知恵袋ユーザー

2016/12/29 4:37

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「死は穢れ」ではない?

宗教 | 哲学、倫理200閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

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仏教はそうですね 穢れではないです 死が穢れであれば、皆最後は穢れるわけですよ 死が不幸であれば、皆最後は不幸になるのですよ 穢れたり不幸になるために生きているのではないのですからね やがて必ず行きつくところが、穢れや不幸であるはずがないです 穢れや不幸というのは死んだ人ではなく、生きている人が嫌なだけなのですよ やがて自分も死ぬのにですね そういう苦から目覚める教えが仏教です

仏教ではまったくもって穢れとはみません。 死を穢れとするのは神道ではないですか。

どの宗教、宗派であったとしても何故に穢れといわれたのかを考える必要があります。 それを知らずに誤った解釈をすれば差別や偏見が生まれてしまうのです。 人が亡くなり体内機能が停止すればもともと体内にいた細菌類は急激に増殖します。ご遺体の血液や排泄物から病気に感染することもあります。知識もなく医療技術の未熟だった昔の人たちがご遺体をおそれたのは当然といえます。 現代でもその可能性が皆無ではありませんが、適切な処置を施されているのなら過度におそれる必要はないと思います。 また、昔は感染症で亡くなられる方も多くいたでしょう。故人と生活を共にされていた方も同様に感染されていた可能性は高く、そういった方が人の集まる場にあらわれれ、感染症が地域全体に広まることもあったでしょう。 今風にいえば感染症対策ですが、当然昔の人にそんなことはわかりません。穢れというしかなかったのです。 すべては先人の知恵ですが、現代には当てはまらぬことも多くあります。 しかし、理由を知った上でその行為を踏襲することも無意味ではないように私は思います。先人たちはそうやって今の私たちに命を繋いできて下さったのですから。

死を穢れとしたら、必然的に生は聖であり二元論になります。この理屈から二元論を受け付けない宗教では死は穢れにならないでしょう。キリスト教もその一つです。

浄土宗、浄土真宗でしょうね。 死とは極楽往生であり、仏になることですからお浄めの塩も配られません。 そのような考え方も別にありだと思いますね。 但し、死が不浄ではないからと自殺するとかいう考え方になる危険性はあるでしょう。 そこは違うと思います。 なぜなら、お迎えに来てもらうのではなく勝手に逝くのは神仏の上に立っていることになり、不尊だからです。