真如苑とは? 近親と友人に真如苑の信者がいます。 私も一応仏教徒なので、彼らの話を聞くと「ん・・・?

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貴重なお話をどうもありがとうございます。 近親に信徒がいるのですが、その人は物事を系統立てて考えられるタイプでは無いので話を聞いてもどこまでが本当に真如苑の教えかが掴みづらかったのですが、貴殿のお話を聞いてスッキリしました。 排他性についてですが、これはどの宗派にも多かれ少なかれあるんじゃないかと思います。 真如苑の場合はそういう場所の割合が比較的大きめだと感じておられるということでしょうか。 「霊能=悟りを得ていくこと」という言葉の使い方や、六波羅密を更にコンパクトにした「3つの歩み」等、なかなか独特な解釈があるようですね。 そして釈尊は「空間としての涅槃」に常住していると解釈されているのですね。 トップへの個人崇拝があるとの批判を聞きましたが、実際には釈尊を崇拝しているのですね。 >「世のため人の為に尽くしていけば幸せになりますよ」という >教えだと私は捉えています。 利他ですね。素晴らしいことです。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

中立的に、丁寧に説明して頂きました。

お礼日時:2014/11/7 18:23

その他の回答(4件)

hiiro 女史の子が自殺するって、 一体いつ、どこに書かれたのか?最低だな。他人の発言を捏造するなんて。 しょせん、そんなレベルだな。 上座部仏教には、敬意をはらってますが、 ちゃんとした文献に基づいた、出典を明示した見解じゃないと 時間のムダづかいです。h女なみじゃないのか?

hiiroさんとお話がしたいなら、直接メールでも交換されてはいかがでしょうか。 批判されてカッとなられたのかもしれませんが、見ず知らずの第三者のところに突然「最低」だの「しょせんそんなレベル」「h女なみ」だの書かれても全く意味がわからないし、もしかしたら失礼かもしれないと書き込む前に一呼吸置いて考えてみましたか? 気づきを持って心安らかにお過ごし下さい。

親がここの信徒です。 正直に書きますが盲信しています。 私は親越し、直接関わった結果苑に対して否定的です。 私が経験したことはプロフィールからリンクされている被害者向けの相談ブログやHPをご覧ください。 関わりを持つ以上、中立的な意見というのはひどく難しい話だと思います。 ですので、私が調べたり実体験している事実をベースに書きます。 1.仏教らしさ 大涅槃経や仏像等、仏教ゆかりのものをつかっている点 (そもそも私は後述理由から仏教だとは思っていませんが) 2.仏教らしくないかも 1)開祖の子供が若くして病気で亡くなりました。これはこの世の苦しみを代わりにうけて亡くなり、今も真如霊界から信徒を見守っているそうです。 うちの親もそういっていました。 しかし、調べるとこの子達が亡くなったのは1952年のようです。 太平洋戦争が終わったのは1945年まだ十代でなくなったそうですが、残念ながら当時の衣料や食糧事情は決して良いとは言えません。 当時は平均寿命も十代の死亡率も高い時代です。 少なくとも私が知る限り、仏教で誰かの身代わりに苦しみをうけ亡くなり今も真如霊界という霊界から見守っている、なんていうのは聞いたことがありません。 2)実際は開祖と開祖一家を崇拝している現状、私は苑の法要も見たことがありますが、釈尊ではなく、「開祖様ぁー!」と声掛けしていたり、「両同士様や開祖様が真如霊から~略。」なんて話を聞くと釈尊を本当に信仰しているのか疑問です。 実際の話、釈尊を崇拝なんて苑の信徒はしていないでしょう。 3)過去に苦しんで死んだ先祖がいて、今の不幸の原因はこの悪因縁のせいで苑でなければこれを切ることができない。 仏教は輪廻やそこから抜けるには解脱という形です。 悪因縁のせい、というのは百歩譲れば輪廻や因縁と言えなくもないですが、かといって、苑で無ければ切れない、、、というのは聊か疑問です。 では仏教が成立した紀元前4世紀から現代まで25世紀の間も誰も因縁も切れなかったのでしょうか? 3)接心(せっしん)という霊能者との対話修行。 仏教で説話として霊能者のような話はでますが、仏教ってそもそも修行して霊能をえるものでしょうか? ひとのため、世のためと言いながら、結果的には自分に戻ってくるわけで、自らが救われたい、苑に繋がることで安然を得たいということですから、本当にひとのため、世のためなのかというと私は疑問です。 3.社会的に問題点とみなされる部分 苑は新興宗教です。 新興宗教は伝統系に比べ、過度に依存や価値基準をその団体独自のものにする傾向にあると思います。 新興宗教は戦後成立した団体を指しますし、苑自体、そもそも新宗連に入っていました。 しかし、信徒の方は「伝統の法流を継ぎ、新興宗教ではない。」と言います。 これは真言宗の醍醐派で開祖が修行し、一派建立の許可を得たことを理由にしていますが、真言宗と経典も仏像も仏教解釈もかけ離れています。 これで伝統の法流を継ぐというのは聊か根拠不足だと考えます。 ましてや2.で書いたような状態では仏教で伝統の法流を継ぐとは第三者がそう主張していない以上、単なる内輪の話だと思います。 「新興宗教だけど独自に開祖が仏教を基にし、まこと教団から今の団体名に変更した団体」これが正確なところだと思います。 しかし、実際のところ、ネットでみたり、実際に会った信徒の方は根拠もなく「新興宗教では無い。ネットは嘘ばかり。」等と主張します。 ここで書かれているPOEM_DE_GOと言うかたも同様です。 この方は、苑を批判している私の子供が親の因果でいじめられて自殺する。 信仰のためなら暴力も無断入信も許されると書いています。 証拠:http://hiiro-red-bord.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8258524 彼らのように実際に新興宗教では無いことを明確に否定できないにもかかわらず、自らの団体が最高で素晴らしいと思い込むのはカルトの特徴でもあります。 彼の過去の質問履歴を見るとわかりますが、2013年10月ころに15日間で1400件近い1日/90件以上の回答を行い、わざわざブラックリストに指定し書込み不能にしておいて、回答を書かなければ謝罪とみなすと書くような方ですが、他の信徒はとめにも入りません。

