知恵袋ユーザー

2017/4/24 20:44

99回答

1真如苑では「やめたら不幸になる」のに、どういう神経で信者は無責任なお救けをするのでしょう? 2因縁=呪いみたいなものですか?

補足

不幸を探して、脅して。 なんなんでしょうね。

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知恵袋ユーザー

質問者2017/4/27 17:09

ありがとうございます。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様回答ありがとうございました、 シンプルで心強い回答をベストアンサーにします。 私はやめる所存です。

お礼日時:2017/5/1 11:59

その他の回答(8件)

1…上から言われるので、ご本人も必死なのだと思います。 先々のことなんか考えてないと思います。 勧誘実績が様々な教団内の活動に関わってくるようですよ。 2…呪いとはまた違っていて、先祖が作った悪い所縁のことを言うみたいです。 信者が事故に遭うと、事故因縁があると言われる(先祖で事故に遭って無念な亡くなり方をした人がいて、その人がまだ成仏できていない等)そうですが、信じるも信じないも信者次第です。 友人が信者で、私は何回も勧誘を受けましたが、ご家族ではまっており、年に何回もある大祭の度に借金してまでお布施していたのを見て、恐くなりました。 はまると、宗教は恐いと思います。 お布施には上限がないので、ホストクラブで貢いでいる女性客状態に見えました…

ちなみに、大祭には必ず、10万円、50万円、100万円のお布施の袋が出てきて、沢山の金額をお布施した人には功徳があり、子々孫々まで幸せになれると教えているそうです。 友人は借金までして、100万円をお布施していました。 はまると、こうなってしまうんだと思います。 資産家ならいいですが、一般人が続けるには厳しい印象を持ちました。

辞めたら不幸になる、と思える人になるには、ここでしか示されない霊、因縁と自分の境遇を関連付け、ここでしか頂けないお力でしか救われない、と洗脳されてしまった人です。 それは火をつけておいて「消しに来てやった。」と欺くマッチポンプの様な構図です。 他の回答にもあるように、ネット環境が整って、「水ぶくれ真如苑~急成長の秘密と欺瞞の構図~」を読んで昔も変わらぬ手口を知ることで気をつけることもできますし、経験者の知識が質疑で得られます。 教えの欺瞞の構図に必要な人となってしまうと不幸になることが分かります。

すべては、「自分が背負わされている不安を下位者に転嫁して、安心を得るために、勧誘に励んで、自分の下位者を作らなければならない」という「マルチ商法」型の組織原理そのもののせいです。 「さあ、このみ教えに結ばれれば抜苦代受が受けられます。幸せになります」と言いながら、そう言っている本人自身が、いちばんそうじゃないことを知っているのです。 そして、何を言っても上位者は「このみ教えは密教ですから、実践してはじめてわかるもので、理屈じゃありません」と言うばかり。 そして、会費肩代わりによる「無断入信」の「幽霊会員」づくりに、励まなければならなくさせられる。教団は、幽霊会員づくりは末端の不心得な信者がやっているだけで、教団の教えではないと言い逃れるが、経の上位者が煽り立ててやらせていることは明らか。 『水ぶくれ真如苑』という本の全文がネット上で読めるように公開されていますから、それを読めば、勧誘の手口にはけっして乗らないようになれます。1987年当時といまとで、手口は基本的に変わっていません。

知恵袋ユーザー

質問者2017/4/27 20:31

ネットがある現在には向いてないシステムなのかもしれませんね。 私もネットで洗脳溶けました。

1-お救けしなければ接心でも何度も言われ、導き親にも顔を合わす度に、電話で話す度に「お救け、お救け!!」と言われ、「お救けする事で自らが幸せになれる、お救けした相手も幸せになれる」と、クドクド言われ続けて、追い込まれるからです。 お救けせずに「接心をいただくだけ」や「お護摩・お施餓鬼だけ」の信者で居ると、「最強・最勝の大乗仏教の教えを戴きながら、小乗のご利益信仰の恥ずかしい人」とレッテルを張られます。 それらに負けると、お救けするようになります。 2-因縁=呪いみたいなもの…?全く違います。 畑に種を撒き、いずれ収穫を得ます。 畑は自らの人生。生活の場(家庭や職場など) 種は何らかの言動。 それらに因って得られる収穫。 その収穫がいつになるのか人間では解りません。 それを「因縁」と言っています。 基本的に、自分が作るものです。 先祖が撒いた種が、自分の代で実った為に不幸になっている。と接心で示される事も有ります。 因縁には「良い因縁」も「悪い因縁」も有ります。 真如苑を辞めても不幸にはなりません。 絶対になりません。 「真如苑を辞めたから」とみ仏様が罰を当てるという事は有りませんし、真如苑に入信して、必死で命懸けで精進しても不幸は不幸です。 ただ、人間的な欲望だけではない、幸せな気持ちにはなれると思います。 そうなるのに罹る年数は数年~十数年と、人によります。 何十年もかかって、一生を真如苑の信仰で終えたとしても、そうなれない人も居ます。 >信仰とはその業・因縁を乗り越えるためのお力を頂くこと 確かに、そうですね。 ですから、信仰の対象は”真如苑”である必要は全くありません。 誌名は何だったか忘れましたが、苑の教誌類の中に 青年部で活躍していた若者が真如苑を辞めて、数年後に山登りで滑落して死亡した。 苑費を修めなくなっても3年は抜苦代受されるが、その後は保証できないから当然だ という趣旨が書かれていた物をかつて(10数年前に)読みました。 おそらく「真如苑を辞めたら不幸になる」という話は、そこから来たモノではないでしょうか。 そういえば、知恵袋の真如苑に関する質問に対して”元旦会に継主が「辞めたらとんでもない事が起こるわよ」と言っていた”という回答をどこかで読みました。 昔は導き親・経親が所属を辞めさせない為に言っていた脅し文句を、とうとう継主さままでもが言うようになったのでしょうか。 だとしたら、実は「真如苑を辞めたら不幸になる」と思われても仕方ないでしょうね。

真如苑では「道を求める事は苦しい事である。求めざるはさらに苦しみ多きことと知るべし」と示されています。 それは私たちが持っている業・因縁を信仰があろうがなかろうが受けていくという意味だと思います。 信仰とはその業・因縁を乗り越えるためのお力を頂くことです。 従って、努力がいります。 辞めても自分が持っている業・因縁は襲ってくる。 それを清める事が出来ないという意味で「不幸」と言っているのだと思いますから、別に真如苑をしてなくても幸せもあれば不幸もあります。 そして、因縁とは一般的には悪い因縁、つまり、病・貧・争という結果をさしています。 これは呪いではなく法則です。 酒を飲みすぎれば肝臓の数値が悪くなるとか、人を批判ばかりしていると和合できないとかそういう原因と結果です。

知恵袋ユーザー

質問者2017/4/27 17:10

和合っ本来は嫌らしい言葉ですよ。 日常的に使わないように気をつけて下さい。