結婚2年目子なしです。 結婚前から主人と主人の両親、兄弟が真如苑の信徒であることは知っており、私と私の家族は絶対に勧誘しないという条件で結婚しました。 最近義理の兄の奥さんが真如苑

補足

主人と子供のことについて話したことがありますが、主人は子供の意思で信仰するかどうかを決めさせたいと言っていました。ただ私は子供にも信仰させたくないと言っています。私が嫌ならお寺にも行かないし、子供も入らせなくて良いと言っていますが、祖父母や伯父伯母、いとこが信仰していて私の子供も真如苑に触れる機会が少なからずあると思うと躊躇してしまいます。主人は自分の家族のことをとても尊敬しているので、いざという時に守ってもらえるのかも不安です。

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御返事ありがとうございます。仰る通りで私の人生なので、自分で責任を持って決断すべきことと思います。私は人生の節目など、大事なことは家族や友人に相談し、乗り越えたことで感謝の気持ちや周りの人間の大切さを学ぶことができたと思います。自分の子供にもそうあって欲しいと思うので、離婚を考えたいと思います。

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真如苑は、「本人自身はまだ信仰する気が起こっていな人でも、苑に結んであげて、会費だけでも毎年払い込むようにしておけば、大難が小難で済み、お力がいただけるのです。ですから、会費をあなたが肩代わりしてでも、親類縁者、知人などを入信させておいてあげることが功徳になるのです」という論法で、「勧誘実績」を作らせ、それに応じて「会座」に参加する資格を与えたり、「智流院」で学ぶための資格を与えたりします。「真如苑、無断入信」でググってみると、そういう方針によって、いつのまにか勝手に信者だということにされていたという苦情が、たくさん出てきます。 もっとも、教団本部にこのことを追及すると、「それは教えをはき違えた末端信者が勝手にやっていることで、苑でそうせよと教えているわけではない」と言いますが。 真如苑には、会費だけ払う名ばかり信者であった人が自覚的に真如苑の活動を始めることを表現する「歩む」という言葉があり、「歩み」はじめた信者を名ばかり信者と区別して呼ぶ「一如教徒」という言葉さえあります。 あなたも、旦那さんか、あるいは義理の親御さんによって、すでに「無断入信」の入信書を書かれて「名ばかり信者」に登録されているかもしれません。そういう場合、会費は「導き親」になった人が肩代わりで払っているのがふつうです。 苑のいちばん悪い点は、人生上のあらゆることを「霊能者」の「接心」で決めなさいと指導し、教団依存症の人間を作ってゆくころです。 『水ぶくれ真如苑』という本の、次の箇所をお読みください。 * * * 今をときめくアイドル女優の沢口靖子さんが、実は真如苑の信者だということは、今では多くの人々に知られている。彼女が女優になるにあたっては、真如苑の接心で示された通りに決断して、みごと「ご霊言」通りに成功したのだと言う。古来、人気商売の人というのは、商売の性質上、占いや霊能に頼りがちなもので、そのためか、真如苑には芸能人の信者が多い(目ぼしいところでは天地聡子さん、島田陽子さん、高橋恵子さんなど)。 ところで、ふつうの常識人というものは、ある程度の年齢になれば、「人生においては、結局のところ、自分で決断して自分で責任をとるという行動を積み重ねてゆかないかぎり、自分自身の人間としての成長が期待できないものだ」ということに、気が付くものである。むろん、人生のある特殊な局面においては占いや霊能が有意義な場合もある。だから、そういうことを「なりわい」にする人も世の中にいてよい。しかし、人生上で遭遇〔そうぐう〕するあらゆる重要事件について、右するか左するかを、占いや霊能に頼って決めるというのでは、何のために人としてこの世に生を享〔う〕けたのかわからない。 人生にはむろん失敗もある。が、失敗を糧として自分の成長に生かす心がまえがあれば、失敗もまた生きる。長い目で見た場合には、そうした「生かせる失敗」を犯した場合の方が、そうでない場合に比べて成長が早い、もしくは人間が大きくなる、ということがあるものだ。宗教心を持つことはよいことだが、それは、基本的には、「深く祈った後に自分で決断する」という形で発揮されるべきものだ。深い祈りの中から決断した行動であっても、むろん悪い結果を招くことがあるかも知れないが、そういう場合には、そうした悪い結果を通じて人生勉強するのが自分の使命なのだと思って納得することができる。 しかし、真如苑ではこういう人生観は認めない。人生百般、何でもかんでも接心で解決うすることこそが「み仏さま」のみ心にかなう、という考え方なのだ。 その結果、真如苑の信者は、進学、就職、縁談、新築などの人生上の重大事ばかりでなく、短期のアルバイトの選択、職場での商品仕入先の選択、隣近所とのつきあい方、といった細かな事項まで、すべて接心を受けて決めるようにと指導される。研究職の人などに対しては、どういう方向に研究を進めたらよいかも接心で決めなさいと勧められる。まことに、親切すぎるほど親切である。 「それによって、職業の方で迷わずに最短コースを進むことができて時間が浮くから、それを肝心なみ教えのために捧げることができて、世のため人のために尽くせますよ」というのが、その理由である。 しかし、このような人生観というのは、どこか根本的に狂ってはいないだろうか? 人間が職業人として生きている以上、その職業自体の中でいろいろ意義ある失敗をしてみて、そこから学んで向上してゆくというのが、その人の人間的向上の最もまっとうな本道ではないだろうか? その本道をすべて要領よく「ご霊言」の指示通りにはしょって最短コースで済ませるということが、はたしてその人自身の人間的向上にとってプラスであろうか? ―これは、多少なりともまともな人生観、宗教観を持っている人間なら、当然感じてしかるべき疑問であろう。 そもそも真如苑という団体は「世界中の人間がわが教団に結ばれることによって理想郷が実現するのだ」といったきわめてオメデタイ社会観以外に、社会観と言うべきものを持たない団体であるが、仮に彼らの理想が実現する日が来ると仮定してみよう。 その暁には、当然、世界中の人類がひと握りの「霊能者」のもとに通って、あらゆることを「ご霊言」の指示どおりに実行して、人生そのものをはしょって生きてゆくことになる。「人生そのものがはしょられてしまった人類社会」というものは、常楽我浄の浄土どころか、手塚治虫のマンガに出てくる「ロボットだけの社会」とまさに同じものであろう。想像するだけでも空恐ろしくなる。 最終的にはそうした空恐ろしいSF的社会の実現までゆきつかざるをえないような道を、自分の人間的向上の最短コースなどと考えることは、常識ある人間にとっては無理なことではないか? しかし、こうした疑問に対しては、真如苑の指導者は何らまともに答えない。 * * * 『水ぶくれ真如苑』の全文は、以下のリンクで読むことができます。http://space.geocities.jp/mindmanipulate/mizubukure.html#sessinn