FullPaddle という信徒は「(こちら側が)真摯に向き合っていない。」と書く始末です。 本当に利他の教えで、他人のためなのなら、何故私を説得できないでしょう? 私の子供が親の因果でいじめられ、自殺するなどとかけるのでしょう? おっと感情的になってしまいました。 しかしながら、このように独自理由を基にそれが正しいと信じ込む心理状態になるのは困ったものです。 苑の場合、勧誘を”おたすけ”と称します。 お住まいのタイではどうか知りませんが(ちなみに私は一時期、チュンマイに赴任していたことがあります。)日本の場合、勧誘実績は信徒の評価に繋がります。 智流学院という苑内の学校に入るには勧誘実績が必要です。 また先に書いた接心や上の信徒からうまくいかない場合、修行を勧められます。

真如苑のHPを読んだ方が早いでしょ? あなたが仏教をどれほど理解されてるかによって、回答の仕方は異なってくるんです。これを「上から目線」と怒らないでください。 最初にお会いする大学の先生と話をするとき、ジャブが飛んでくる。こちらの理解度を探っておられるんです。それが面倒になってきたら、「そのあたりのお話は全部すっ飛ばしてください」とはっきり言いますけどね・・・。 そもそも醍醐から分離した新興宗教、無茶苦茶にお金を集めてる・・・。 一般論として、バカでっかい伽藍を建ててる新興宗教が多いが、本来の仏教に、あんなでっかい伽藍が必要でしょうか? 宝宮を建てるべきは、衆生の心の中でしょう? 東大寺や興福寺など、巨大寺院はあったけれど、あくまでも天皇家や摂関家が「寄進」したんですよ。民衆からお金を集めたわけじゃない。 民衆からお金を集めて伽藍整備をしようとした鎌倉時代の名僧、西大寺叡尊。 高価なお茶を民衆にふるまい、小銭を布施してもらって伽藍復興に充てた、そのため復興にはものすごく時間がかかったけれど、叡尊は鎌倉幕府の庇護を何度も断ってます。 「権力者の金など不要」だと考えたんですよ。 発想が全く異なってるでしょう? 外観を飾る新興宗教、私は一切信用しません。

なるほど、お金集めに走る傾向が強いという事ですね。 私の周りの信徒さんたちはそういう傾向を否定していましたが、そのように自分の信じるものにお金が絡むという事を認めたがらない傾向は、いずれの宗派にしても同じかもしれませんね。 私自身は上座部での出家経験が少しと関わった出版物が何点かある程度、日本の禅宗についてちょっと知ってる程度で、日本の他の宗派、特に密教とか絡んでくると全然わかりませんのでお手柔らかに。

【仏教らしさ】 不動明王、涅槃像、十一面観音がまつられていたり、般若心経をとなえるところです。 【仏教らしくないかも?】 経文の中に、教主一家を「南無」の後に唱えるところです。 仏教の六波羅蜜を三つの歩みに集約したとして、勧誘やお寺のお掃除、献金としているところです。 霊を信じさせるところは仏教らしくないのではないでしょうか。 【社会的に問題点と見なされうる部分】 個人として信仰するのは信教の自由です。 しかし、真如苑で最高の取り組みとされている勧誘行為である「お救(たす)け」の実績が無いと救われなくなるため、無断入信や職場、家庭などの場で強引な勧誘に信者が走りやすくなることです。

教主を讃える文言を唱えるのは他の宗派でもやっていると思いますが、「一家」というのが特殊ですね。 六波羅蜜の代わりに「三つの歩み」というのも一見不可思議ですね。 霊といえば、私の近親(信徒)もしきりに霊の話をするのですが、教団が後押ししているのですね。 参考になりました、ありがとうございます。