真如苑では「智流院」という学習課程のようなものを設けて、初信の信者に対して「これを卒行すると、文部科学省が認めた宗教の教師の資格が得られる」とか、よく宣伝していますね。

補足

ちなみに、「国が公式に認定した宗教の教師の資格」というものが、近代日本の国法上存在したのは、何と、今を去ること百数十年の、明治5(1872)年~明治17(1884)年の期間だけでした。それを「教導職」と言いました。みなさん、歴史をよく勉強いたしませう。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E5%B0%8E%E8%81%B7

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なるほど、「爆走状態」ですか。 私の導き親も「爆走」してましたね。 私は、最初に導き親から「文部科学省が認めた宗教の教師の資格が得られる」という〝有名な〟決まり文句を聞かされたとき、「おかしいな」とは思いつつも、どうしてそんなレトリックが出てくるのかわからなかったのですが、脱会後、「戦前の宗教団体法と今の宗教法人法はどう違うか」とか、「文化庁が毎年編纂している『宗教年鑑』に書いてある〝教師数〟とは何を指しているか」などを勉強する機会があって、「なあるほど」と思いましたよ。 ただ、「文部科学省(国)が認めた……」という言葉が苑でやたら強調されるのは、末端信者が誤解を広めているにとどまらず、幹部自身が意図的に誤解を誘発する言葉遣いをしているという面もあると思います。「まこと教団事件」で教主が刑法上の(つまり国法上の)「有罪」にされたことのトラウマが関係しているようです。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:2017/6/26 22:58

その他の回答(6件)

私が知る限り、真如苑の信者が智流学院に学ぶのは、別に「国が認めた僧階」とやらを欲しいからではなく、純粋に正しく教学を学ぶためです。 私も僧階を頂いていますが、当たり前ですが履歴書に書くこともないし、他人の前でそうした事をいう事はありません。 ですが、私の祖母の菩提寺の和尚さんなどは、自ら人を導いたりすることはない事を考え合わせると、真如苑で僧階を頂くのは実践の裏打ちが必要な分、大変なのは事実ではないかと思っています。 大事なのは僧階ではなく、それを承けるに相応しい法の器を培う事であることは、教師たるもの心得ていると私は信じています。

実際に「僧階」を授かるにあたっては、そのように考えているでしょう。しかし、初信の段階で信者に対して「文部科学省が認めた宗教教師としての資格が得られる」と導き親や経親がしばしば言うのは事実です。

でもそれは、苑が言い替えているのではなく、教えを理解していない不届きな信徒がそう言っているだけ、、、と苑は言うのです。 明確に「違う」というアナウンスもしないのにおかしな話です。 無断入信もそうですが、信徒のせいにするのは年会費とって管理側の団体としてどうかと思います。 信徒の方も「その信徒が悪い、苑はまとも」で済ませるのはロジックとしてどうなのよ? と毎回毎回私は思います。

苑に文科省認定の教師の資格は、ないですよ。苑にない話を「ある」といっているわけですが、その嘘は、誰からお聞きしましたか? 智流院は、苑独自のシステムではありません。手本となった制度があります。文科省云々の嘘に翻弄されないように、ご自分でよく調べて、正確な情報を知ってください。

私は真如苑の信者にさせられて、接心も10回ぐらい受けさせられて、智流院に入ることを勧められた段階で、「これはネズミ講やマルチ商法の一種で、つきあっていたら、大変なことになる。出費も最初は少ないように見せかけておいて、深入りするほどなんだかんだと金がかかるように仕組まれている。会座参座のために『お救け10人が必要』などと言って、親類縁者などを数合わせのために『無断入信』させて、会費を肩代わりで払っておくことを奨励している」と気づいて退散しましたが、その期間に「導き親」から「文部省が認めた教師資格」と聞かされましたよ。

因縁を切るためにいくのではないかと

他の洗脳手法にも気をつけながら、距離をとることも大事です。 信者は教えの欺瞞がばれない様に極力秘密裡に誘ってきますが、その手法を知り、否定してしまうと復讐に近い攻撃性を向けてくることもあります。