熊谷晋一郎特任講師が特別授業 「頑張らなくても大丈夫!」
- 先端研ニュース
2011年10月11日
「僕は車椅子に乗っているけど、お医者さんをしています。車椅子でお医者さんをするとどんなことが大変だと思う?」。
10月11日、先端研3号館。熊谷さんは都立墨東特別支援学校小学部の子どもたちの目を順に見つめながら、穏やかに問い掛けた。授業をする熊谷さんも子どもたちも車椅子。先生と目線の高さが同じ子どもたちは元気いっぱいに手を挙げ、「薬を使うとき」、「注射をするとき」とそれぞれ答えた。
「その通り。僕はできないことがたくさんある。でもそういうときは仕事仲間に助けてもらいます。できないことは助けてもらう。そうすると、不思議なことにいろいろなことができるようになるんだよ」。
◆ ""ガンバリハビリ"" の子ども時代
熊谷さんは1977年、山口県で誕生。健常者に近づけるよう、1歳から ""鬼のような"" リハビリの日々が始まった。リハビリが辛く、強烈な体験だったため、2歳のことも鮮明に記憶として残っている。記憶の中で熊谷さんは裸できちんとしたポーズをとるため、泣きながら一生懸命リハビリをしていた。
「みんなリハビリ好きですか?僕は大っ嫌いでした」。
歩けるようになるために母親や作業療法士に「頑張れ、頑張れ」と言われて ""ガンバリハビリ"" を続けるうち、「健常者のように動かなきゃダメ、失敗したらダメ。社会は怖いところだと思うようになっていった」。
常に誰かに見張られているような圧迫感を感じていた。そんな経験から、18歳までの自分の状況を「いつもまわりに監視しているゼリー状のお母さんがいて、外の世界がよく見えなかった。社会と自分の間が隙間なく、ゼリー状の親で埋められていた」と表現する。
◆一人暮らし
東大理科I類に合格したのを機に上京し、「ゼリーから逃れたい」との一心で一人暮らしを始めた。健常者を目指すリハビリもやめた。歩けなくても電動車椅子でどこへだって行けたからだ。
しかし、熊谷さんにはできないこともたくさんあった。その一つがトイレ。どうすれば一人でできるか考え、ポータブルトイレを使うなどの試行錯誤を経て、自宅アパートのトイレの壁を取り外したり、ウォシュレットをつけるなどの大改造を決行した。しかし、お風呂だけは改造しても一人で入れない。自分でできないことは人に頼むしかない。「これまで100人以上のヘルパーさんに体を洗ってもらい、今では顔を見ただけで体を洗うのがうまいか、そうでないかが分かるようになった」と笑う。
日常生活の失敗談も子どもたちに話した。「先生はね、トイレが間に合わないことだってあるんだよ」。しかし、そんな時はいつも通りすがりの見知らぬ人が助けてくれた。「こんなに社会の人が手伝ってくれるなんて知らなかった。社会は全然怖い場所じゃない」。
医師として診察をするときは、できないことは工夫したり、仲間に助けてもらっている。赤ちゃんの心臓の音を聞くとき手が届かないので、聴診器にテニスラケットの柄のようなものをつけている。障害のある手で赤ちゃんの手に注射をするのは難しいから、仲間に助けてもらっている。「健常者と同じやり方じゃなくてもいい」。今では「熊谷先生に診てほしい」と指名するお母さんもいるほど、一人の小児科医として信頼されている。「みんな、車椅子に乗っていてもちゃんとお医者さんの仕事はできるんだよ」。
◆3つの ""大丈夫""
「今日はもうひとつ、みんなに伝えたいことがあるよ」。
授業が終盤に差し掛かったころ、熊谷さんがこう切り出した。
「みんな、『頑張ればできること』ってあるよね。実はこの頑張ればできることっていうの、要注意なんだ」。
例えば、熊谷さんは2時間かければ靴下が履ける。しかし、毎日2時間かけて靴下を履いていたらほかのことができなくなる。
「『できるけどしません』っていうのがとっても大事だよ。すごく時間がかかることは、人に手伝ってもらったり、楽にできる方法があるか考えてみてね」。
失敗しても大丈夫。みんなと同じでなくても大丈夫。頑張りすぎなくても大丈夫―。この日、熊谷さんは3つの ""大丈夫"" を子どもたちに伝えた。
「人生は試験ではなく ""実験"" です。実験では思っていたものと違うデータがでてもいいんです。目標通りにいかなくても、楽しい発見があるかもしれないでしょ」。
約1時間の特別授業は、とびきり笑顔の子どもたちの温かい拍手に包まれて終了した。
(取材・文 北別府由美)
素敵な笑顔の熊谷さん。
子どもたちと同じ目線の高さで対話しながら授業を進めた
=10月11日、東京都目黒区駒場の東京大学先端科学技術研究センター
都立墨東特別支援学校小学部の子どもたちを前に授業をする熊谷さん
子ども時代の "ガンバリハビリ" について語る熊谷さん