シリア “圧勝”の選挙の裏側
- #シリア(16)
得票率95.1%。内戦が続くシリアの政権支配地域で5月、大統領選挙が行われ、アサド大統領が“圧勝”で再選しました。現地入りした首都ダマスカスで目の当たりにしたのは、内戦の勝利をほぼ手中におさめたアサド氏一色に染まる、街や人々の様子でした。
しかし、政権の弾圧や戦闘から逃れ、今も避難生活を余儀なくされる人々からは、公正な選挙からほど遠い“茶番”だと非難の声があがっています。
深く分断されたままのシリアは、この先どこに向かうのでしょうか。
目次
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アサド大統領で染まる、首都ダマスカスへ
5月24日、レバノンの首都ベイルートから、ダマスカスに向かいました。国境までは、1時間半ほどで到着。1か月前に取材申請をしたものの、過去にシリアに関してどのような報道をしたか、細かくチェックされ、正式に許可が下りたのは出発の2日前でした。厳しい荷物検査を終えて国境を越えると、少しずつアサド大統領のポスターが目にとまるようになり、首都ダマスカスにたどりつくと、そこはまさに“アサド氏一色”に染まっていました。
スーツ姿や軍服、それに親しみやすさを演出するためかカジュアルなファッションで着飾ったものまで、アサド大統領のポスターが至る所に、掲げられていました。
今回の選挙ではアサド氏以外に、元政府高官と弁護士の候補者も立候補を認められましたが、それら2人のポスターは、ところどころでしか目にすることはありませんでした。
目撃した選挙運動といえば、アサド大統領に「血と魂をささげる」というスローガンを叫ぶ、市民の行進だけ。選挙はまさに、アサド大統領の信任投票そのものでした。
“今世紀最悪の人道危機”招いた政権
シリアのバシャール・アサド大統領は、父親のハーフェズ・アサド前大統領の死去に伴い2000年に34歳で大統領職を継承しました。
3期21年間にわたって大統領を務め、父親同様の強権的な統治を行ってきました。
2011年に民主化運動「アラブの春」がシリアに波及すると、アサド政権は武力でデモを弾圧。
反政府勢力への攻撃で、化学兵器を使ったとして、国際社会の非難を浴びました。
また、混乱に乗じて、過激派組織IS=イスラミックステートが台頭し、内戦は泥沼化。
この10年で、49万人以上が亡くなり、国民の2人に1人が家を追われました。
前回2014年の大統領選挙は、激しい内戦のさなかに行われましたが、今回は、アサド政権が圧倒的に優位を固めた中での選挙となりました。
大統領支持一色の市民 その本音は?
首都の市民は、国を惨禍に追いやった指導者をどう見ているのでしょうか。
滞在を通じて、市民から少しでもその本音を聞き出したいと考えていました。
しかし、言論統制が厳しい国にあって、それが困難であることはすぐに分かりました。
希望する取材ごとに許可が必要とされ、許可されたとしても常に情報省の担当者が同行しました。
行く先々で市民にマイクを向けても、ほとんどの人が答えることを避けました。
インタビューに応じた人はいずれも、国に「安定」をもたらすことができるのは、アサド大統領だけだとして、大統領に投票すると答えました。
選挙当日の5月26日も、そうしたアサド氏一色の状況に変化はありませんでした。
取材が許可されたのは、ダマスカス市内の大学に設けられた投票所。
朝7時の投票開始にあわせて行くと、すでに、大勢の学生たちがキャンパス内の投票所に詰めかけ、アサド大統領を支持するスローガンを叫んでいました。
キャンパス内では輪になって踊る学生たちの姿も見られ、政権側の演出だけではない、一種のお祭りムードも感じました。
政権支配のお膝元にあって、内戦の軍事的勝利をほぼ手中にしたアサド大統領以外に選択肢はないという、異論をはさめない雰囲気が広がっていました。
暴落した通貨に 廃墟と化した街並みも
しかし、少し目を転じると内戦によって疲弊した市民の暮らしぶりが見えてきました。
政府が運営するパンの販売所では朝から行列ができ、市場の10分の1以下で買えるパンを買い求めていました。
日本円に換算すると2枚で1円ほどですが、それでも値上がりしているといいます。
シリアでは、アメリカによる制裁などによって、通貨の価値が暴落。
内戦前に比べ、シリアポンドの価値は、ドルに対して50分の1以下となっています。
ここ1年ほどは、経済的なつながりが深い隣国レバノンの経済危機も影響し、通貨安と物価高がさらに進行、市民の暮らしを直撃しています。