私は真如苑を信仰しています。 信仰している人々の中にも、人格の低い人、行いに課題がある人は、います。 というか、自らの行いに課題を感じて、人格を向上させようと、苑で修行している、 と言う方が、正確だと思います。 自らの信仰を、他人に説明するとき、 「私には○○という課題があり、それに△△のように取り組んでいる」と素直に、率直に話せれば良いのですが それが出来ず(出来ない所が、本人の課題なのですが) 『あなたがうまく行ったのは、信仰のおかげ』 <信仰のない者の気もちを、慮れない> 『うまく行かないのは、修行しないから』 <そう言われても、信仰しない者は、とまどうだけ。 「人格をみがかないから」と言い換えれば、一面で 真実なのですが、修行と言われてもねぇ> 『うまく行かないのは、因縁のせい』 <これも、父母祖父母から知らず知らずに受けついでいる、 悪い習慣や、心の持ち方のせい、と言えば、通じるか?と思いますが、 いきなり因縁、なんてヤクザ映画みたいに聞こえるし> と、周囲の人々から信仰が理解されないのは、 本人の話し方に、原因があると 私は考えています。

文面から、しっかりしたお人柄のご家族だと、伝わって来ますので、 まずはご主人と、不安に思われる点を、じっくり話し合れたら、と思います。 しっかりと教えを実行している人は、不誠実な行いをしないはずです。 貴女の信頼が、裏切られることは、ないと思います。

今のうちに旦那様と、子どもができた時にどうするのか話し合われた方が良いのではないでしょうか。 子どもを真如苑に入れる入れないに関わらず、子どもにも信仰の自由があります。物心がついたときに、自分から真如苑を求めるかもしれませんし、真如苑から離れるかもしれません。 ただ、お子さんが行きたくないと言った時には、行かなくていいし、辞めたいという意思が出てきたら辞められるような環境を整えてほしいです。 私は、生まれた時から真如苑に入っている二世信者ですが、両親とも信者だったため、辞められる環境がありませんでした。行きたくないは通用せず、遊ぶ時間は削られ、志望校にも行けず、散々な目にあいました。辞められる環境があれば、今の人生は全然違ったんだろうなとよく思います。 --------------------------- 質問者様がお子さんを真如苑に関わらせたくないとお考えならば、私の意見はあまり参考にならないかもしれませんが、こんな考えもあるんだくらいにお考えください。

御返事ありがとうございます。子供については補足させていただきました、すみません。 仰る通りで子供にも主人にも信仰の自由がありますが、そもそも関わらせたくないと考えているので主人と主人の家族とは決別することが自分のためと考えています。回答者様の当時のお気持ち、大変参考になりました。ありがとうございました。

御心配は理解できます。 離婚するかしないかは相手の信仰度によると思います。 子供さんについては、やっぱり旦那さんに真意を確認するしかないのではないでしょうか? あとは第三者を挟んで確認を行うとか、どっちに転んでも良いように記録をとることと、打算的に天秤にかけて離婚とこのまま続けるかは冷静に判断されたほうが良いと思います。 まず冷静になることです。 不安を感じることは理解できますが、焦って行動すると却って不利になります。 状況確認、判断、プランニング、行動と落ち着いて行動、判断されてください。

御返事ありがとうございます。熱心な方ではないと思いますが、精神的に不安定になるとお寺へ行ったり朝の掃除をしようとするので完全に苑から抜け出すことはできないと思います。 子供については補足させていただきました。私の母親は記録を取ることも提案してきましたが、長い人生、記録に残したことが守られるのかどうかが不安です。友人、同僚に相談したところ、結婚生活を継続した方が良いという回答は得られませんでした。回答者様のご意見参考にさせていただいて冷静に判断したいと思います。