真如苑信者は、人を勧誘して真如苑に入信させようとする際、「いいお寺があるからあなたも行ってみませんか」と誘ったり、「真如苑は新興宗教じゃありません。

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私はもうとっくに縁を切ってしまっていますが、勧誘を受けて目下悩んでいる人や、親族が苑にハマっていて目下被害を受けている人などが、「文部科学省が認めた正しい宗教」という勧誘のレトリックは日本国憲法から考えてもおかしいじゃないかと、本気で事務局に文句を言いに行ったなら、たぶん事務局は「それは末端の信者が教えを誤解して言っていることで、苑としてそのように指導してはいません」と逃げを打つでしょうね。「無断入信」の場合とそっくりですね。「無断入信」については、苑としてはっきり「それをしてはならない」というのなら、「入信は入信希望者本人が出頭して意思表示した場合しか認めない」という決まりを作ればいいはずなのに、けっしてそのような改善策は打ち出さないということから、その欺瞞性がわかりますけどね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:2017/6/26 22:45

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事実として認証を得ているのだから「真如苑は見え透いた嘘をついている」という批判は当たらないと思います。 また、わざと誤解させるつもりも信者にはないと思います。 真如苑の僧階は文部科学省の認可のもとに苑主より授けられるものだと習いますから。 第一、そんな言葉のレトリックで信心をしようと思う人はいるのでしょうか? 語っている人との信頼関係、語っている人の行動が信心するか否かを左右するのであって、文部科学省が推薦したから信心しますと言う程度なら、すぐに辞めるだろうと思います。

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布教にマイナスになっていないから続けているんじゃないですか? 自分の知識や学歴だけに頼っている人って、逆に真如苑の勧誘に弱いような気がします。 あまりにおかしなことばかり言うので反論した私に対しての 真如苑に勧誘した友人と経親の言葉です 「理論理屈じゃないの~♡」 「理屈っぽい人は幸せにはなれないわよ~♪」 「そんな小さな矛盾にこだわっていたら大きな真理を逃すことになるの。真実一人も救えないってこと(^_-)-☆」 「理屈まみれは因縁まみれなのよ(⋈◍>◡<◍)。✧♡」 「まずは素直に信じてやってみる。通ってみることが大切!続けて通ってみましょ。まずは五回!」 「信じて、流れに身を任してみては?それは他がために動くことにもなるのよん★」 「そういう知ったようなことをいうのはダメ。私たちはまだ世の中のほんの一部しか知らないんだから」 「真如霊界にいって初めてわかること」 これを穏やか~~に張り付いたような笑顔で言われると、なんだか理屈っぽい私はとっても嫌な奴で、今まで学んできた俗世間の常識では計り知れないようなものが真如苑にはあるんじゃないか・・・と一瞬思わされそうになります笑 でも、 とにかく真如苑のお寺じたいが不気味で・・・。金ぴかで成金趣味だし、創始者の写真はスケベなおじさんにしか見えず、、、祈る先も単なる「伊藤家の仏壇」としか思えないし・・・。あまりに思考停止したような信者たちの表情も怖いし。 論理的なものより、自分の勘に従ってよかったです。 知識云々より、自己肯定感があり、孤独に耐えることもでき、人は人・自分は自分って思える人は勉強していない人でも真如苑にはひっかからないです。 それと「勘」って結構大事ですね。

はいはい、よく勉強してるしてる。 凄いです凄いです。

認証は、認可と違ってその内容を見ているものでは無いようですね。 やっている事は、「水ぶくれ真如苑」で書かれているとおり、ネズミ講やマルチ商法紛いなことです。 ネットが普及しなければ被害者は泣き寝入りせざるを得なかったのでしょうが、今は違います。

現在の宗教法人法の「認証」制度は、戦前のように「この宗教は教えの内容が国体に反する」という理由だけで国家が「取り締まり」に乗り出せるという制度であってはいけないという反省から生まれたもので、それ自体は今後も守るべき制度ですが、真如苑というのは、そのような信教の自由を守る制度に悪乗りして、ネズミ講やマルチ商法に類することをやり続けるのだから、始末が悪いです。 ネット上でその問題点を指摘する情報を大いに広めて、新たな勧誘被害者が出ないようにしていきましょう。

ちょっと考えただけでは、分からないのですよ。真如苑が法人認証を受けた当時、開祖伊藤真常氏の置かれた状況を考えれば分かることです。

「まこと教団事件」で告訴されて刑事裁判を受けており、何としてでも、「わが教団は〝危険な〟宗教ではなく、文部大臣からのお墨付きの出ている〝正しい〟宗教なんです」と言いたかったわけですか? 教壇ではあの事件を「法難」と呼んでいますね。 だが、修行の場で弟子を殴ったこと自体は、本当だったのでしょうね。