私は、宗教法人真如苑に入信して、30年以上たちます。夫の大病がきっかけでした。その時は、お力をいただき、夫は完治しました。それからは、自分の時間も投げ捨て、我が子は他人にあずけて、精進しました。

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2014/5/15 20:00(編集あり)

日蓮正宗 法華講員の者です。 これから厳しい事をお話させて頂きます。 まず仏法とは、自分の中の仏の生命を開発して幸福に生きる為の いわば人生の根本法です。 仏法の中で最高の教えは法華経であり その法華経の真髄を示し 幸せへの道を正しく伝えているのは 日蓮正宗ただ一つのみであります。 真如苑は誤った教えを伝える邪教です。 正しい教えに背く事を謗法(ほうぼう)と言い 真如苑を信仰する事は謗法となり 地獄の苦しみを受ける事になります。 あなたは身をもってその謗法の恐ろしさを知っているはずであります。 身にまきおこる様々な苦難の原因は真如苑によるものなのです。 このままではさらなる苦しみを受ける事になり あなたは確実に地獄へ堕ちます。 ただちに 日蓮正宗の寺院を訪ねなさい。 素直に誤った教えを捨て 素直に正しい教えを信仰するのです。 そうすれば必ず あらゆる物事が良い方へ向かっていきます。 もう一度言います 日蓮正宗の寺院を訪ねなさい。 真如苑では決して 「真の」幸せになる事はできません。

真如苑信者です。 はっきり言って真如苑に限らず、宗教をしたからと言って人間が根本的に変わるという事はないと私は思います。 私自身、真如苑の信者だからと言って自分を宗教家のような聖職者だと思わないし、むしろ世間の人よりよほど劣っていると思っています。 それでいいし、そういう人間だからこそ、少しはマシになるように精進するものだと思っています。 貴女は「こうあるべき」と、四角四面に考える癖がおありではないですか? 病気の人に寄り添って親身に相談に乗ってあげる優しさと大らかさがある貴女なら、電話1つ返してこない冷淡な人間も憐れんで許してあげたらどうですか? それが宗教家らしさという気がします。 優しい人、それは即ち、どんな人でも許せる人。 私は接心でそういただきました。 で、たぶん、私も忙しかったり、余裕がなければ電話は返さないと思います。 私は家庭を犠牲にしたり、自分の限界を超えてまでやることが真如の教えだとは思わないからです。 思うに、貴女は精進にしろ何にしろ、中道をわきまえずに頑張りすぎなのでしょう。それでは疲れてしまうだけです。 休んでいたっていいんですよ。寝ていても感謝や反省はできるのですから。 形に振り回されないでくださいね。

元信者です。 >しかし、何か問題があると、精進の足りなさを指摘されたり、 >自分を見返るチャンスを仏様が無慈悲の慈悲で事象をくださったのだと言われ、 >さらに頑張ってきたつもりです。 上記の状況は、あなたの病状に対してマイナスにしかならないように思えます。 鬱状態の人に「更にがんばれ」と気を注ぎ、活動を促す行為は何の生産性も生み出さず、むしろ病状を悪化させる害悪以外の何者でもありません。 >やはり、大きくなりすぎた教団は、末端の人間には >手を差し伸べないのでしょうかと宗教そのものに疑いを感じています。 数を「力」として捉えるのでしたら、その考えもありだと思います。暴力というか、悪い方向に力が働く結果でしょう。 数の力が、良い方向に働かなくなった意味とか、何らかの理由とかがあるのかもしれませんね。数の力が良い方向に相乗効果を生み出せば、救いの力は絶大でしょうから。 あまり、あなたのご意見を否定することは良くないと分かっていますが、一つだけ。 真如苑は「宗教」ではありません。 宗教法人を取得した団体であり、新興宗教の活動をしている団体です。 ですから、「宗教そのもの」には曇りがないと思います。 曇っているのは「真如苑の活動そのもの」であり、それは「宗教」とは違うということです。 「宗教法人」を取得するだけで、その活動を「宗教」と呼ぶには雑な所があると個人的には思います。 株式会社登記をしている団体の全てが、健全な会社とは言えないのと同じで、「宗教法人」などは、ただの登記上の問題でしかありまん。 その実の中身がどうなっているのか、それが一番の問題です。それをどんなに低く見積もっても、自らの会員(信者)や周囲に迷惑をかけることはないはずです。

元信者です。 鑑定接心の結果、引きこもりになり自殺を考え、真如苑信者の母親を殺す事を考えるくらいに怨んでいます。 sakisakiさんも大変ですね。真如苑は何も責任は取ってくれませんよ。 あなたの精進が足りないからです。今は辛いでしょうが歩んでいけば変わっていきますと言うだけです。 あなたの相談相手は弁護士さんなんじゃないですか?

