいる。相当な額の遺産を相続したから、八十歳まで遺産で生きるには一日これくらい使えるなって割り算をして、その範囲で生きている。最近、彼女が精神的に問題を抱えて、家を出ることができなくなった。いろいろと相談に乗っているのだが、回復する兆しはない。坂爪さんだったら、彼女になんて言いますか?」と相談を受けた。パッと思ったことは「俺に遺産を半分ください」だった。そのお金で、一緒にバイクの大型免許を取ろう。キャンプ道具を積載して、あたり構わず野営をしよう。田舎に土地を買ってツリーハウスを建てよう。メキシコで一緒にルチャ・リブレを見よう。こどものように手を汚しながら、メキシカンタコスをワイルドに食べよう。
こわいものをこわいこわいと言って見ないようにすると、こわさはどんどん膨らんでしまう。一度見たホラー映画は、次見た時はこわくなくなり、面白さだけを感じるようになる。ものを持つと、それを失うこわさも同時に持つことになる。お金は便利だし大切だけど、お金に縛られると苦しくなる。自分の内側に「何もなくなっても大丈夫」という、自分や世界に対する信頼のようなものを培うことができたら、お金がなくなっても命までなくなることはない。減っていくお金や時間を見つめながら「ない、ない」と思うよりも、お金や時間を素敵な体験に変えて、死んだ後も残り続ける「ある、ある」に変えることができたら、永遠の青春を生きることができる。ああ愉しかったと言いながら、あっちの世界に行くことができる。
世間的にどうとかではなく、好きなことをずっとしている人は、お金がなくても、真っ直ぐな優しさを差し出すことができる。卑屈にならずに、ピュアに生きることができる。私たちは、何かを失うことではなくて、愛を恐れているのだと思う。愛を、信頼することを恐れているのだと思う。いままでよりも深いレベルで、心を開くことを恐れているのだと思う。一番欲しいものは、一番恐れているものの中にあるのだと思う。天国に持っていけるものは、愛し愛された記憶だけだと思う。それ以外のものは、全部、こっちの世界に置いていくのだと思う。だから、何もなくなっても大丈夫。いまままでよりも深いレベルで心を開こう。
おおまかな予定
12月10日(火)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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