ご家族の気持ちを聞くことは、直接は不可能です。
それは言うまでもなく、霊能者を媒介とするからです。
媒介となる霊能者に恣意があるのか、それともないのか。それを論点とすると、話は混濁となるでしょう。なぜなら霊能者はその場では入神しており、本人の自由意志が働かない状態にある・・・のかもしれないからです。『本当に入神しているのか?』と突き詰めてみても、科学的な検証がされない領域において、言った・言わない、できる・できない、とは、実に不毛な水掛け論に終始するでしょう。『オレが嘘じゃない、入神しているんだと言っているのだから、それは嘘じゃないんだ』という強引な理屈でしか、結論が出ないように思います。
オレ、という言葉を『真如苑』に当て換えてみても、その強引さは変わることはありません。科学的な論拠のない『真如霊界』、『抜苦代受』、『因縁の苦しみ』、『徳積み』などなどの、全ては「オレが嘘じゃないと言っているのだから、それは嘘じゃないんだ」、言い換えれば「真如苑が嘘じゃないと言っているのだから、それは嘘じゃないんだ」という強引さでしかありません。
一個人の『オレ』は信憑性が薄いのですが、公称80万人の信者が集う『真如苑』ならば、信頼性が担保されるのでしょうか?
それは、私には数の力にしか見えないもので、信憑性の低さというベクトルは全く以て同じに見えるものです。
数の力を背景としたマインドコントロールにハマっていませんか?あなたの好奇心が意味するものは、鴨が持参するネギと同義です。
それは、私が信者として真如苑に真摯に歩んだ20年近い経験則から出る言葉です。
真如苑やその信者・関係者の言葉とは、相反する全くの逆の解釈だと思っています。
どちらを信じるのかはあなた次第ですが、最初に書いた通り、ご家族の言葉を『直接聞くこと』は、接心では不可能だという厳然たる事実は揺らぐことはありません。
《補足》
質問者様のご指摘とされる『ご家族』とは、お亡くなりの方でしょうか。
ご健在のご家族でしたら、何も接心で窺うことはないと、極めて個人的には思います。
ご健在のご家族との乖離は「歩みが足りない」という一言で纏められてしまうと思います。