日本ではフェミだのクソフェミだのアンチフェミだの言っていて、どうしてもフェミは一つしかない、もしくは一人1フェミニズムなんていうところから一歩も出るまいとする輩が本当に多いんだが、改めてちょっと書いてみようかなって思った。
フェミニズムっていう言い方がイメージしにくいんだが、大雑把に言うならば「女が一人でも普通に生きていって人生を全うできるようにすべき」という運動だ。
そしてそんな社会の実現に反対する人、というのは今の世の中そうそういないと思う。
ただ、保守、つまり「世界の変革なんか人為的に起こすものではない」という人たちからすると眉をひそめることではあるだろう。
で、いろんなフェミニズムが世の中にたくさんあり、フェミニズムの定義自体も曖昧にされてしまったのでわけのわからないフェミニズム、例えばスピリチュアルフェミニズムなんていうおいそれでどうやって女が自立して生きていくんだ?っていうものも出てきた。
更に言うならば、広範に対応するフェミニズムから、ニッチな女性に対応するフェミニズムもある。黒人女性のためのブラックフェミニズムなんていうのもあるらしい。
残念なことにラディカル・フェミニズムとその系譜だ。なので、これがフェミニズムだと思っている人も多いだろう。
ラディカル・フェミニズムを推進している人たちがもそもとマルクス主義者だったことも輪をかけてややこしくしていると思う。
高市早苗みたいな人がフェミニズム界隈で評判が悪いあたりに日本のフェミニズムがいかにマルクス主義(暴力革命による問題解決を目指す)に魔改造を受けているのだろうと推察する。
ラディカル・フェミニズムというのはつまり何か、ということだが、大雑把に言うならばこんなかんじだ。
2. 女性のリプロダクション(妊娠出産機能)が支配されている
家父長制の妥当と女性の自立がどう関連するかはいまいちわからないがそういう思想だ。要は「制度だけ変えても社会が変わらなければなんの意味もない」と言いたいと考えてほしい。
「私達は女というだけで家庭に入ることを余儀なくされ、子供を生みたいかどうかに関わらず集団の圧力で生むことを選択せざるを得ない可愛そうな存在」
がラディカル・フェミニズムのコンセプトだ(これが本当かウソかはここでは書かないことにする)、
上野千鶴子はかつて「女は結婚なんかするな、結婚してたらすぐに離婚して自分で生きていけ」くらいなことを言っていたと思う。なぜなら彼女はラディカル・フェミニストだからだ。
結婚して出産して家のことをやって、かつ社会的に自立するに社会や夫婦とそれを取り巻く人々はどうすればいいのか、などということは考えない。
くたばれ専業主婦というのもそう考えるとラディカル・フェミニズムの文脈でとても正直に書かれた本だと思う。読んでないけど。
ただ、この本は本来あるべきラディカルフェミニズムをあまりにセンセーショナルに書いてしまい、ベストセラーにまでなってしまったのでフェミニズム界隈は潰すことを選んだのかもしれない。
なんにせよ、フェミニズムは女性があらゆる点で自立して生きていける社会の実現を目指している運動だ、ということはまとめとして言っておく。
## そもそもフェミニズムは女性に努力や自己改革を求めている
日本におけるフェミニズムがおかしなことになっているのは、男性や社会に対する批判ばかりになっているという点だろう。
本来のフェミニズムは女性の努力+社会的な活動によって支えられるのだが、今のフェミニズムは女性は努力をせず、社会的な活動もしないでただただジェンダーギャップがとかガラスの天井がとか言っているばかりでいただき女子に関して言うならば「いただき女子を捕まえるより先に裁かれるべき男がたくさんいる」と大騒ぎしているあたりにこの方向性のフェミニズムがどんどんと浸透しているということだ。
つまり日本のフェミニズムには女性に対する努力、自己改革など全く求めず、ただひたすら男に対する攻撃に終止しているというあたりで異常だ、と言っていいだろう。
