放送内容
- 立山良司「ガザ戦闘と大イスラエル主義」
立山良司「ガザ戦闘と大イスラエル主義」
防衛大学校 名誉教授 立山 良司
イスラエルはガザ地区のイスラム組織ハマスと、すでに1年以上も戦っています。さらに南レバノンにも軍事侵攻し、イランとも鋭く対立するなど、報復の応酬は地理的にも拡大しています。
戦争が続いている背景として、さまざま点が指摘されています。その一つとして、「約束の地」の教えに基づいた、大イスラエル主義の影響があると考えられます。
占領地の保持を絶対視する大イスラエル主義の思想や運動が、戦争の終結をいっそう難しくしているからです。
今ではイスラエルがガザを再び占領する可能性が高まり、ユダヤ人入植地の再建を呼びかける運動も活発化しています。
ガザのパレスチナ人の死者はすでに4万2600人を超えました。また約100人の人質が捕らわれたままです。それでも停戦が実現しない理由として、ハマス側の非妥協的な対応とは別に、ネタニヤフ首相個人の政治的な思惑がよく指摘されます。しかし世論調査の結果などを見ると、それだけでは十分に説明できません。
イスラエル民主主義研究所が9月中旬に行った世論調査では、ユダヤ人回答者の45%がガザ戦争を終える時が来たと答えている一方で、ほぼ同数の43%は戦争の継続を支持しています。
また同じ調査で、戦後のガザを誰が支配するべきかという質問に対し、ユダヤ人回答者の40%は多国籍軍と答えていますが、39%はイスラエルが支配するべきだと答えています。イスラエルが支配するということは、とりもなおさず、イスラエルがガザを再び占領することを意味しています。
また同じ研究所が8月に行った調査では、ネタニヤフ首相が、ガザとエジプトとの境界からイスラエル軍を撤退させることに、強く反対している理由について、ユダヤ人回答者の58.5%は軍事的・戦略的な考えからと答え、ネタニヤフ首相個人の政治的思惑という回答の33%を大きく上回っています。
イスラエルのユダヤ人の多くが、このように強硬な姿勢をとっている背景には、ユダヤ人が持っている強い恐怖心があります。歴史的に長い間、ユダヤ人は迫害や差別の対象となり、ホロコーストを体験したため、一般に強い恐怖心を持っています。さらに昨年10月7日のハマスによる奇襲攻撃は、イスラエルのユダヤ人に大きな衝撃を与えました。それだけに多くのユダヤ人は、今、戦闘を止めれば、ハマスは生き残り、再びイスラエルを攻撃してくるという恐怖心を持ち、戦闘の継続を支持していると考えられます。
もう一つの背景として、「約束の地」の思想に基づいた大イスラエル主義の思想や運動があります。神がユダヤの民に約束したとされる、「約束の地」の地理的な範囲については、多くの解釈があります。
この地図は旧約聖書の民数記などの記述から推定される「約束の地」の範囲を、オレンジ色の線で示しています。
この地図によれば、イスラエルの現在の占領地、つまりヨルダン川西岸やガザ地区、ゴラン高原は「約束の地」の一部となります。大イスラエル主義は、こうした解釈に基づいて、占領地からの撤退に断固反対してきました。
ただガザに関しては2005年に、当時の首相が、占領のコストを理由として、軍と入植者を撤退させました。撤退の際、一部の入植者は政府の強制退去命令に激しく抵抗しました。
この出来事は大イスラエル主義者に大きなショックを与えました。大イスラエル主義者たちは、「約束の地」の一部であるガザからイスラエルが撤退することは、ユダヤ教の教えにも、「約束の地」にユダヤ人が定住するというシオニズムの精神にも反する「裏切り」であり、「過ち」であると捉えたのです。
イスラエルのユダヤ人の間では近年、右傾化や宗教化が進み、大イスラエル主義が拡散しています。こうした動きを背景に、イスラエルの国会では2000年代以降、占領地の保持を主張するリクードなどの右派や中道右派政党が議席の過半数を占めて来ました。
一番最近行われた2022年11月の総選挙では、大イスラエル主義を最も極端に主張する宗教シオニズム政党が躍進し、ネタニヤフ連立政権に参加しました。
昨年10月にガザ戦争が始まった直後から、大イスラエル主義者たちは、ガザの再占領と、入植地再建を求める運動を展開しています。2005年の撤退は「裏切り」や「過ち」であり、これを正す必要があると考えているからです。この運動への支持は、「極右」と呼ばれる宗教シオニズム政党だけでなく、リクードを含む、他の右派政党にも拡がっています。
世論調査でも、ガザへの再入植を支持するユダヤ人の回答者の割合は、2月には31%、4月には23%と、決して一部の孤立した少数派ではありません。またガザへの再入植を呼びかけるイスラエル兵士もいます。
この写真はガザ内で撮影され、SNSにアップされたものですが、イスラエル兵士が手にしているバナーには、「入植は勝利」と書かれています。
こうした大イスラエル主義の主張に加え、先ほどお話しした10月7日攻撃で強まった恐怖心が重なり、ガザでの戦闘継続、さらにはイスラエルによるガザ支配を支持するユダヤ人が40%前後もいると考えられます。
ガザの人道状況はいっそう過酷さを増しています。
国連などによると、人口の90%に当たる190万人が避難民となり、「安全な場所などない」といわれる、あの狭いガザの中を、繰り返し逃げまどう生活を強いられています。
すさまじい破壊によって、瓦礫の量は今年6月時点で、東日本大震災を大きく上回る4200万トン以上と推定され、医療機関や上下水道など基本的なインフラも壊滅的な打撃を受けています。
ガザはこれから冬の雨季を迎えますが、国連関係者が「復興にどう取り組むか、想像すらできない」と嘆くほど、ひどい状況になっています。それでもイスラエルは軍事行動を続け、10月16日にはハマスのリーダー、ヤヒヤ・シンワル政治局長を殺害し、戦果を強調しました。しかし、実効性のある戦後計画は何もなく、結局、イスラエル軍のガザ残留は既定路線になりつつあり、中・長期にわたる占領が現実味を帯びてきています。
イスラエルはさらに9月半ばから、レバノンのヒズボラへの攻撃を一気に拡大し、空爆に加え、地上部隊を越境させました。そのため、南レバノンやベイルートの一部も、瓦礫の山と化しつつあります。
イスラエルがこれほど力を行使し続けている理由は、10月7日攻撃が残した屈辱と恐怖心から立ち直り、自信と誇りを取り戻そうとしているからでしょう。あわせてその背後には、「約束の地」の思想に基づいた大イスラエル主義があります。先ほどご覧いただいた「約束の地」と考えられている地理的範囲には、南レバノンも入っています。
現に、南レバノンへのユダヤ人の入植を呼びかけている団体もあります。まさかこの呼びかけが実行に移されるとは思いませんが、「約束の地」の思想と結びついた大イスラエル主義の思想と運動は、イスラエルをいっそう好戦的にし、平和を実現するための政治的な取り組みは、ますます置き去りにされているように思います。