真如苑の信者さんにお聞きします。 和合と言っておきながら、当の真如教主一家が全く和合していない。なぜなのでしょうか?

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回答ありがとうございます! 本当にそうですよね。 最終的には、理屈ではない。感じるものだ!みたいなことを言われるんですよね。だったら、何で仏教には経典があるんだろうかと思ってしまいますよね。 僕には、あくまでも仏教という形をした、新宗教だとしか思えないんですよ。で、教義もバラバラというか、初めは不動明王様をお祀りしていて、その後は涅槃経を経典として持ってきたから、釈迦牟尼如来を謹刻されたわけですけど、それも普通に考えたらちょっとおかしいですよね。 現に、弘法大師は顕教を否定していらっしゃいます。それに、お釈迦様の時代に霊能なんてものはなかったわけで、ごった煮の新宗教と言わざるを得ない。どう考えても、理屈が通らないんですよね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございます!

お礼日時:2018/2/23 22:41

その他の回答(3件)

あの教えは嘘も方便だから、和合していない、できないことはどうでもいいのです。嘘を突き通して自己満足して、統合失調症になれば極楽浄土なのです。

信者です、宜しくお願いします。 >和合と言っておきながら、当の真如教主一家が全く和合していない。なぜなのでしょうか? この世で最強の力を持ち、仏の力そのものだと言えるのが「和合」だからです。 予め、誰にでも、何の努力もなしに「和合」が保証されるなら、和合への道を示す宗教など必要ありません。 教主一家でもゴタゴタがあったのは事実ですが、それだけ人間というものは煩悩があると言う事でしょう。 私たちは涅槃真理の体現者についていくのみです。 その教えに従って和合を示していく営みが真如の教えだと考えます。 >また、教主一家がなぜ仏様と同列に扱われているのか。 密教では、法を授けてくださる師匠を法身の如来として拝みます。 未だに「真言八祖」など連綿伝持の師匠を崇めるのはそのためです。 涅槃経を密教のテクストとして読み解き、真如密教を打ち立てられた方々を拝み、その方々から法を授かるのが私たち真如教徒の立場です。

回答ありがとうございます! そもそも、密教は顕教と相いれないと思うんですよ。弘法大師も顕教を否定されていましたよね。 だから、涅槃経を持ち出してきたのは矛盾するんじゃないかなって思うんですよね。法の流れを教主様は勝手に変えたわけで、たしかに先見の明はあるし、一宗を立ち上げたと言われれば聞こえはいいですが、法の流れからしたら、めちゃくちゃなことをやってしまったと思うんですよね。

こうした基本的なコト、 1. いったい誰に今まで訊ねて、 2. その人に、どう言われて 〉全く納得した答えを得られません なんて事になったのですか?「信者」だなんて、言えないよ。 フェイク Q かな?

回答ありがとうございます! 導き親である親に聞いても、青年会の先輩に聞いても、また、ここでも、納得できる答えを教えて貰えませんでした。 あなたも現に、質問とは関係ないことを答えています。お願いですから、もう少し、真面目に答えてください!