以前医学部で女子は自動的に減点される、という問題があったがあれについては一体どうなったのだろうか?女性がいかに差別されているかを騒ぐだけ騒いだようだがその後どうなったかは知らない。
さて、そんなわけでフェミニズムというのはそもそも何なのかということは雑にだが書いた。改めて書くなら
1. 女性が自立して生きていけるようにする
3. 男女が互いに経緯を持って生きていけるように社会を変えていく
ということだろうが、日本のフェミニズムは、プロパガンダと暴力に彩られている。さすがに爆弾を仕掛けたりはしないが。
そう、マルクス主義者がよく使っていた手口だ。
これだけを持って彼らがマルクス主義者だと断じるにはいささか早いだろうが、参考にしていることは疑いの余地もないだろう。
実際歴史の系譜の中でもフェミニズムがマルクス主義の影響を受けたのがラディカル・フェミニズムであり、そこからマルクス主義に合流したものがマルクス主義フェミニズムである、というように書かれているので、間違いではないだろう。
多くのフェミニズムのことを考える人にとって彼女の不人気さというのがもしかすると疑問かもしれない。だが私からすると高市早苗はフェミニズムの敵であることになんの驚きもない。
なぜなら日本のフェミニストたちのプロパガンダに対する反証になっているからだ。
フェミニストたちの彼女の評価はブスだとか、頭が悪いとか、あの立場にたどり着くまでに一体どれだけのおっさん議員に股を開いてきたのか、など単なるレッテル貼りと人格批判に終止している時点で遠くから悪口を言うしかできなくなっているのだが、この論理が真実であると信じるフェミミストも多くいる。
彼女は彼女が自立した一人の人間として行動し、努力を積み重ねた結果政府の要職にまで上り詰めてしまった。
残念ながらそんな女性がフェミニズムの観点からすると存在してはならない。他の男性議員たちに文字通り追放されていなくてはならないか、もしあの立場になっているならなにか女性の尊厳を犠牲にしてまで取り入ったに違いない、と考えるからだ。
自分たちのプロパガンダのほうが高市早苗以外の様々な社会で活躍する女性という実例よりも真実だと考えているのだ。
だから社会で活躍する女性たちはなにか男性に取り入るために事故の誇りも尊厳も投げ出したに違いないと考える。
左翼は社会は自分たちのロジックでデザイン可能であり、ロジックに合わないことが起きたらなにかおかしなことが「社会で」起きているというふうに論理を組み立てるのだから、高市早苗は「名誉男性である」とすることでフェミニズムは自分たちの論理を守ることにしたのだろう。
今日本にどれだけ自分がフェミニズムに影響されて生きているかわかっている人(老若男女問わず)がいるだろうか?ほとんどいないだろうと思う。
もうちょっと言うならば「こうするのが常識だ」と漠然と考えて生きているのではないだろうか。
だがその中のかなりの割合にフェミニズムの論理が入り込んでいることは明らかだ。
女性専用車両を差別ということを許さない暴力的な点もフェミニズムラリサがにじみ出ている。
あれは「女性の安全を守るために男性があえて差別を受け入れているもの」という認識を持たねばならないが、女性たちの勝利の証である女性専用なんとかがこんな差別などという汚いものであってはならない、ということだろう。
日本では左翼によって教育とメディアが牛耳られている。メディアはもともと政府を監視するものであり、左側に行きやすいものではあるが、彼らは極左だ。
公然とプロパガンダを社会に垂れ流し日本の子どもたちはそれを常識として刷り込まれていく。
日本人はクリスマスに大晦日に初詣と節操がないと言われるが、この感覚だって日本の歴史の中で培われてきた宗教観でもあるのだろうが、日本ではこういったことの正体を明らかにしない(フェミニズムもだ)でひたすら刷り込んでいるおかげて「よくわからんがこういうものだ」という左翼の論理は個々人の中に山のように刷り込まれていることだろう。