私の片親は苑の信徒です。 私は信徒の親越し、関係信徒越し、直接苑に接した結果、この団体に否定的です。 その立場で書きます。 私の親も毎週末、家族をおいて苑に通ってました。 学校から帰れば家庭集会や友達、そのご両親、親戚、担任の先生、ご近所の方を勧誘していました。 これは、足元の和合の結果「家族で信仰しないととんでもないことが起きる。」「お前(信徒親)の精進が足りないから家族が進行しない。」と言われて信徒親は真に受けていました。 子供の立場からすれば、悪いことがあれば教えを理解していないから、良いことがあれば苑のおかげという信徒親の考えは私自身の努力を否定されているようでとても腹が立ちました。 信徒でない親は板挟みになりながら、私たち子供をフォローしてくれました。 私は苑を信じていません。 私には信じれる根拠など一切ありません。 他人が勝手にできる入信手続きやずさんな管理、智留学院入学や霊位には勧誘数の規定があること、私は青年会のサイトを覗いていますが「悩みがある人のそばによりそい、そういう人こそお助けのチャンス。」などと平気で書ける信徒が理解できません。 そのわりには接心は当てものではないとか、上手くいかないのはその信徒が教えを理解していないから、とうまくいかなければ手のひらを返すことを私はいくつも知っています。 これは、私は経験をもとに被害サイトをやっているので、同じような質問や悩みをたくさん受けているのです。 (よろしければプロフィールをご覧ください。) 信徒の方の「あなたのためを思って。」というのはひどく私は押し付けがましく感じます。 中には勝手に星札を買ったり、無断で勝手に信徒にされてたり、未成年者の親が信徒の場合、当人に意思を無視してまで、強制的に信仰を強要したり、信仰に悩み上の信徒に相談したら「今まで大難が小難になっていたのに、教えから離れるからにはひどい目に遭う、、、といわれている、やめたら本当にそうなったら怖い。」という相談も受けます。 しかし、あなた方信徒は「それは教えを理解していない。」「信仰が薄い。」と言います。 はたしてその言葉は本当に利他の教えの言葉なのでしょうか? 人生に悩み、人生の転機に苑を唯一無二の先祖の因縁を切れる団体と聞いて必死に信仰しても「教えを理解していない。」ではそれはないだろうと思うのです。 質問者さんを責めているわけではなく、私は本当に利他の教えなのか疑問なのです。 つらい時、悩んでいるとき、一心に精進すればよいと信徒親は言いました。 信徒親は接心を受けに行きました。 信徒でない親は寄り添い、助言をしてくれました。 一緒に悩み立ち向かってくれた友達や同僚は信徒ではありません。 見返りを求めず助けてくれました。 人生を振り返ってみて、本当に助けてくれた人は新興宗教なんてやってないのです。 勧誘、護摩、奉仕、、、その結果は結局当人のためなのではないでしょうか? 霊意を得たい、向上したい、それって結果的に当人のためなのではないでしょうか? とはいえ、質問者さんがそれでも苑のおかげだと思われるなら私はその気持ち自体は否定する気もありません。 信仰することで救われた部分もあるでしょうし、それを否定する気はありません。 しかし、苑は仏教と自称していますが、仏教は本来、己を理解し状況を受け入れることが仏教です。 結果に精進の多寡を求めるものではないはずです。 それと幸福の科学の信徒の方が書いていますが、この手の新興宗教は結果的に教祖を崇拝し修行プロセスで必ず勧誘や苑のように修行の多寡が絡んできます。 新興宗教なんて偉そうにいろいろ自分の価値を高めようとしますが、名詞が違うだけでどこも似たようなものです。 団体名 被害でぐぐれば出てくる被害内容はたいていどこの団体も同じ内容です。 仮にこの団体に切り替えたとしても同じようなことになる確率が高いです。 もし、聞いていただけるのでしたら、質問者さんはとても疲れていらっしゃると思います。 なにかにより添い、休める先に苑を選んでらしたように思われます。 苑から少し、離れてみてはいかがですか? 離れることで見えてくることもありますし、一度、伝統系の仏教や地元の”伝統系”のキリスト教の教会を訪ねてみてはいかがでしょうか? 私は趣味であちこち話を聞きにいっていますが、伝統系って絶対に勧誘をしてきません。 神や仏はあなたに寄り添っています。 というスタンスです。 ●●しなければだめだ。 ●●があるから素晴らしい。 なんてことは絶対にありません。 自分にあってたら儲けもの、くらいの気持ちでお金なんかそれこそ新興宗教に比べればかかりません。 新興宗教が求めるのは盲信と依存心です。 救われるのは心ではなく足もとの場合が多いです。 信仰や宗教とはなにか? という疑問を持ってられる今こそ、伝統系をあちこち回って見られること、苑と距離をとることをお勧めします。