市内の市場では「ここ数か月、肉類は口にしていない」とか「すべての値段が高すぎて生活していけない」といった買い物客の声が聞かれました。
多くの市民は、パンや砂糖、ガソリンなどといった必需品を、政府の補助金による割り当てでしのいでいました。
郊外に足を運ぶと、状況はさらに深刻でした。
ダマスカス中心部から車で南に10分ほどの場所にある、タダモン地区。
ISが支配し、3年前に激しい戦闘の末、政権側が奪還した地域です。
銃撃戦で壁には無数の穴が開き、建物の多くは破壊され、むき出しとなったコンクリート片をさらしています。電気や水道もまだ通っていませんでした。
それでも、避難先から戻り、どうにかして再建に向けた一歩を踏み出そうとしている人たちがいました。ことし1月に、破壊の跡が残るアパートの5階に戻ったという男性は、アサド大統領を支持すると述べながらも、復興には、国際社会の協力が欠かせないと訴えました。
タダモン地区に暮らす男性
「この厳しい経済状況の中、生活の再建にはお金も労力も必要で大変です。アメリカやその友好国は制裁を解除し、国の復興をサポートしてほしい。」
難民や避難民にとっての無意味な選挙
一方、アサド政権から住む場所を追われた多くの難民や避難民にとって、今回の選挙は到底、受け入れられるものではありませんでした。選挙は、反政府勢力の支配地域では行われず、在外投票に参加する難民も一部に限られました。レバノンにあるシリア難民のキャンプでは、選挙は無意味だという声が多く聞かれました。
シリア西部から8年前に家族とともにレバノンに逃れてきたフダ・ハティーブさん(51)も、選挙は“茶番”であり、アサド政権が続くことは耐えられないと訴える1人です。
夫のアリさんは、10年前、民主化デモに参加したのを情報機関に見つかり、銃殺されました。
翌年には、徴兵されていた長男のフセインさんが、デモを弾圧する軍から逃れて故郷に戻ったところ、フダさんの目の前で、やはり銃殺されました。
自宅も政権側の空爆で破壊され、三男のハッサンさんは左腕に大けがを負いました。
生き残った家族でレバノンに逃れ、いまは、孫たちも含め8人でテントで暮らしています。
仕事もなく、日々の食事にも窮する暮らしですが、アサド政権が続く限り、祖国には戻らないと考えています。
フダ・ハティーブさん
「お金もなく、孫たちにちゃんとした食事も教育も与えられないが、犯罪者のアサド大統領が居座るシリアに戻るくらいなら、このテントのほうが1000倍ましです。」
固定化する国の分断、遠ざかる和平
国連は、シリアのすべての人々が参加する選挙の実現を目指し、反政府勢力も参加した憲法の起草を仲介しようとしています。しかし、アサド政権側が圧倒的な優位を固めた中で、和平に向けた対等な話し合いは、難しくなっています。
その上で、今回の大統領選挙はアサド大統領にとって、みずからの政権の正統性を内外に示す動きにほかならず、国連が目指す政治解決は、一層見通せなくなったといわざるをえません。
また、国の分断を深めている、大国の存在もあります。いまシリアは、
▼ロシアやイランが支援するアサド政権の支配地域、
▼トルコが支援する北西部の反政府勢力、
▼そしてアメリカとつながる北東部のクルド人勢力地域の大きく3つに分かれ、
大国の介入による分断の固定化が進んでいます。
シリア情勢に詳しいレバノンの専門家は、もはやかつてのシリアに戻るのは、容易ではないと指摘します。
外交アナリスト ジョージ・アラム氏
「政治的な解決に向けたプロセスに、近く進展があるとは思えず、今後、シリアが再び1つにまとまれるかどうかも疑問です。ロシアやイラン、それにトルコなど介入する各国の影響は無視できず、大きな障壁となるからです。現在の勢力バランスをもとに、シリアは連邦的な国となっていくのかもしれません。」
ダマスカス市民の多くは、反政府勢力のことを政権がレッテルを貼る「テロリスト」と呼びます。一方、多くの難民や避難民の目には、アサド大統領は、犯罪者として映り、国は深く分断されたままです。
シリアが再び一つの国としてまとまっていけるかは、アサド大統領と、介入を続ける大国がシリアの将来像をどう描いていくのかにかかっています。
この10年苦しみ続け、国の再建を願うシリアの人たちの切なる思いが踏みにじられることはあってはならず、その思いがシリアの将来に届くことを願わずにいられません。
(カイロ支局 藤吉智紀)
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